共同通信記事もまた「在日コリアンへ無理解」 ― 2022/05/01
前回と前々回で、4月10日付け共同通信の「『韓国が嫌いだった』京都・ウトロ放火、22歳の男はなぜ事件を起こしたか ヘイトクライムは防げるか」と題する記事を通して、犯人の有本匠吾を考察しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573
ソースの共同新聞記事は下記で、記者は牧野直翔・川村敦です。 https://news.yahoo.co.jp/articles/d17482d71f1526cd88adc552bdfdc335cd148c2c
この記事のなかで、記者は放火犯の有本を「在日コリアンに対する無理解」と厳しく批判しています。
さらにこの手紙は一貫して在日コリアンを「韓国人」と書いている。在日コリアンの中には当然、現在の北朝鮮に当たる地域に出自のある人も数多く存在する。南北分断前の朝鮮半島というルーツを大切にし、韓国や日本の国籍を取らず「朝鮮籍」のまま日本で暮らす人々もいる。出入国管理庁によると、その数は21年6月時点で約2万7千人に上る。こうした存在を無視したような書きぶりからも、被告の在日コリアンに対する無理解がうかがえる。
批判の根拠は、在日には「朝鮮籍」が2万7千人もいるのに、有本はこれを無視して、在日すべてを一貫して「韓国人」と書いていることとしています。 これはその通りであるならば、有本に対し「在日に対する無理解」と批判することは理解できます。
しかし記事には記者の地文として、「在日コリアンの中には当然、現在の北朝鮮に当たる地域に出自のある人も数多く存在する」という、ビックリ内容が書かれています。
ちょっと古いですが民団の2012年在日同胞統計によれば、在日コリアン454,401人のうち、北朝鮮を本籍とする者は2,478人に過ぎません。 率にして0.45%です。 https://www.mindan.org/old/shokai/toukei.html
つまり統計数字では北朝鮮を出自とする者はわずか0.45%で、他は南朝鮮すなわち今の韓国を出自とする者や不詳その他となります。 これで何故「北朝鮮に当たる地域に出自のある人も数多く存在」となるのか? 0.45%は千人中の4~5人程度ですが、これが「数多い」と言えるのでしょうかねえ。
すなわち「朝鮮籍」2万7千人のほとんどは出自が南朝鮮(韓国)であり、主として思想的なことから外国人登録上の「朝鮮籍」をそのまま維持してきた人たちなのです。 (下記拙稿参照)
どうやら記者はこのような「朝鮮籍」者を、「北朝鮮出自」と勘違いしたものと考えられます。 だから「北朝鮮出自が数多く存在」と書いたのでしょう。 繰り返しますが、北朝鮮出自の在日は極めて珍しい存在であり、決して「数多い存在」ではありません。
以上の間違いは、共同通信記者の牧野・川村の「勘違い」と言うことが一応は可能です。 しかし記者は、放火犯の有本が在日を「韓国人」と書いていることをもって「在日に対する無理解」という激しい批判の言葉を浴びせました。
そうならば記者は、自分たちもまた「在日に対する無理解」であるという批判を甘んじて受けるべきだと思います。 それくらい恥ずかしい間違いなのですがねえ。
これを書きながら、私もまた人を批判する時には、自分がそれに値する人間かを常に顧みなければならないと自省します。
【拙稿参照】
ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690
ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573
中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589790
中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593507
中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/16/8598422
中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/22/8601961
中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/25/8603941
在日の「朝鮮籍」選択ー毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/13/9059048
在日の生活保護について ― 2022/05/06
京都のウトロと愛知の民団を放火した有本匠吾は、在日の生活保護受給に対して
「最低保障であるはずの生活保護すら役所に断られる方が大勢いる中で、日本国籍を持たない在日外国人を変わらず援助し続ける様態に、どれほどの方が不快感を抱いていたことか、当時のネットの声の数々を見た限りでも想像を絶した」と持論を展開していた。
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690
この記事から、有本は在日の生活保護についてその経緯や法的根拠などがほとんど無知であり、また生活保護を受けている在日と知り合ったこともないと分かります。
拙コラムでは、在日の生活保護について下記のように論じています。 10年前とちょっと古いものですが、基本的に私の考えは変わっていません。
ご笑読いただければ幸甚。
【拙稿参照】
ある在日の生活保護 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/19/6449827
もう一人の在日の生活保護 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457698
在日の生活保護 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/16/6867746
在日の生活保護の法的根拠 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/22/455680
第76題 在日の犯罪と生活保護 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai
生活保護―最低限の文化生活 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/07/6595661
外国人の生活保護 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/11/3066189
生活保護―最低限の文化生活 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/07/6595661
金芝河(キム・ジハ)の死去 ― 2022/05/10
韓国の詩人の金芝河が去る5月8日に亡くなったというニュースが流れました。
今は金芝河(キム・ジハ)なんて知らない人がほとんどでしょう。 1970~80年代、韓国に関心を持った日本人なら誰でも知っている超有名人でした。 しかし数十年経った今、彼の死のニュースは日本では軽い扱いですね。 https://news.yahoo.co.jp/articles/7284875eeb0ceef87345a47f8b35accf06280b0e
彼に関心のある方は、検索して調べてください。
また彼については、拙コラムで論じたことがありますので、ご笑読いただければ幸い。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/06/8798456 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/19/8853751
ところで彼がその後どう変わっていったのか、そして今の韓国でどう評価されているかについて、日本ではあまり知られていないようですですね。 かつての超有名人が、もはや関心外になってしまったということでしょう。
韓国では、進歩派の『ハンギョレ新聞』では「変節」「思想転向」などと厳しく批判されています。 https://japan.hani.co.kr/arti/culture/43402.html
また保守派の『朝鮮日報』では「中庸」などと書かれています。 https://www.chosun.com/culture-life/culture_general/2022/05/08/BNTNFFIPIZA6ZBD5K72ZPG3RQU/
いずれにしても、韓国では金芝河に対する関心は、まだ高いようです。
【拙稿参照】
金芝河の告白 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/06/8798456
神のように祭り上げられた金芝河 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/19/8853751
「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1) ― 2022/05/17
ちょっと古いですが、韓国の主要紙『朝鮮日報』2022年3月5日付けに、「ソン・ウィダルが出会った人」というコラムで「『新両班社会』の著者で人類学者であるキム・ウンヒ博士」と題する記事がありました。 16世紀末~20世紀初の李朝時代後期の「両班」社会理念が、現代韓国の進歩派の間で復活していると論じるものです。 https://www.chosun.com/culture-life/culture_general/2022/03/05/R2KULV4EVZCQRL5GZPWZNUQB3I/ 興味深かったので、翻訳してみました。 まずは記事内容のあらましです。
―「親日清算」を叫ぶ南政府と「抗日パルチザン」を称賛する北政権は驚くほどに瓜二つ
―政治・経済・社会・歴史観などで、韓国のエリートたちの考え方が李朝後期へと退行している。 「成長」より「均等・分配」を強調し、「持つ者」を敵対視する抑強扶弱を叫ぶ政治家たちが多くなったのが証拠だ。 これは貧富の格差がなく、全てが等しく暮らす農民社会を志向した李朝時代の儒教経済観の完璧な復活である。
―先月下旬に『新両班社会』という著書を出した人類学者のキム・ウンヒ博士が下した診断である。ソウル大学衣類学科75回生である彼女は、1993年アメリカのシカゴ大学で人類学位を受け、中央大学の兼任教授と韓国学中央研究院の専任研究員等をしている。2016年の夏からSNSで意思疎通を増やしている。
―キム教授はこの本で、586世代の運動圏を始めとする韓国の進歩志向の考え方と世界観を文化人類学的観点からメスを入れた。 「586世代、彼らが言う正義というのは何なのか」という副題を付けた。 記者は今月の初め、キム博士と電話と書面でインタビューした。
「586世代」というのは、韓国において2010年代以降に年齢が50代で、1980年代に民主化・学生運動に関わった1960年代生まれの人々を指します。 「50代」「1980年代に民主化・学生運動」「1960年代生まれ」の数字から「586世代」という言葉が生まれました。 十数年ほどの年代差がありますが、日本の全共闘世代に相当すると言えます。
「両班」とは、李朝時代において‶士農工商″身分制度の最高位の「士」(士大夫)に当たるものです。 その詳細はこのインタビューである程度理解できるとは思いますが、やはりご自分でお調べになるのがいいでしょう。 その実態を初心者向けに解説したものとして、尹学準『オンドル夜話』(中公新書)、『歴史まみれの韓国』『韓国両班騒動記』(亜紀書房)をお勧めします。 朝鮮史の専門家のものとしては宮嶋博史『両班―李朝社会の特権階層』(中公新書)があります。
―今大韓民国が「新しい両班社会」に向かっていると見るのか?
そうです。壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)から朝鮮滅亡までの300余年間の李朝後期両班社会の統治理念は「徳治」でした。 義と礼を追求する君子が、自分だけの利益を追いかける小人を教化し支配するのが徳治です。 1990年代の初め、文民政府出発でひそかに蘇った「徳治」の亡霊が、21世紀の韓国進歩陣営を徘徊しています。
―具体的にどんな事例があるのか?
2・3年前に発生した「曹国(チョ・グク)事態」と「尹美香(ユン・ミヒャン)事態」からそうです。両班たちが君子と小人を区分したように、曹国と尹美香の支持者たちは韓国社会の構成員を、社会正義のために生きて来た運動圏である「両班」と自分の利益に忠実な既得権・積弊勢力である「小人」とに分けました。 大義に献身してきた活動家に法律的な物差しを当ててはいけないと、彼らは強弁します。 道徳的優越性が法治よりはるかに価値があり重要だという理由です。
子女が名門大学に入学するための入試不正と市民団体の会計不正は、市民社会の根幹である信頼を壊す深刻な犯罪行為です。 しかしこの二人の支持者たちは、「正義である」ことで生きて来た曹国・尹美香の犯罪行為を認めませんでした。彼らにとって「正義である」社会は道徳的に優越する人たちが統治する両班社会であって、法治を基盤とする近代市民社会ではありません。
―他の事例があるとしたら?
文在寅政府が5年間ずっと繰り広げてきた「親日清算」です。 両班社会の統治理念である「性理学の義理」論から見ると、道徳的価値は命よりも重要で、植民地の時代から「親日協力」は許されない背信としています。 586運動圏は同一の論理で、自分の利益すなわち出世のために生きた親日反逆者たちを処断し、正義の独立運動家たちを韓国社会の中心に復権しようとしています。
―彼女は「文在寅政府が独立運動家の子孫に対する礼遇を大幅に強化したのは、道徳的に優れた「君子」の子孫は代を継いで礼遇してあげねばならないという両班意識の発露」だとして、次のように言った。
故 朴元淳ソウル市長は、独立運動有功者の4~5代子孫まで、大学の学費を支援する「独立有功者奨学金」計画を出しました。 2021年、ソウル市の「独立有功者奨学金」は6代子孫まで学費を支援しています。 国家有功者法は、就職試験の当落に決定的に影響する5%の加算点を有功者の家族に今も付与しています。
―これは民主社会の平等原則を破るものではないか?
アメリカは戦争参加軍人を含め、国家有功者に対する支援を、本人とその配偶者、未成年の子女など、当代の核家族に制限しています。 6・25(朝鮮戦争)に参戦した軍警の遺族に、ソウル市が支給する毎月10万ウォンの生活支援金は、独立有功者の半分に過ぎません。 我が国の独立有功者は、すべて戦死者たちを平等に追悼する現代の国民国家の原則からも外れています。
「両班」を理解しようとしたら、「朱子学」「性理学」「君子と小人」「党争」「門中是非」などを知らねばならないのですが、これが難しいです。 『朝鮮儒教の二千年』(朝日新聞社) 『韓国は一個の哲学である』(講談社現代新書)等の本がありますが、読んでもチンプンカンプンでしょう。 何か簡単に分かりやすく説明してくれるものはないかと探してみましたが、見当たりません。
やはり今のところ、上述した尹学準『オンドル夜話』等あたりが分かりやすくていいと思われます。 この本に出てくる「党争」「門中是非」を今の韓国の進歩・保守派の対立になぞらえると、興味深いものです。 李朝時代の両班社会が現代韓国に形を変えて復活したとするキム・ウンヒ博士の主張が、かなり理解できると思います。
【拙稿参照】
朝鮮に封建時代はなかった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402
【追記】
昨日は、京都のウトロと愛知の民団建物を放火した事件の初公判でした。 放火犯の有本を応援するレイシストたちがどれくらい集まるかに注目していましたが、これについての報道はどこもありませんでしたねえ。
ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690
ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573
李朝の「両班」理念が復活した韓国(2) ― 2022/05/24
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/17/9491298 の続きです。
―親日清算と関連して、文在寅政府は「独立運動精神」学習を、そして北朝鮮政権は「満州抗日パルチザン運動」を強調しているが、互いに似ているように見える。
その通りです。 韓国の運動圏政府と北朝鮮の金正恩政権は、統治の正当性を「抗日闘争」と「精神」から探しているという点で、驚くほどに似ています。 「ろうそくデモは独立運動精神の継承」と文大統領は言いました。 この宣言は、世襲の正当化のために満州抗日パルチザン運動を神聖視する北朝鮮政権と瓜二つです。 金日成の家系を頂点にしたパルチザンの子孫たちは、北朝鮮社会の「最高特権層」であり、金正恩の一番熱烈な支持集団です。
親日清算を巡り、韓国社会が今なめている葛藤の中心には「誰が道徳的に優位か」という問いがあります。 この問いは「現代韓国社会の両班は誰なのか」の問題でもあります。今、南・北の政権は共通して「武装独立運動は絶対善であり、親日は絶対悪と確信しています。
インタビュー記事が「『親日清算』を叫ぶ南政府と『抗日パルチザン』を称賛する北政権は驚くほどに瓜二つ」という副題を付けた所以は、この部分ですね。
―このような歴史観は、近代的で妥当なのか?
戦争能力がとんでもなく不足する状況でも、生命を捨てて最後まで「抗日」、すなわち「義」を実践せよと要求して称賛することは、日本の軍国主義の神風特攻隊を称賛することと同じです。 現代の韓国人たちが20世紀初めの抗日武装闘争精神を継承せねばならないと、私は考えません。 進歩勢力は、人民の生命と財産、人権を軽視した李朝後期の斥和(日本を排斥すること)論や衛正斥邪(国家の正学である朱子学を守り、その他全ての学問を排斥する)派の前近代的な歴史観にとらわれています。
―その論理なら、586運動圏は我が社会の新しい「特権層」になる。
そうです。 これは、全ての市民は家門と経歴、評判に関係なく、法の前で平等だとする近代社会の法治主義を正面から無視するものです。 新しい特権層の登場は、近代市民の基本権である個人の平等と自由を破壊し、全体主義化を引き寄せます。 医師・経営者・エンジニアのような専門家たちも、運動圏政府の監督・監視の対象です。彼らを統制しなければ、利己主義と貧富格差で不正義の社会になるという理由からです。
近代市民社会の特徴は、反日民族主義を社会正義だと考える集団とこれに反対する集団が共存するものです。 二つの集団のうち、どちらの集団が道徳的に優越すると推定する方法はありません。互いに違う考えを認めるのが正常な近代社会です。 しかし徳治を崇める道徳社会は、思想の自由と思惟の共存を許容しません。 そんな点で曹国・尹美香事態は、韓国社会が政治と道徳が分離していない両班社会に戻って行くのか、そうでなければ全ての市民が道徳的に平等な多元的市民社会に前進するのかという選択課題を投じてくれました。
両班体制という制度は李朝の滅亡とともに消え去りましたが、社会の「指導層」が国民を「指導」するくらいに道徳的に優越せねばならないという文化的感情は、韓国社会にそのまま生きています。
かつての韓国の軍事独裁に抵抗し、その後政権を掌握するまでに至った民主化勢力は、「586運動圏」「進歩」などと言われます。 彼らは自分たちが「道徳的に優位に立って他の国民を指導し統制せねばならない」という使命感を持って、韓国社会に臨みます。 ですから彼らが韓国社会の主導権を握ると、「道徳的に下位」にあると見なす保守派に対して厳しい姿勢をとります。
それは「法の下では全てが平等」という法治主義ではありません。 「586運動圏」「進歩」は、自分たちの考える「道徳」でもって社会を動かそうとする「徳治主義」となり、そして自分たちがその「道徳」を独占する「特権層」となります。 それは正に李朝時代の「両班」と同じなのです。 このキム博士の説明は、私には納得できるものです。
「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/17/9491298
李朝の「両班」理念が復活した韓国(3) ― 2022/05/31
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/24/9493453 の続きです。
次に「両班」と化した現在の「586運動圏」「進歩」は、盧武鉉や文在寅大統領を担いで政権を掌握しました。 キム博士は続けて論じます。
―1人当たりGNP3万ドルの富国である韓国が新両班社会になるなんて、あり得るのか?
文在寅政府が推進した「利益共同体」、「社会的企業作り」、不動産「投機」を懲らしめる「賃貸借3法」などは、個人が利益を追求し富を蓄積する日常的な行為まで抑圧する反資本主義的政策です。 ここでは富の均等な分配を最優先する儒教的経済観が深く反映しています。
―朴正熙大統領はどうなのか?
彼の執権が「革命」か「クーデター」か、朴正熙のリーダーシップは文化的観点から見る時、「革命的」でした。 朴正熙が掲げた「豊かに暮らそう」「働く政府」のようなスローガンは、富の蓄積を罪悪視して商工人を冷遇した李朝両班のリーダーシップとの決別だった。 朴大統領は「株式会社韓国(Korea Inc.)の創業者でありCEO」だった。彼は、無能で怠け者である両班の理念でもって自由な経済活動を妨害してきた儒教文化を退けました。
―「経済民主化論」は、どうか?
儒教的経済観は、民主化運動をした政権の度に増幅してきました。 初代文民政府である金泳三大統領の時から「(富を)持つことが苦痛になるようにしよう」「お金のある者が権力まで持ってはダメだ」と言って、金持ちを叩きました。 文在寅大統領は2020年6・10民主抗争記念の式辞で「平等な経済は私たちが必ず成就せねばならない実質的民主主義」と言いました。 正義と道徳、等分を核心とした李朝後期の両班社会と何が違いますか?
文在寅政府の5年間、ずっと公務員の待遇がよくなり、公務員試験受験生が急増した反面、企業家精神と経営者の士気は大きく衰退しました。 このような現象は、やはり李朝後期の「士農工商」の観念がどの政権の時よりも強く投影され表出した結果です。
―本では、「韓国の民主主義は‶天命″と‶民心″を掲げた李朝後期の性理学者たちの世論政治をそのまま引き継いでいる」と指摘していたが。
そうです。 韓国の民主主義の特徴は、集団としての国民が法の上に存在するという点です。 これは、ほとんどの民主主義が「法」の支配を受けても「国民」の直接的支配は受けないということと大きく違います。 イギリスの言論人であるマイケル・ブリンが指摘したように、韓国社会では「国民たち」が激怒すれば、公正な法的手続きや客観的な証拠、弁護と人権などは重要ではなくなります。 「国民」は「野獣」に変わり、法を実行する人たちは野獣に服従します。
ブリンの表現のように、韓国は「国民を神として仕える社会」です。 これは「諫官(主君の非を諫めること仕事をする職)」と「ソンビ(学識のある士人―両班とほぼ同じ)」たちを通して形成された世論は、王様も服従せねばならない「天命」であり「民心」であるという李朝後期の両班社会の焼き直しです。
「韓国の民主主義の特徴は、集団としての国民が法の上に存在するという点です」というところは、いわゆる「国民情緒法(法よりも国民世論が優越する)」です。 詳しくは「国民情緒法」で検索してみてください。
―西欧の民主主義国家はどうか?
西欧の市民社会で、世論は政治行為で参考にする要素であるだけで、絶対的な命令や指針ではありません。 アメリカでは、ニクソン大統領が弾劾訴追されて1972年8月に辞任するまでの約2年の間、事実(fact)関係に対する厳正な捜査が進められた。 しかし朴槿恵大統領はろうそくデモが始まって何週間かして国会で弾劾が決定され、また三ヶ月して憲法裁判所が満場一致で弾劾を認めました。 国民の即興的な判断は、無条件に肯定し信頼できるのでしょうか?
キム博士は、このまま行けばどうなるかを考察します。 なおこのインタビューは保守派が勝利した3月9日大統領選挙より以前のものですから、これを念頭に入れてください。
―韓国が「新両班社会」にずっと突っ走っていくなら、どんな結果が生まれるのか?
法治の崩壊を経て、思想・言論の自由の消滅、権力の中央集権化が深化することになります。 正義と道徳を独占する少数の特権層が全体を統治する北朝鮮・中国・ロシアのような独裁的全体主義が韓国でも広がるでしょう。 そうなれば経済的成功は段々と消えさり、国民はまた貧しくなっていきます。
―そんな流れを止めようとするなら、何が必要なのか?
高度の分業化がなされた産業社会である大韓民国で、農村共同体意識に基づく新両班社会は旧時代の遺物であり、幻想です。 韓国社会が市民社会に発展しようとするなら、世論に振り回されずに、自分なりに考える批判的思考(critical thinking)能力を持った個人が多くなければなりません。 そうでないなら、選挙で一人が一票の投票権を持つ民主主義は何の意味がないのです。
両班社会はこのまま行けば、「正義と道徳を独占する少数の特権層が全体を統治する北朝鮮・中国・ロシアのような独裁的全体主義が韓国でも広がるでしょう」と展望しています。 こうなると北朝鮮・中国・ロシアは両班社会のなれの果てであり、韓国はそれを追いかけているということになりましょうか。
ところで今度の尹錫悦政権は、民主化勢力によって両班社会化した韓国をどうしようとするのか。 じっくり観察せねばならないところです。 (終わり)
【拙稿参照】
「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/17/9491298
李朝の「両班」理念が復活した韓国(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/24/9493453
朝鮮に封建時代はなかった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936
法治国家かどうか疑問の韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/19/7496467
法治主義と儒教 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/23/7500552
法に対する思想が根本的に違う日本と韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/11/6570566
法より情を優先する韓国社会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/16/6575093
朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335
法を軽視する韓国の民族性 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/01/696793
英雄を救うために法を変えよ―韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/25/7597162
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402