戦前の朝鮮人へのイメージは良かったのか ― 2019/10/12
『ニューズウィーク日本版』(2019年10月9日付け)に、「戦前は『朝鮮人好き』だった日本が『嫌韓』になった理由」と題する記事がありました。 そのなかに次のような一文が目に引きました。
https://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2019/10/post-287.php
本記事で指摘される興味深い事実の1つは、日本人の「韓国人観」の変遷だ。1941年に元大阪学芸大学の心理学者・原谷達夫氏らが日本の小学生~大学生を対象に12の人種・民族集団について持つ信念や態度を調査したところ、朝鮮人への好感度は日本人、ドイツ人、イタリア人に次いで4番目に高かった。嫌韓どころか、「好韓」だった時代があったのだ。
それが、敗戦直後の1946年には最下位である12位に落ちる。その後、2000年代には韓国に対する態度は比較的ポジティブだったのが、2012年には急激に悪化した。(内閣府「韓国に対する親近感」調査)
戦前の日本人は朝鮮人に対するイメージが良かったというものです。 これはこれまで世に広く、日本は朝鮮を植民地化して朝鮮人を蔑視してきた、その植民地主義的な民族差別意識が戦後も続いて今に至っているのだ、と教えられてきた歴史とは違っています。
戦前は朝鮮人のイメージが良かったという話は、20年以上前に発行された本ですが、鄭大均『韓国のイメージ』(中公新書 1995年10月)にも出てきます。
表1は、楠弘閣が1939年と1949年に行なった「日本人学生」の「諸民族」に対する好悪調査の結果を、鈴木二郎が整理したものである。(鈴木二郎『人種と偏見』紀伊國屋書店 1969 126頁) 同調査は、戦前から戦後にかけての朝鮮人イメージの変化をうかがうことのできる貴重な資料であるが、印象的なのは、1939年調査で、比較的好感度の高い集団として位置づけられていた朝鮮人が、1949年調査では、最も好感度の低い集団に転落していることである。
多分、重要なのは、日本人がかつて朝鮮人との間に共有していた運命共同体の消失と戦後の日本社会における在日朝鮮人の行為という二つの要因であろう。 「内鮮一体」や「内鮮融和」のスローガンが示すように、1939年当時の日本人にとって、朝鮮は「大日本帝国」の版図の一部であり、1932年満州国建国、1937年日中戦争と時局が推移する過程で、その国策的要請は高まっていた。 敗戦後、こうした運命共同体が消失した時、朝鮮人に対する眺めが変化したのは当然のことであるが、好感度がかくも急激に下落したのは、終戦直後の在日朝鮮人の行為が日本人の心に植え付けた印象であろう。 (以上 2頁)
ここの「表1」というのは「日本人学生の諸民族に対する好悪」と題するもので、次の通りです。
順位 1939年 1949年
1 日本人 日本人
2 ドイツ人 アメリカ人
3 イタリア人 ドイツ人
4 満州人 フランス人
5 朝鮮人 イギリス人
6 蒙古人 イタリア人
7 インド人 満州人
8 アメリカ人 インド人
9 フランス人 中国人
10 トルコ人 トルコ人
11 黒人 ユダヤ人
12 イギリス人 ロシア人
13 支那人 蒙古人
14 ユダヤ人 黒人
15 ロシア人 朝鮮人
日本人の朝鮮人へのイメージは、終戦を境に大きく変わったと言えるように思えます。
【拙稿参照】
終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495
張赫宙「在日朝鮮人批判」(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714
張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446
権逸の『回顧録』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587
闇市における「第三国人」神話 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai