朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(2)2025/12/03

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/11/26/9819692 の続きです。

 今は亡き作家の金達寿は、著書『わがアリランの歌』で、次のように語っています。

1932年(金達寿は小学三年)‥‥従兄(本家にあたる)は私を源氏前小学校へつれていく途次、なにを考えたのか急に立ちどまると、「おまえは学校では、金山忠太郎という名にしよう」と言って、自分の掌に指でその字を書いて見せてくれた。‥‥ 在日朝鮮人はいまもまだそういうことがあるが、たいていみな本名のほかに日本名をつくって、それを日本人社会では通名として使っていた。 それで私の兄も当時「金山清吉」といっていたから‥‥従兄は私も「金山忠太郎」にしろというわけだった。

‥‥しかし先生は‥「金山忠太郎」という名については異議をとなえた。 「いや、名前は金達寿という本名そのままのほうがいいです」と先生は‥はっきりとそう言った。 ‥私を担任してくれた山内喬木先生で、私はこの先生のおかげで小学校では「金山忠太郎」などというものにならなくてすんだのだった。 (金達寿『わがアリランの歌』中公新書 昭和52年6月 65~66頁)

 金達寿は本家筋の従兄から便宜的に「金山忠太郎」にするように言われたのですが、小学校の担任から金達寿(きん・たつじゅ)のままがいいとされて、本名で通うことになりました。 しかし金はその後学校を出て仕事するときに、この「金山忠太郎」を使います。

神奈川県の横須賀で、そこにあった電気館という映画館の映写技師見習となったとき‥‥私を採用してくれた映画館の支配人が、「日本名はないのかね」と言ったので、私はとっさに「金山忠太郎です」と答えたものだった。 どういうかたちであれ、一度そういうふうに名づけられてみると、それはなかなか忘れられない‥  (同上 66~67頁)

 ところが、金達寿は創氏改名で「金光」となります。

1939年12月からいわゆる「創氏改名」というのが強制されることになり(これは「創氏改名令」の施行予定日決定の公布であり、実際の施行は翌1940年2月からである)、在日朝鮮人が便宜的に使用していた通名どころではなく、朝鮮人全体が日本式の姓名を名乗らなくてはならないことになっていた。 それで私たちも本家にあたる従兄の金鶴寿一家とともに「金光」ということになった (同上 211頁)

 金達寿は神奈川日日新聞に就職する時、この「金光」という創氏改名による名前を使いました。 (同上 211~212頁)

 金達寿の思い出話は、創氏改名より以前に、朝鮮人は来日すると当然のように日本名を名乗っていたことが分かります。 

 

 戦前の朝鮮人は日本に出稼ぎに来ると、早い段階に日本名を名乗る例をもう一つ挙げます。 金一勉は、著書『朝鮮人はなぜ「日本名」を名のるか』で次のように記しています。

1930年代になると、一部の留学生は別として日本在住者(朝鮮人)の大多数は「日本名」をひっさげていた。 その大半を占める労働者といえば、職工、店員、清掃人、土木日雇者、新聞配達、廃品回収(屑屋)、行商人といった日本社会の底辺に密着した者であり、例外なく日本名を持っていた。 その事情をあげると、①日本社会では朝鮮名が馴染みにくい。 ②朝鮮名を名乗っていると異分子として目につき、むきだしの差別を受ける。 ③先住朝鮮人のしきたりに従って日本通名をひっさげる、などであった。‥‥

‥‥ 日本の都会地に住み込む朝鮮人が、日常的に日本名を名乗っていたことは頷けるとしても、山奥の工事場の朝鮮人のみの飯場労働者のほとんどが「日本名」を使っていたことは、当時の「タコ部屋」の存在を考え合わせると注目すべき点である。 長野県南安曇郡梓川村から六里も入った奥地のトンネル工事の飯場では、総勢50人の人夫すべてが朝鮮人であったが、ほとんどが日本名を呼び合っていた。 (以上、金一勉『朝鮮人はなぜ「日本名」を名のるか』三一書房 1978年5月  43頁)

