死刑の「閉鎖性」なぜ悪い? ― 2008/10/30
去る28日に二人が死刑執行されて、死刑制度について再び議論されています。
この議論のなかで、日本の死刑制度の閉鎖性を問題にする意見があります。
>特に国連事務局やEU外交官には、日本への不信感が強い。それは、先進主要国中、死刑維持国は米国と日本だけであることに加え、日本の死刑の閉鎖性のためだ。‥‥ 一方、今年の国連報告は、日本の死刑が本人にさえ直前まで知らされず、家族や弁護士には執行後にしか連絡されないとして、その閉鎖性を指摘。 > http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081029mog00m040002000c.html
「閉鎖」の反対語は、「公開」です。 死刑の「公開性」を進めている国としては、北朝鮮があげられるでしょう。 広場に人を動員して集めて、その目の前で公開処刑します。死刑の「閉鎖性を否定」=「公開性」というのは、こういうことでしょう。
つまり死刑の「公開性」とは、晒し者にする、ということと同じです。逆に「閉鎖性」とは、晒し者にしない、ということです。 結局は、どの程度の「晒し方」がいいのか、という議論になります。
死刑の「閉鎖性」だけを問題にするのは、いかがなものかと思います。