「朝鮮部落」の思い出(2)2022/07/19

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/12/9508262 の続きです。

 朝鮮部落は法的に不法占拠となっている場合が多いです。 しかしそこでは多くの人が家庭を営み、子供を育てていますから、強制退去は難しいです。 ところが強制退去させるチャンスがたまにあります。 それは火事です。

 朝鮮部落に火事が起きると、地主(国有地なら国)はすぐさま裁判所に立ち入り禁止の仮処分を申請します。 仮処分が決まって裁判所の執行官が仮処分の命令書を持って朝鮮部落の火災現場に現れるのは、翌日の朝です。 ですから焼け出された住民はみんなと協力して徹夜して家を再建し(雨風を防ぐ屋根と壁さえあればいい)、執行官が来た時には布団で寝ながら「私はこの通りここに住んでいます」と主張するのです。 執行官はそのような人を強制退去させて路頭に迷わせることは出来ず、諦めて帰るしかありません。 このようにして朝鮮部落の生活は、火事という危機を乗り越えて維持されてきたのでした。

 当時、朝鮮人たちは何故そんな劣悪な住環境を我慢していたのか、 彼らが言っていたことを思い出します。 この日本にはお金を儲けるために住んでいる、お金を貯めていずれ朝鮮に帰るつもりだから家は雨風を防いで最小限のものがあればいい、家にお金をかける必要はない、ということでした。 

 つまり住環境をよくしようという気がなかったのでした。 ですから、朝鮮人たちにとって朝鮮部落は愛着のある場所ではありませんでした。 少なくとも級友や同僚らに、良かったら遊びにおいでと気軽に言えるような場所ではなかったのでした。

 以上は朝鮮部落について、もう何十年も昔の思い出です。 朝鮮人と周囲の日本人とは緊張関係にあり、隣人として仲良く付き合うなんて考えられなかった時代でした。

 ところで話は飛びますが、それより数十年もさかのぼる植民地時代の朝鮮では植民者の日本人が隣の朝鮮人と家族ぐるみの付き合いをし、娘がその朝鮮人の家でキムチを一緒に漬けて作り方を覚えてきたというような話を複数で聞いたことがあります。 戦後日本に引き上げて周囲に朝鮮人が全くいない地域に住みながらも当時を思い出して本格キムチを漬けてきたというのですが、その話を聞いた時はビックリしましたねえ。 朝鮮人と日本人との関係は、戦前は良好だったが、戦後になって悪くなったと言えるのかも知れません。

 私には以上のような思い出がありますから、京都ウトロ地区では朝鮮部落を保存し、記念館を建てるということに違和感を持ちました。 ウトロ地区の朝鮮人たちは自分たちが生活した地区(部落)に愛着があったということなのだろうか? 粗末な自分の家を見せて恥ずかしいと思わなかったのだろうか? 周囲の日本人から厳しい目で見られた記憶がよみがえらなかったのだろうか? 

 ここでムクッと思います。 差別問題を訴える時に、被差別者がこれほど苦労しているんだということを見せるために、その惨めな生活を多くの人にさらけ出すことがあります。 そうすることによって、みんなの同情を喚起し関心を集めようとするわけです。 そういう方向に一旦走り出すと、被差別者は自分たちが悲惨であればあるほど周囲から同情されるのが当然だと考えるようになります。 そして自分たちの実際に体験してきた惨めな生活を見ず知らずの人たちに平気で見せることに、ためらいがなくなります。

 このような差別問題の扱い方が、在日朝鮮人の間にも広がっているのだろうか。 そう言えば、在日は日本の植民地支配によって無理やり連れて来られ、解放後も日本社会と政府から差別と抑圧を受けてきた、という被害者性ばかりを強調する本が多いですねえ。 (終わり)

【拙稿参照】

「朝鮮漬け」の思い出(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/17/9327581

「朝鮮漬け」の思い出(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/22/9329211

マッコリ(タッペギ)とシッケ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/28/9331179

「朝鮮部落」の思い出(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/12/9508262

コメント

_ 海苔訓六 ― 2022/07/21 05:53

今は便利な時代で国勢調査のデータから在日朝鮮人の集中地区を知ることができます。
各都道府県で一番たくさん在日朝鮮人が集中している地区がその都道府県の主要な朝鮮部落ということになるかな?と思います。
http://area-info.jpn.org/KorePerPop210005.html
たとえば、岐阜県では御嵩町という田舎町が最も在日朝鮮人の比率高いですが、ここはかつて炭鉱があって朝鮮人労働者がたくさん働いていた、だから朝鮮部落が形成されたのではないかと推測できます。
http://area-info.jpn.org/KorePerPop180009.html
福井県だと敦賀市に大きな朝鮮部落があるようですね。
島根大学の内藤正中先生が主に島根県内の在日朝鮮人について考察した学術論文がありますが
https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/0/2105/20170425024932723273/a0020011h002.pdf
仲仕・運搬夫が146名と、在日朝鮮人の主要な職種のひとつである旨の記述がありました。
敦賀港は福井県最大の港です。「重要港湾」と、県庁所在地の福井港よりも法的に格上の扱いになっています。

つまり、敦賀は大きな港湾都市だったため、戦前から朝鮮人労働者がたくさん住んでいた、その名残で今でも比率が高いのではと想像します。

こういうこともあまり深く突っ込んで調べると差別だとかなんだとか批判を受けるかもしれませんが、朝鮮部落の成り立ちが色々推測できて面白いと感じました。

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