『現代韓国を学ぶ』(1) ― 2012/06/02
最近出版された有斐閣選書『現代韓国を学ぶ』(小倉紀蔵編 2012年3月)を購読。
9人の研究者の論考を集めたものです。参考になったものもありましたが、首を傾げる部分もありました。 小倉さん自身の論考では、朝鮮半島の統一のシナリオについて、
〉 韓国が北朝鮮を吸収するというシナリオ
〉 北朝鮮が武力で韓国を吸収統一するというシナリオ(329頁)
この二つのシナリオだけを提示しています。
しかし北朝鮮は、こんなシナリオ(武力による韓国の吸収統一)を考えていません。北朝鮮のシナリオは自主的・民主的・平和統一(南朝鮮解放路線)です。武力による統一は想定されていないということです。
北朝鮮の統一シナリオは、第1段階として「自主的」。これは時には「民族同士」「外国の干渉を排する」というような言葉を使うこともありますが、具体的には韓国からアメリカを追い出すことです。韓米相互防衛条約を破棄し、韓国から米軍基地をなくして、アメリカが朝鮮半島に口出ししないようにさせることです。北が核兵器を開発し、アメリカと直接協議しようとするのは、この脈絡から理解できるものです。
次に第2段階として「民主的」。これは韓国に親北民主政権を樹立することです。 韓国のかつての軍事政権時代は、民主化闘争が激しかったのですが、北朝鮮がこの民主化闘争に積極的に関わろうとしました。1970年に金日成は「(朝鮮)北半部人民は同じ民衆として、南朝鮮人民の革命闘争を積極的に支持応援すべき義務と責任をもっています」と言っているのです。その目標は、韓国に北が望む革命政権=親北民主政権を樹立することです。そのために、北朝鮮は様々なやり方で韓国に対して工作活動を行なってきましたし、現在も行なっています。
第1・2段階の次が「平和的」という第3段階です。この段階では、北朝鮮は韓国に樹立された親北民主政権と祖国の統一について協議し、アメリカを始めとする国際社会から干渉されることなく、平和的に統一を成し遂げることです。その暁には、朝鮮人民軍が韓国に進駐することになるでしょう。
つまり北朝鮮は、武力を使わずに統一することを目指しているのです。
これは朝鮮関係の研究者なら当然知っていることと思ったのですが、小倉さんの論考に出て来ないのが不思議ですねえ。
『現代韓国を学ぶ』(2) ― 2012/06/06
この本のなかで最も違和感を持ったのが、「第10章 世界に暮らすコリアン」です。論者は李裕淑という方です。疑問な点を一つずつ挙げていきたいと思います。
日本は‥‥1910年9月30日から1918年12月まで土地調査事業を実施した。そのために朝鮮の農民のなかには土地所有権を失う者も出た。(297頁)
これについては、同じ本の「第4章 韓国の歴史」に次のように論じられています。(論者は永島広紀)
〉 よく耳にする日本統治の批判の決まり文句がある。まず「土地を奪われた」というのは、主に1910年から開始された「土地調査事業」のことを指すことが多いだろう。いわゆる「近代的」な土地所有の観念が希薄だった時代においては、まずは精密な測量に基づく土地の計量によって所有権を確定していく作業が喫緊の課題であった。‥‥ともかく朝鮮総督府が一方的に土地を強奪したというのは、もはや韓国では「神話」と化している。(101~102頁)
これは後者の永島氏が正解です。
それまでの朝鮮では「土地所有権」という観念がなかったのですから、李裕淑氏の論じるように「土地所有権を失う」ことはなかったのです。
次に産米増殖計画について、李氏は次のように論じています。
1920年から始まった「産米増殖計画」によって、朝鮮の米穀は日本に移出され、朝鮮人は生活基盤を失った。(297~298頁)
これも朝鮮の歴史に決まり文句のように出てくる話です。
米は昔から最も高価に取引される穀類です。朝鮮で生産された米を日本に移出して代価を得ることは、経済的に合理性がありました。 米は出荷用の換金作物として大事に保管され、普段の食事は非常に質素であるのが当時の農民の生活でした。米の増産によって生活基盤が失ったというのはあり得ないことで、誤りです。 当時の朝鮮の農村では農業生産の増大以上に、人口が増大しました。これが農村での生活を苦しくさせた最大の原因です。
『現代韓国を学ぶ』(3) ― 2012/06/08
「第10章 世界に暮らすコリアン」(論者は李裕淑)のなかに、ビックリするような統計数字が出てきます。
現在特別永住者が五二万人、帰化者総数が二〇数万人、親が日本人と結婚したことで日本国籍を持っている人が二〇数万人いると推計される。〉(318~319頁)
この数字にはビックリ。特別永住者は四〇万人ぐらいのはずなのですが、「五二万人」という余りにも違う数字が出てきたからです。ちょっと調べてみたら、やはり「五二万人」は間違いです。
出版元の有斐閣は、さすがに訂正を出していました。
http://yuhikaku-nibu.txt-nifty.com/blog/2012/05/post-aab1.html
〉【訂正3】 第10章 318ページ 後ろから1,2行目 誤:「現在特別永住者が52万人,帰化者総数が20数万人,親が日本人と結婚したことで日本国籍を持っている人が20数万人」 正:「現在特別永住者が40万人弱,コリア系日本人(帰化者および親が日本人と結婚したことで日本国籍を持っている人)は33万人」
それでは訂正されたこの数字は、正しいのかどうか? 在日韓国居留民団のHPにある「在日の統計」を見てみます。
http://www.mindan.org/shokai/toukei.html
これによると特別永住者は395,234人ですから、「40万人弱」は正しい数字です。
問題なのはコリア系日本人の「33万人」という数字です。これは「帰化者および親が日本人と結婚したことで日本国籍を持っている人」を合わせた数字ということになっています。 ところが民団の統計数字では、帰化者数は合計で327,550人ですから、「親が日本人と結婚したことで日本国籍を持っている人」は、33万人-32万7550人=2,450人ということになります。
民団の統計では、在日の婚姻数は毎年9000件前後、うち同胞同士の婚姻は10%もありません。他のほとんどは日本人との婚姻です。とすれば、日本人との間にできる子供は、毎年数千人になるだろうし、これまでのものを合計すれば十万人をはるかに超える数字になるだろうと容易に推測できます。間違いとされた当初の「20数万人」が、正しい数字なのではないかという気がします。
そうであるのにこの本の訂正版では、「親が日本人と結婚したことで日本国籍を持っている人」が2千数百人という、到底信じることの出来ない数字となっているのです。
「第10章 世界に暮らすコリアン」(論者は李裕淑)という論考。最初の数字の間違いもそうだし、訂正後の数字の疑問点もそうですが、専門研究者の論考としてはちょっとお粗末だなあ、という感想を抱きました。
『現代韓国を学ぶ』(4) ― 2012/06/09
1939年だけでも1万797人が徴用されている。(298頁)
在日韓国朝鮮人の歴史書には、しばしば間違いが見られます。これもその典型的な例です。
国民徴用令は1939年に制定されましたが、その時は朝鮮半島に適用されませんでした。適用されたのは、それから5年後の1944年9月からのことです。 1939年に朝鮮で「徴用」があったとする、この記述は誤りです。
『現代韓国を学ぶ』(5) ― 2012/06/10
日本が「皇民化政策」として創氏改名を強要し、その際、「日本式」の「氏」を名乗るようにしたときの氏を日常生活で用いる名前(通名)として使っているひとが、その(在日)の大部分である。(310~311頁)
在日の通名は1940年に施行された創氏改名に起源があると論じられています。これも在日の歴史では決まり文句のように出てくるものです。これが正しいのかどうか、ちょっと調べてみます。
金英達さんの著作の一つ『創氏改名の研究』(未来社 1997年2月)の30頁にある、「表2 居住地域別の‘氏設定届’件数」の表によれば、日本式の名前に設定すると届け出た割合は、「鮮内」では76.4%、「内地」では14.2%です。従って、朝鮮内では80%近く、日本本国内では15%近くが、日本式の名前になったということです。
逆に届け出なかった人は、‘法定創氏’となって、金や朴などの先祖伝来の戸主の朝鮮名がそのまま創氏されます。つまり、朝鮮では20%以上、日本内では85%以上が、朝鮮名のままであったということです。
つまり当時日本で生活を営んだ朝鮮人の85%は、創氏改名に基づいて日本式の名前を届け出ず、朝鮮名のまま創氏したのです。朝鮮内とは状況がかなり違っているのです。
従って、在日は創氏改名の日本式の名前を通名としたのが大部分だとする、『現代韓国を学ぶ』の上記の所論は間違いです。
なお戦後、外国人登録における通名は、創氏改名時の名前にこだわることなく変えることができます。現在の在日の通名が創氏改名に起源があるというのは、そういう人もいるし、そうでない人も多い、というのが正解です。
『現代韓国を学ぶ』(6) ― 2012/06/11
皇民化政策とは、大日本帝国が占領地で住民を天皇に忠義をつくす皇民にするためにとった施策。朝鮮では「皇国臣民の誓詞」の斉唱、日本語の使用、神社参拝、創氏改名などを強制し、民族文化の著しい抑圧を行った。(323頁)
これも朝鮮の歴史によく出てくる決まり文句です。このうちの「日本語の強制」ついて、同じ本の中の「第4章 韓国の歴史」(論者は永島広紀)のなかにある、次のような記述が参考になります。
