韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(2)2022/06/28

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/21/9501927 の続きです。    次に「道徳」について、日本人のなかでも韓国と同じような考え方をする人たちがいます。 それは左翼だと小倉さんは言います。

日本左翼は、「韓国人・朝鮮人・在日こそ道徳的で、日本人は不道徳」という枠組みを死守していた。かつて帝国主義の悪辣な日本が朝鮮を植民地支配したことで、そして戦後も韓国へ「経済侵略」を続けることなどを糾弾するために、道徳という概念を使った。(25頁)

この(日本左翼)たちは ‥‥日本の併合植民地統治に対して朝鮮人がすべて抵抗心を持っていたとか、韓国人・朝鮮人・在日はすべて真摯に生きる道徳的な人々である、などという虚構を捏造して日本批判をする。 そのとき、自分たちの目的(日本の保守や侵略性への批判)を推進するために、韓国人・朝鮮人・在日の多様で実存的で魅力的な生をすべて画一化し、「道徳的な怪物」にでっち上げてしまった。(26頁)

 左翼は韓国人・在日らを「道徳的な怪物にでっち上げた」とは、“言い得て妙”ですね。 

このような二項対立(道徳的な韓国・朝鮮と不道徳的な日本)は歴史について何も語らないだけでなく、虚偽の歴史を捏造し、韓国人・朝鮮人・在日の生の多様性と主体性を無化して画一化し、それを単なる利用対象としてしまったのである。 これが蔑視でなくて何なのか。(26頁)

 左翼が韓国人・在日らを「単なる利用対象とした」というは、正にその通りです。 彼らは自分たちの反体制思想を宣伝するために、体制側(戦前復帰とか植民地主義などと表現される)の犠牲となったとされる韓国人・在日を取り上げます。 小倉さんはこれが結局、韓国人・在日に対する「蔑視」であると小倉さんは喝破しました。

 日本批判を繰り返す韓国人・在日の活動家や知識人たちは多いのですが、日本左翼では彼らが重宝されるのでした。 かつての朝鮮問題の集会で、在日活動家が植民地支配の歴史と戦後の差別を滔々と演説し、それを日本人支援者たちが黙って聞き入る、これこそが日朝(日韓)連帯だ、なんてことが繰り返されたことを思い出します。 こういう集会は、今も行なわれているみたいですね。

 小倉さんは以上のような日本左翼だけでなく、右翼=保守派へも厳しい批判を浴びせています。

保守側の「朝鮮半島認識」にも、蔑視の領域に属するものが多い。 それを尖鋭化したのがいわゆる嫌韓派の言説だが、これには民主的な社会の公的空間において到底容認できないレベルのヘイト的なものが多く、実に嘆かわしい。 伝統的に日本人が持っている韓国・朝鮮への強い差別意識の土台のうえに、この20年の間に蓄積された客観的で高度な朝鮮半島認識が都合よく加味されているのが、この嫌韓的言説の特徴である。 つまり嫌韓派は‥‥あたかも自分たちの認識は客観的であるかのように装っている。 しかしここに陥穽がある。 ここには洞察がなく、自分に都合のよい知識の断片をパッチワークしているだけだからだ。(27頁)

嫌韓派の多くは「日本は法治がきちんとしている立派な民主主義国家だが、韓国は情治や人治しかできず、三権分立もできていない前近代の国」という認識をもっている。これは部分的には正しい。‥‥だが、この枠組みが過度な信念体系になってしまうと、あきらかに誤謬の領域に突入し、日本の国益にも著しく反する認識となる。(27~28頁)

 嫌韓派が「誤謬の領域に突入し、日本の国益にも著しく反する」というは、その通りとしか言いようがありません。 しかし当の嫌韓派たちはそれを自覚しておらず、自分たちこそが正義だと勝手に思い込んで、ネット等でせっせと熱心に「国に帰れ!」「国交断絶!」「韓国はウソつきだ!」などの嫌韓投稿をしています。 更に犯罪まで行ったのが、ウトロ放火の有本匠悟でしょう。 

 こういった嫌韓派(ネットウヨ)の存在が、日本は道徳的に下位にあるとする韓国の「道徳論」の材料となっています。 嫌韓派は、韓国の「道徳優位性」主張の根拠をせっせと提供してやっている、という構図ですね。 嫌韓派は自分たちが結局は韓国を応援しているということに気付いてくれればいいと思って、私はかつて彼らと議論したことがあったのですが、やはり無理だと分かりました。

【拙稿参照】

嫌韓は2005年から本格化した  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/01/9477726

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573

韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/21/9501927

コメント

_ 海苔訓六 ― 2022/07/20 18:53

白川静さんの『漢字』や『孔子伝』を読んだときに
日本では『道』という字を『道徳』の意味で考えているけれども儒教文化圏における『道』の概念は『首』の字が入っていることからも分かるように元々は頭部を切断して飾ることが語源だったので、日本人が考える道徳の意味とは本質的にかなり異なることを理解しておく必要があると書いてあったのを思い出しました。
さすがに現在の朝鮮人は人間の頭部を切断して飾るみたいなことはしてないと思いますが、韓国観光した際に市場の精肉店を案内してもらったとき、豚の頭が売られていてギョッとした私に、現地ガイドしてくださった日本語の出来る朝鮮人大学生が
『韓国では家を建てたり自動車を購入した時に一人前になったお祝いで豚の頭を飾って紙幣をくわえさせたりして祝う風習があるので今も精肉店で豚の頭を売る店もあるんですよ』と説明してくれました。
確かに日本人の考える道徳と朝鮮人の考える『道』の概念は全然違うと感じました。

_ 海苔訓六 ― 2022/07/21 13:43

シナ古典たる論語の章句は全499.文字数は約一万三千文字くらいらしいですが、その中で使われている『道』の文字は90文字とのことです。
https://ctext.org/analects/zh?searchu=%E9%81%93&page=2
岩波書店から出ている論語の訳を見てみるとやはり対応箇所は大半『道徳』の意味で使っていて、これを日本人が考える一般的道徳の意味で解釈すると危険ですし、シナ人や朝鮮人の道徳解釈とも齟齬が生じるということですね。
手塚治虫先生の漫画『火の鳥:太陽篇』では冒頭で白村江戦争に敗れた百済軍兵士がが敵の新羅・唐連合軍に首を切断されて並べて天への捧げ物にして並べられているシーンが出てきましたが、あのイメージが『道』で、朝鮮人やシナ人の解釈している道徳なのかな?と思いました。
しかし手塚治虫先生というお方は、本当によく勉強していると感心します。

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