 在日朝鮮人は日本各地の工事現場の飯場で共同生活をしながら働いていたのですが、その飯場には日本人はおらず朝鮮人ばかりですから民族差別なんてあるわけがないのに、お互いを民族名ではなく日本名で呼び合っていたのでした。 同じような話が、金達寿『わがアリランの歌』にも出てきます。

私は‥日大芸術科の学生となっていたが、‥‥栃木県那須野の整地工事場に働きに行ったことがある。 いまでいうアルバイトだったわけであるが、その工事場の朝鮮人飯場には、北海道のいわゆる「タコ部屋」へ「募集人夫」として連れてこられた何人かの者が逃げ込んで来ていた。‥‥

飯場頭がやって来て二・三人の者とちょっとしゃべっていたが、ふと気がついたように、「ああ、そうだ」と、そこにいるタコ部屋から逃げ込んで来ていた男に向かって言った。 「おまえには日本名がなかったな。うん、そうだ、今日から木下一郎ということにしろ」‥‥ まだ日本語を全然知らなかったタコ部屋からの男は、「キノタチロウ」とそれを口の中でそっとつぶやいてみた。 「キノタではない、キノシタイチロウだ」と横から誰かが言った。

すると、向こうで長くなっていた男がむっくり起き上った。 そして、手を振って言った。 「おう、それはいけねえ。 聞いたことがあると思ったら、木下一郎というのはおれの名前じゃないか」。 どういうわけか、日本人の姓としてもそうやさしい読みの方ではない「木下」というのが、在日朝鮮人には多かった。 なにか、理由があってのことだったかも知れない。 (金達寿『わがアリランの歌』中公新書 昭和52年6月 67~68頁)

 朝鮮人ばかりが集まって生活している工事現場の飯場では、朝鮮人たちは民族名ではなく、日本名を名乗り呼び合っていたのでした。 〝在日朝鮮人は差別があるから日本名を名乗らざるを得なかった”という歴史は疑問になります。

 以上長々と論じてきましたが、要は、多くの朝鮮人は1940年の創氏改名よりも以前に、来日すると直ぐに日本名を便宜的かつ普通に名乗っており、その際に強制されたというような被害者意識がなかったということです。 これは、朝鮮人は名前に関してかなり柔軟な考え方をしており、その時その場の環境によって使いやすい名前を名乗ることを実践していたと推定できます。

 ただし例外があります。金一勉が「一部の留学生は別として」と記しているように、日本(当時は内地)の大学に留学した朝鮮人です。 これは大学当局が在学生は本名を使うことを決めていたために、本人も本名を使って生活したからだと思われます。 つまり来日した朝鮮人は、留学生などのインテリは本名(民族名)、出稼ぎ労働者は通名(日本名)を使ったのでした。 ただしこれはそういう傾向が強かったということであって、例外はたくさんあります。 例えば後に国会議員となった朴春琴は当初出稼ぎ労働者として来日しましたが、一貫して「朴春琴」を通しました。

 なお1940年の創氏改名は法に基づく名前ですから、それ以降はその名前が本名となります。 ですから1940年以降は創氏改名が設定創氏で日本名であるなら、その日本名が本名(戸籍名)となります。 詩人の尹東柱は設定創氏したので、1942年に立教大学と同志社大学に留学した時の本名は平沼東柱でした。

 また創氏改名で法定創氏すれば、先祖から続く民族名が本名(戸籍名)になります。 上述の朴春琴は法定創氏をしたのでした。    (続く)

【創氏改名に関する拙稿】

創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

創氏改名の誤解―「世界史の窓」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515

朝鮮名での設定創氏が可能な場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

宮田節子の創氏改名論      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

石破茂さんのデタラメ創氏改名論  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/06/9161642

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

朝鮮名での設定創氏が可能な場合  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

民族名で応召した朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

朝鮮人戦死者の表彰記事―1944年 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

民族名での人探し三行広告     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/24/7807103 

金時鐘さんの創氏改名は「金谷光原」―神戸新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/03/9779836

「尹東柱」記事の間違い―中央日報  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/17/9464967