〉また朝鮮語を禁止し、日本語を強要したことがしばしば批判の対象となるが、朝鮮語文法や綴字法を整理し、学校教育の場でこれを普及させたのは朝鮮総督府であった事実は忘れられている。‥‥日常生活の場で朝鮮語の使用が禁止された事実はなかったし、人口の多数を占める朝鮮民衆にとって日本語のみの生活は、どだい無理なことであった。(100~101頁)
これは後者の永島氏の論が正しいです。
朝鮮は日本の植民地でしたから、官公庁で使われる言葉は当然のことながら日本語です。植民地で宗主国の言葉を公用語とするのは、世界史上でも当たり前のことです。例えば、イギリスの植民地であったインドや香港は、英語です。それと同様に、日本の植民地であった朝鮮でも、当然日本語が公用語です。
そして宗主国の言葉が公用語ということは、普段の日常会話は自分たちの民族の言葉であったということで、日本語の強制はあり得なかったのです。
「日本語の使用を強制し、民族文化の抑圧を行なった」とする、標記の論は間違いです。
『現代韓国を学ぶ』(7) ― 2012/06/13
前回の『現代韓国を学ぶ』(6)に列挙された皇民化政策のなかで、「神社参拝‥を強制し、民族文化の著しい抑圧を行なった」とあります。
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/11/6476173
ところが、『在日コリアンの歴史』(明石書店 2006年2月)の44頁には、「朝鮮神宮に参拝させられる、チマ・チョゴリを着た女性たち」というキャプション付きの写真を大きく掲載しています。論者は他のところですが、この本の引用をしていますから(318頁)、当然この写真とキャプションも見ているでしょう。、
民族服を着て神社参拝することが、「民族文化の著しい抑圧」になるのでしょうかねえ。
『現代韓国を学ぶ』(8) ― 2012/06/15
この本の「第10章 世界に暮らすコリアン」は、これまで論じてきたように間違いが散見され、またそれ以外にも疑問な記述が多いものです。文章自体が十分にこなれたと言えるものではなく、私にはこれまで読んできた在日に関する本よりも後退した論文という印象を受けました。
しかしこの本の編者である小倉紀蔵さんは、「本書に執筆していただいたのは‥‥独立心に富んだ、第一級の研究者の方々」(はしがき ⅳ頁)と高く評価しておられます。とすると、この第10章のレベルが、今の日本では最高水準ということになります。
私は、在日の歴史の研究はプロパガンダが多く、地道な実証研究が少ないと論じたことがあります。今回この第10章を読んで、日本における在日の研究はまだその段階から抜け出ていないようだ、と感じました。
二つの名前を持つこと ― 2012/06/27
このごろ韓国の新聞を読んでいると、時折二つの名前(本名と通名)を持つ人の話が出てきます。
たとえば朝鮮戦争後、貧しかった韓国で医療や福祉活動したキリスト教関係者は、全部ではありませんが、本名以外に韓国名を持っていました。彼らは祖国に帰国して今はかなりのお歳になっていますが、当時の苦労を偲ぶのか、韓国を訪問してマスコミのインタビューを受けて、登場するのです。
最近の記事では、「朝鮮日報」2012年6月21日付けに、1960年代の韓国の順天で結核診療所で働いていた韓国名イン・エジャ、米国名 ロイス・リントンさんのインタビューがあります。彼女は韓国では韓国名を名乗っていたのです。
またこれまでには、アメリカに渡って成功した韓国人が、米国名と韓国名の二つの名前で登場する記事が、時々出てきます。
ここで1970年代に、日本における在日の本名を呼び名乗る運動を思い出します。この運動を担った活動家は、日本は我々に日本名を強制している、これは民族差別だ、という主張でした。その理屈付けとして、そもそも人が二つの名前を持つこと自体が不自然なのだとか、韓国人は昔から名前を変えることは全くの恥としているのに、日本人は無理やり日本名を名乗らせているのだとか、言っていました。つまり、在日が通名=日本名を持つことは、日本社会による在日への人権侵害だというものでした。
私も当初はこの考えに同調していたのですが、段々と疑問を持つようになっていきました。
そして今では、本名と通名の二つの名前を持つ人が韓国のマスコミにごく自然に登場するのをみると、在日が二つの名前を持つことは人権侵害でないことを確信しています。
(拙稿 参照)
第21題 「本名を呼び名乗る運動」考
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai
第85題 (続)「本名を呼び名乗る運動」考
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai
第84題 「通名と本名」考