50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(2)2023/03/01

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241 の続きです。

 田中明さんは、朝鮮問題に関わる日本人が「朝鮮に対する偏見に満ちている」自分に気づき、「罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉」「偏見を打破しようとする正義の言葉」「驚くほどの朝鮮讃仰の言葉」を発する、そんな姿があったことを明かしました。 これは当時を知る私には、全くその通りと言うほかありません。 こんな言葉を聞かされた在日は、

「それは日本人のどうしようもない体質だ。 それが気になるのなら、お前たちで改めろ。 われわれに言ったところで仕方があるまい」とおっしゃるかも知れません。 だが在日朝鮮人の側に、そうした日本人の性急ないい子ぶりと、なじみ合っているのではないでしょうか。

 これもその通りだったと言うほかありません。 在日は自分たちが日本から差別されていると告発し、日本人はただ頭をうなだれ恐縮してそれを拝聴する、これこそが日本人と在日との連帯だと言われていたものでした。 「日本人の性急ないい子ぶり」という表現は、言い得て妙ですね。

日本人の他のアジア民族に対する反省というものは、他のアジア人から「よく思われたい」という少女趣味的道義論のレベルをでていない、と小生には思われます。‥‥ 誰も他のアジア人が100パーセント聖なるものとは思っていないのに、相手からよく思われたいために「彼は完全善、我は完全悪」という〝反省″一辺倒の言葉が乱舞しています。 そこには、彼の是非と我の是非とを対置させて論ずるときの、対等の相手との間に醸し出される緊張がありません。

 当時は日本の革新・左翼人士たちは「アジア人民との連帯」を叫んでいました。 彼らが「アジア人から〝よく思われたい″という少女趣味的道義論」であるとする田中さんの表現は、成程と思います。 これも言い得て妙です。 なお「少女趣味」というのは、今では女性差別だと批判を受けるかも知れません。

 当時、被差別者とされる在日韓国・朝鮮人の活動家は日本人を差別者と糾弾し、反省と謝罪を要求していました。 それに対して一部の日本人からは「『彼は完全善、我は完全悪』という〝反省″一辺倒の言葉が乱舞」していたという実情は、確かに存在していました。 差別者である日本人は被差別者である在日に対し、〝私たちが間違っていました″と謝罪して限りのない反省を約束する、こういう人間関係を目標としていたなあと思い出されます。

 このような「被差別者を善人、差別者を悪者」とする人間関係は、在日韓国・朝鮮人だけでなく部落やアイヌ、障害者等の問題においても要求されていました。 私はこれを「被差別正義」と呼びましたが、これは今でも日本社会の一部に強固に残っていますね。 (続く)

【拙稿参照】

50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241

被差別正義         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/06/5270853

パク・チョンスで見る韓国人の考え方―『中央日報』 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/10/06/9531169