コロナ抑制には「戦時体制」が一番か?2020/05/03

 5月2日付の『毎日新聞』の「経済観測」欄はベトナムがコロナ抑制政策に成功している事例の紹介で、ちょっと興味深いものでした。 引用してみます。

https://mainichi.jp/articles/20200502/ddm/008/070/092000c

感染爆発抑えたベトナム=ベトナム簿記普及推進協議会理事長・大武健一郎

先日、日本から帰国したベトナム人留学生2人が新型コロナウイルスに感染していて隔離されたと報じられたが、ベトナムではコロナウイルスによる死者はまだ出ていない。

ベトナム政府は中国・武漢でのコロナウイルス流行を知り、今年1月から幹部の海外渡航を禁じた。 旧正月明けの2月3日から学校を休校とし、患者が発生した北部のソンロイ村を3月3日までロックダウン(封鎖)した。

3月には感染者と濃厚接触者にスマートフォンのアプリ導入を義務づけ、指定場所から30メートル以上移動すると当局が注意するほか、感染者の居場所が国民に分かるよう公開した。 しかも、国民が感染した可能性のある人を当局に通報するしくみもとり入れた。 市や村を越えてバスで移動する際には、名前や住所、電話番号の登録を義務づけるなど国内の移動規制も徹底的にやっている。 この結果、4月28日時点の感染者は計270人で、日本からの帰国者2人を除けば最近は新規感染者は出ていない。

ベトナムから来日した学生が言った。 「ベトナムは今もいわば戦時体制のような状況が続き、共産党一党独裁だから、政府の政策を国民は厳守するしかない。 コロナウイルス禍の時代には適しているが、日本での生活に慣れた我々はプライバシーがないベトナム社会は好きではない。 日本の緊急事態宣言はほとんど強制力はないが、これで感染爆発を抑えられるなら、日本人がルールをよく守るからで、今の日本の方が好きだ」

確かにコロナウイルス禍は戦争のようなものだ。日本でも戦時下の体制が求められているのかもしれない。 しかし、平和に戻った時に戦時下の体制は好ましいものではないことは確認しておく必要がある。

 ここで関心を持ったのは、ベトナムが「戦時体制」であり、国民は政府の言うことを「厳守するしかない」ということで、それがコロナ抑制の成功につながっているというのです。

 ここで韓国の話をしますと、韓国も北朝鮮との戦争が法的には終了しておらず、「戦時体制」が今も続いています。 韓国国民は「徴兵制」「住民登録番号制度」など国家から権力行使されることを容認しており、これがコロナ抑制の成功の大きな要因になったということです。 これはFNNが報道しており、拙ブログでも取り上げました。

日韓-お国柄の違いでコロナ対策も違う  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/17/9236209

 コロナのような国家の非常事態に際しては、「戦時体制」のように国民の「自由」や「人権」などを無視して対応策を取るのが最善であるということになるのかも知れません。 そういえばコロナ抑制に成功している台湾も、中国からの侵攻に備えて「戦時体制」を続けてきています。 日本では安倍首相のコロナ対策が不十分だとして韓国などを例に挙げて政権批判する人が多いようですが、「戦時体制」を求めているのでしょうか。

安倍首相に韓国に学ぶ度量はあるか https://www.newsweekjapan.jp/kimura/2020/04/post-77.php

 ところで上記の毎日新聞の記事では、ベトナム人留学生が「日本での生活に慣れた我々はプライバシーがないベトナム社会は好きではない。日本の緊急事態宣言はほとんど強制力はないが、これで感染爆発を抑えられるなら、日本人がルールをよく守るからで、今の日本の方が好きだ」と発言しています。 これは成程と考えさせられるものです。 これでは安倍政権の今のコロナ対策は決して悪くないということになります。

 コロナ禍は前代未聞の事態ですから、どんな政策が正解なのかは誰も分かりません。 それは後日に検証すべき課題です。 今は現行法律内で、やるべきことをやるしかないでしょう。 現行法律で抑制できないなら多大な犠牲者が出たとしても今のところ仕方ないと諦めねばならず、事態が沈静化してから「戦時体制」を含めた法律を議論すべきでしょう。

 ところで権力の自粛圧力に屈しないで果敢に開店を続けるパチンコ屋さんは、反権力闘争の実践者ですね。 ふだん「反権力」を呼号する左翼・革新系の方からこういうパチンコ屋さんを応援する動きがあってもいいと思うのですが、見当たりませんねえ。

社会的低位者の差別発言2020/05/09

 『毎日新聞』2020年5月7日付けの「コロナショック 相次ぐ偏見、非難、中傷--『感染差別』との闘い続く」と題する記事を読む。

https://mainichi.jp/articles/20200507/dde/012/040/015000c

 この記事の最後のところで、社会学者の明戸隆浩さんが次のように発言している部分に、確かにそうだなあと同感しました。

一般に、収入が減ったり、仕事を失ったりして余裕がなくなると排外主義が強まる傾向がある。

 これは別に言い換えますと、社会的地位の低い人が「排外主義」になり、差別発言も激しくなる傾向が強いということです。 これによく似た発言をした人が金時鐘さんです。かなり以前ですが、彼は地方新聞紙上で次のようなことを言っています。