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(3)2025/12/10

在日韓人歴史資料館 展示資料

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/03/9821132 の続きです。

↑は、東京にある「在日韓人歴史資料館」に展示されていた在日朝鮮人子弟の小学校卒業証書です。 名前は「山本文一」ですが、キャプションは次のようになっています。

1927年福岡県鞍手郡生まれの在日2世・文相洙氏の小学校卒業証書(1939年)。 炭鉱で働いていたが、解放後日本人が朝鮮人を襲撃しているとの噂が回り炭鉱を脱出、博多港から釜山に帰国しました。

 ここで注目すべきは、この卒業証書の発行日が「昭和14年3月22日」になっていることです。 1939年3月ですから、創氏改名令の公布(1939年11月)や施行(1940年2月)より前です。 つまり「山本文一」という日本名は創氏改名ではなく、それより以前に自ら名乗っていた通名ということになります。 しかも小学校という公的機関がその通名を認めて、卒業証書に記したのでした。 

 当時の小学校では、朝鮮人は本名(民族名)でも通名(日本名)でもどちらを使ってもよかったという話は金達寿の自叙伝『わがアリランの歌』に出てきます。

(1932年)源氏前小学校の職員室で会った赤ら顔の先生は、まだ夜学の一年生だった私がもう学期末となっている三年生に編入学して、実質的に四年生となることはだまって承知してくれたけれども、「金山忠太郎」という名については異議をとなえた。

「いや、名前は金達寿という本名そのままのほうがいいです」と先生は、横に立っていた私にもわかるように、はっきりとそう言った。 この赤ら顔の人が以後私を担任してくれた山内喬木先生で、私はこの先生のおかげで小学校は「金山忠太郎」などというものにならなくてすんだのだった。 (金達寿『わがアリランの歌』中公新書 昭和52年6月 66頁)

 つまり当時の小学校では本名か通名かどちらを使ってもいいとされていたのでした。 従って↑に掲げた「山本文一」という通名が記されていた小学校卒業証書は、これを裏付ける確かな歴史的資料となります。 金達寿は本名を使い、文相洙は通名を使ったのですが、それはどちらも認められていたのでした。

 在日の日本名は創氏改名という法的強制より以前に在日自身が任意に名乗っており、本名(民族名)を使うか通名(日本名)使うかは自由であったということです。 朝鮮史家の水野直樹さんは、「在日コリアンの多くが日本人風の名字を使うようになったのは、創氏が実施された時期からであったことは間違いない」 https://www.io-web.net/2025/08/sousikaimei-mizunonaoki/#google_vignette と論じておられますが、実際はそれより以前に日本名を使い始めているので、これは疑問と言わざるを得ないところです。 日本名を名乗るのは「創氏が実施された時期から」とあるのは、日本(内地)の大学に留学していた学生たちなど一部に限られるのではないかと思われます。 

 在日の通名(日本名)の歴史をたどっていけば、彼らは創氏改名以前から、来日すれば一部を除いて任意に日本名を名乗っていたという事実に行きつくのです。

 なお現在において学校に通学する時に使う名前ですが、小中高校では通名を使っても構わないとされていますね。 ここは今も昔も同じようです。 ところが大学は国公立では通名は使わず本名だけでしたが、今はどうなのでしょうか。 一部の私立では通名でも構わないとしているところがありましたが、R大学では本名でしかもハングル読みとしていたと聞きます。 私立は各大学によって扱いが違っているようです。      (終わり)

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/11/26/9819692

朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/03/9821132

在日が祖国の韓国に帰ってみたら(1)2025/12/14

 今の在日韓国人の多くが〝自分は韓国籍なのに韓国語ができないなど、民族的アイデンティティが不足している”ことを自覚しています。 ところが中には〝民族受難とそれに対する闘い”という歴史を学んで、自分が韓国人であるという民族性に目覚める在日が出てきます。 彼は一大決心で日本名を捨てて民族名を名乗ります。 ところが、このようにして民族に目覚めた在日がさらに民族性を確かめようと本国の韓国に行ったところ、現地の韓国人たちから韓国語ができないと責め立てられ、時には日本人扱いされることになり、大きなショックを受けます。 