(差別の)本当にひどさは、そのことで(被差別者)が自分を省みる内省力がなくなっちゃうことなんだね。‥‥ エゴイズムは差別するものだけでなく受ける側にもある。 むしろその度し難さは受ける側にこそあるというのが私の持論だが、こんなことは随分見てきているし、よく知っている。

 どこの新聞か忘れましたが、この発言だけは記録に留めたものです。 「被差別者」とは金さんの場合、在日朝鮮人や部落民らをはじめとする社会的地位の低い者を指しています。 こういった地位の低い人たちがどれほどエゲツない発言をするのか、彼は体験していたのでした。

 これは私の体験でも一致します。 若い時に数ヶ月ほどでしたが同和企業でアルバイトしたことがありました。 そこではいわゆる被差別民も働いていましたが、彼らの差別発言がどれほど激しく日常的だったか。 差別発言は被差別者ならば許容されるのだろうか?などと、当時は思ったものでした。

 今も鮮明に覚えている発言は、当時ベトナムの結合双生児「ベトちゃんドクちゃん」がテレビで放映されていました。 それを見て「あんなの、治すなんてせずに早く殺したらええねん」と言い、周囲の人たちがそれに賛同したことでした。

 その後も社会的底辺にある人ほど、エゲツない差別発言というか、人間の本音を遠慮なくそのまま出すものだということを知りました。 「品」という言葉を使うなら、荒々しく粗野な発言は「下品」な場所で発せられるということになりましょうか。 低学歴で社会的地位の低い人たちは文章を書くこと自体が苦手という場合が非常に多く、だから彼らは口で勝負しようとするのか、荒々しく粗野な発言となるわけです。 ただしこれはそういう傾向が強いということで、みんながそういうわけではありません。 

 ところでインターネット上で排外主義・レイシズムの匿名投稿がよく見かけますが、この投稿者は、高学歴で社会的地位の結構ある人の割合が高いそうです。 考えてみればその通りで、彼らの多くは誤字・脱字せず句読点などの間違いもなく、そしてそれなりの筋が通るように書けます。 そういった人が匿名となると「下品」な場所に下りてきて、あのような排外主義・レイシズムの投稿をするのですねえ。 

 毎日新聞で明戸隆浩さんの発言を読んで、昔のこと思い出しながら書いてみた次第。 取りとめのない文章になりました。

尹美香さんのフェースブック(1)2020/05/12

 従軍慰安婦の当事者であるイ・ヨンスさんは、この問題で30年間にわたり先頭になって運動してきました。 日本大使館前で毎週水曜日の集会に毎回のごとく出て若い支援者と交流し、アメリカの議会でこの問題を証言したり、来韓したトランプ大統領に飛び入りで会ったりと活躍してきました。 ところが去る5月7日に突然、もう水曜集会を止めろ、支援団体は集めた金を被害者の元慰安婦に渡していない、寄付金はどこに使ったのか等々と発言して、大きな話題になっています。

 これに対して韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協 ―現正義記憶連帯、以下「正義連」)代表だったユン・ミヒャン(尹美香)さんが翌8日にフェースブックで自分の心境を述べています。 その中で、イ・ヨンスさんが挺対協に最初に電話した際、自分は慰安婦でないと告げたということが書かれていて、え!あのイ・ヨンスさんは実は慰安婦じゃなかったのか!と、ちょっとした話題になりました。

 そこで、これが書かれた5月8日付のユンさんのフェースブックを探しました。 該当部分はわずかですが、それ以外にも支援者がどういう気持ちでこの活動してきたかについても書かれていて、私には参考になるものでした。 長文ですが、全文を二回にわたって訳してみます。

「被害者」     多くのものが内包されている単語であり、たくさんの内容、歴史が込められた表現です。

その重みの前で「被害者とともにする活動」をしている活動家たちは何も言わずに、最小限自分が身を投じている活動の正当性を守るための弁護さえも出来ないまま沈黙でじっとしているしかない状況があります。 ただ活動によって私たちの正当性をお見せするしかないと決心して、本当に全身を挺するくらいに、あのように‥‥。 被害者とともにする運動というのは、そういうものです。

だから私は後輩の活動家に「無条件に被害者の前では頭を垂れなさい」「私が間違っていたと言いなさい」 そうすれば後に私たちは、自分にそれだけの価値となって全部返ってくるものです。 おばあさんたちも分かってくれるものです。 待つことが必要です‥‥。 そのような本当に辛いお願いも、たくさんしてきました。