 20年ほど前ですが、伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』という本にそういう在日の話が出てきます。

(2000年前後)ところが、在日韓国人と韓国の距離はなかなか縮まらなかった。 ‥‥ 「いっそのこと、日本人ならよかった」と、韓国に住む在日韓国人の友人たちはときどき口にする。 空港の税関職員やタクシー運転手の「なんで韓国人のくせに韓国語が下手なんだ」から始まり、ワールドカップなどの国際試合のたびに「日本と韓国のどちらを応援するのか」と迫られる。 そのくせアルバイトで日本語を教えようとすれば、たちまち学校側から「日本名」でやってくれと要請される。

「日本にいたころ、死ぬ思いで『本名宣言』したのに、祖国に来て『通名』(日本名)を使わされるなんて‥‥」

すでにオバサン年齢に達している私の友人たちは、そんなことで少女のように泣きわめいたりはしないが、「でも、やっぱりめんどくさい」と言う。

以前、語学学校で韓国語を一緒に勉強した「在日」の友達と、韓国人の知り合いを訪ねたときも、私の下手な韓国語は「まあ、日本の方が韓国語を話すなんて! ほんとに上手ですね」とほめられたのだが、友達のかなり上手な韓国語のほうは「アイゴー! 何だか梅干しくさい韓国語ね」と言われて、実にいやな感じだった。 (以上、伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』洋泉社 2001年10月 120頁)

 もう一つ、同じような話を紹介します。

この国(韓国)で「ウリマル(韓国語)がお上手ですね」は、時と場合によっては、一瞬にして「カンコクジンのくせにウリマルもろくにしゃべれないのか」にとって変わる。 韓国にいる在日キョッポ(僑胞)いじめの常套句だ。 「日本に帰れ」なども簡単にいう。 ほとんど前後の脈絡とは関係なく嘲笑いと共に、相手の胸にとどめを刺す。 (金利恵「ソウル風便り」『統一日報』2000年3月26日)

 肝心の本国では、在日が〝日本では差別されながらも本名を名乗り、民族を守ってきました”という話をしても評価されることもなく、〝まるで日本人なのに、名前を本名にしたというだけで、下手な韓国語をしゃべって何を偉そうに言うのか!”となるようです。

 これは本国の韓国に行った在日がほぼ共通する体験のですね。 作家の姜信子さんは、韓国に住んでも韓国人になれなかったと言っておられます。

私の場合‥‥血の面でいうと韓国人としか言いようがないし、国家という近代の枠組みのなかで考えても、韓国籍を持っている以上、韓国人であるとしか言いようがないんですけど、私は27になるまで日本から一歩も出ませんでした。 ‥‥韓国に行けば、韓国人になるんだろうかと思ったら、ならなかった。 二年間住んで、日常会話に不自由しないんですけど、韓国人にはならなくて、やはり在韓の在日韓国人という微妙な存在でしかなかったんです。 (姜信子「『在日』ルネッサンス」1996年9月『論座』所収)

 同じような話は、拙ブログでは下記で紹介しました。 お読みいただければ幸甚。

朴一さん『在日という病』を読む(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/09/01/9800016

在日韓国人と本国韓国人間の障壁  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/12/9641974

『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/06/9737449

『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/11/9738817

在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193

韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/14/9562752

          (続く)

在日が祖国の韓国に帰ってみたら(2)2025/12/17

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/14/9823722 の続きです。

 在日は今や三・四・五世の時代です。 彼らにとって韓国は祖父母・曾祖父母の出自の地であって、自分が生まれ育った故郷ではありません。 彼らは、国籍は韓国籍なのに韓国語ができず日本語でものを考えて生活してきて、立ち居振る舞いも全くの日本人です。 しかし本来民族というものは、日常生活の中で民族の言葉はもちろんのこと、自民族文化を身につけながらアイデンティティを確認するものです。 しかし在日韓国人は国籍こそ韓国籍でも、民族性は全くの日本となっていっています。 そして本国の韓国人はそのような在日に対して、自分たちと同じ仲間と見なさないのです。 

 ところがそんな本国韓国人が在日を同族として同情する時があります。 それは在日から自分たちの期待する話を聞く時です。 その期待する話というのは何か? それは〝今はこの通り有名になりましたが、これまで日本という差別社会のなかで民族を守ってきました”というような成功談です。 こんな成功談なら〝それまでどのような差別を受けてきたのか? どんなイジメにあったのか?”と関心を持ってくれます。 韓国のマスコミに出てくる在日韓国人はこういうパターンが多いですね。 在日が成功した裏には、必ず差別があったはずと思い込んでいるようです。 日本からの差別やイジメが酷ければ酷いほどに、それと闘って成功を収めた話を韓国人は求めているのです。

 劇作家のつかこうへい(本名 金峰雄)さんは、韓国の故郷(親の出身地)の親戚を友人と一緒に訪ねた時、その友人と次のような会話をしたといいます。

「でも、みんな(親戚や近所の人たち)が最初に聞くのは、つかさんが帰化したかどうかでしたね」

「だろ、そして次にくるのも決まって、いじめられていないか、差別されていないかということだろ」

「日本でいじめられているのを期待しているみたいですものね」

「みんな、オレから『自分はもっと才能があるのに、日本では不当に評価されている』って言葉を聞き出したかったんだよ」

「一緒に身の不幸を嘆きたかったんでしょうね」

「ああ、歌と踊り入りでな」  (以上 つかこうへい『娘に語る祖国』光文社 1990年)

 つかさんは有名な劇作家で、韓国にも名を轟かせていました。 最後の「歌と踊り入りでな」という部分は、韓国人を表現するものとしては非常に面白いというか的確な皮肉ですね。 本国韓国人が在日韓国人に共感することがあるとしたら、このような日本の不当な差別と闘って成功したという話です。 〝日本では差別なんてなかったから自分は成功した”というような話は聞きたくないのでした。

 今回は3・40年も前の、〝在日が本国に帰ってみたら”というお話でした。 今はどうなのでしょうか。 帰化せずに韓国籍を維持している在日が韓国に帰った時にどう扱われ、どう感じたのかの話が少なくなりましたね。 韓光勲さんぐらいですかねえ。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/06/9737449    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/11/9738817 

【関連論稿】

玄善允ブログ(2)―在日の錦衣還鄕がトラブルに https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/04/9673005

【「同化」に関する拙稿】

第54題 「差別・同化政策」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuyondai

第40題 在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai

第41題(続)在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai

第28題 朝鮮語を知らない在日朝鮮人 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuhachidai

第92題 「同化教育」考     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuunidai

第38題「同じ」と「違い」―差別と闘う論理の矛盾― http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuhachidai

韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/14/9562752 

「同化」は悪だとされた時代    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/15/8018723

水野・文『在日朝鮮人』(21)―同化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/23/8197450

同化されない外国人        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/01/8206320

アルメニア人の興味深い話―在日に置き換えると https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/26/7812267

在日韓国・朝鮮人自然消滅論(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/26/9734747

在日韓国・朝鮮人自然消滅論(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/01/9736094

在日のアイデンティティと「赤い人」2025/12/27

 在日と本国韓国人との間の距離はどんどん大きくなり、それだけ在日は日本への同化がより顕著になってもはや日本人との違いがなくなった、ということです。 そのような在日の同化は自然現象というほかなく、止めようとしても止めることのできないものです。 

 14年前の本ですが、文芸春秋『日本の論点 2012』の「在日コリアンについての基礎知識」に次のように記されています。

(在日コリアンは)このように日本への社会的・文化的同化が進むなかで、韓国籍を有していても韓国を祖国としてそこに帰属する意識をもてず、日本においては韓国籍でありながら「外国人」としての意識を持ちにくい存在―この民族と国籍のずれの問題にどう取り組むか、韓国人もなく日本人でもない「〈在日〉コリアン」として、みずからのアイデンティティとエスニシティをどう確立するか、これが若い在日コリアンの抱える新たな課題として浮上しているようだ。 (文芸春秋『日本の論点』2012年1月 715頁)

 「アイデンティティとエスニシティ」は「民族性」と言い換えることができます。 民族性というのは普段の日常生活の中で自然と造成されるもので、言葉はもちろんのこと、ものの考え方や立ち居振る舞い、行動様式までも含みます。 そうならば過去の植民地史に由来する在日は今や日本にほぼ完璧に同化しており、民族性は韓国ではなく日本そのものと言うしかありません。 従って在日の「民族性の確立」とは、今は少なくとも韓国人としての民族性ではあり得ないことになります。

 また「韓国人でもなく日本人でもない在日コリアン」という独自の民族性は、〝表面は韓国人だが実際の中身は日本人”という曖昧模糊な存在に他なりません。 在日が海外旅行する時は韓国のパスポートを持っていくしかなく、そこでは「私は韓国人でも日本人でもありません、在日です」と言っても通用しないのです。 ですから在日の「みずからのアイデンティティとエスニシティをどう確立するか、これが若い在日コリアンの抱える新たな課題」は日本国内に限定して暮らす個々人ではあり得ますが、国際的にはあり得ないということです。 

 一方、朝鮮総連の熱誠活動家や朝鮮学校に通っている在日はそのような同化に抗して、自分たちは日本人ではないと明確に主張しています。 ところがそんな彼らも学校の外に出ると家族や友人とは日本語を使い、日本の文化にたっぷりと浸かって、やはり日本人と全く変わらないほどに同化していっています。 だからこそ北朝鮮をこよなく愛する彼らは自分たちだけで固まり、日本人との違いを際立たせようとするいわゆる「赤い人」が活躍しています。 そのあたりはパク・ユソンさんという朝鮮学校出身者の在日がユーチューブで語っておられますね。 やはり朝鮮学校でも「赤い人」は少数のようです。

 そんな赤い在日学生たちが2025年正月公演のために祖国の北朝鮮を訪問し、最高尊厳の歓迎を受けており、その画像が公開されています。  https://www.youtube.com/watch?v=uhaJzHUpP0Y  当人たちは大感激のようですが、祖国の人たちとの違和感というか摩擦感はなかったのでしょうか。 そして来たる2026年正月の「설맞이 공연(迎春公演)」に参加する在日学生たちが、この12月3日に北朝鮮に向かったという報道がありました。 「赤い人」たちの熱意はすごいですね。 彼らは日本国内では「リンゴ」(皮は赤いが中身は白い)ですが、北朝鮮に行けば「トマト」(中身まで赤い)になるようです。 そのまま現地に移住すれば、「아버지 원수님(父なる元帥様)」の懐に抱かれつつ生活することになって幸せな人生を送れると思うのですが、そうならないのが不思議ですね。

 2025年の「설맞이 공연(迎春公演)」の動画は次にあります。   https://www.youtube.com/watch?v=7SVaapoRT_Y 

 私の考えでは、「赤い人」たちは「元帥様」への「敬愛」は半端ではありませんから、日本にいる限り一般社会とはさらに断絶し孤立化していくだろう、だからこそ彼らの団結は強くなっていくだろうと予想しています。

 

【北朝鮮に関する拙稿】

在日朝鮮人が話す北朝鮮      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/19/9643754

この世はすべて金―北朝鮮     https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/05/25/9687110

北朝鮮には税金がない、その代わり‥‥http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/18/9660183

脱北して戻ってきた在日      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/25/9662215

核問題は北朝鮮に理がある―金時鐘氏 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/23/9653071

小松川事件は北朝鮮帰国運動に拍車をかけた https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/02/9639109

朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056

朝鮮総連幹部らには月3万円の教育費支給 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627897

今日は「太陽節」-朝鮮総連に教育費2億7千万円 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/15/9577360

北朝鮮の「갓끈 전술(帽子の紐 戦術)」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/01/08/9022748

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658

北朝鮮の核開発の目的   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/07/8671910