私に対応しろという方たちがおられます。 しかし今日も私はこのように消極的に、私の考えと気持を込めた文章で代弁するしかありません。 対応をしなければならない相手が、被害者であられるからです。 1992年に、イ・ヨンスおばあさんが申告の電話をした時、私が事務室で電話を取り、蚊の鳴くような声で震えながら「私は被害者でなくて、友達が‥‥」と言った、その時の状況をまさに昨日のことのように覚えています。 そしてほとんど30年余りをともに歩んできました。

水曜集会で私が経過報告をした後になれば、ぎゅっと抱きしめてくれて、「最高だ」とおっしゃったおばあさんの言葉に、一人前の大人のような、いやおばあさんになっていく私は、ただ幼い子供のように喜びました。被害者の称賛は私が活動する誇りを持つようにしてくれて、被害者の笑いは私を、身を投じて活動に狂うほどのエネルギーにしてくれたためです。

そうであった私は慎ましい声で、今度の第21回国会議員選挙に比例代表として申請したという話をして、おばあさんの反応を緊張して待ちました。 そして私は「よかった」とおっしゃったおばあさんのお言葉、また私の議員活動の計画について「そうだ、そうだ、そうしよう」とおっしゃっていたおばあさんのお言葉に、踊りを踊りたくなりました。おばあさんの支持は、私にはそんな意味だったからです。 もちろん今は「私たちの問題はすべて解決して、出て行け」という声に替わりました。

 以上が、ユンさんがフェースブックに書いた文の前半です。 このなかの「1992年に、イ・ヨンスおばあさんが申告の電話をした時、私が事務室で電話を取り、蚊の鳴くような声で震えながら『私は被害者でなくて、友達が‥‥』と言った、その時の状況をまさに昨日のことのように覚えています」という部分ですね。 

 これは二つの解釈が可能です。 一つは、イ・ヨンスさんは当初自分が慰安婦でないことを言っていたが、いつの間にか慰安婦の当事者になってしまったということ。 もう一つは、慰安婦を名乗り出ることは当時としてはあまりに難しくて、本当は慰安婦なのに友達に仮託して言ったということです。

 どっちなんでしょうねえ。 いずれにしてもユンさんには、イ・ヨンスさんが慰安婦だったと判断した根拠は何かを提示してほしいですね。

尹美香さんのフェースブック(2)2020/05/15

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/12/9245806 の続きです。 ユンさんの5月8日付フェースブックの後半部です。 イ・ヨンスの発言に戸惑った様子が書かれています。

今日の記事を見て、多くの記者たちから電話を受け‥‥。 全身から力が抜けて、立ち上がれなくなりました。 国会の庭の芝生で、真っ暗になるまで座っていました。 そして血圧が高いおばあさんを思い出し、あの状況の中でおばあさんに電話をかけました。 ちゃんと寝ておられるのか? 私ならば、おそらく今晩寝れないでしょう‥‥。 おばあさん、私は大丈夫です。 そう言いたかったです。 三回も電話をかけましたが、電話をお取りにならなかったので、あきらめました。

ところで‥‥     家に帰ってきて、自分の私的空間に入った瞬間‥‥     30年余りの間の活動の中でも、たくさんの攻撃の中でも、私の心臓は固くなったと言うよりは返ってふかふかと柔らかくなったと思います。 心臓が締め付けられ、全身にしびれが来て‥‥ 痛み‥‥ 涙が出て‥‥ しかし力を出さねばならないと再度誓います。

正義連の活動と会計などは、正義連から説明するだろうと思いますが、本当に徹底して管理し、監査を受け、報告する過程を経ています。 募金の目的に合わせて事業も執行しいて‥‥。

正義連は1992年から、おばあさんに差し上げた支援金などの領収証をおばあさんたちの拇印を捺したまま保管しています。 保管する当時はおばあさんたちの記憶に確認用として保管していましたが、いつからか、その記録が史料になっています。

2015年12月28日、韓日合意で朴槿恵政府が受けた10億円に対して‥‥、今日午前に我がイ・ヨンスおばあさんと通話するなかで、おばあさんの記憶が違っていることを知りました。 私と他のおばあさんは、朴槿恵政府が10億円を受け取ることを既に知っていたのだが、あなただけが知らなかったと、1月28日、ユン・ビョンセ長官の手紙に書かれているのを見て知ったと‥‥。

ですからまた記憶を引き寄せてご説明申し上げます。 「2015年12月28日、韓日合意発表の当日、おばあさんはいち早く事務室来られて、私、研究者、弁護士さんと一緒にテレビをつけて、ユン・ビョンセ長官の発表を見て、発表が終わるやおばあさんと一緒に記者会見をして、おばあさんがおっしゃったことがその日の晩のニュースにみんな出ました」と‥‥。 しかし我がおばあさん‥‥ ではないとおっしゃって、もうこれ以上対話を続けることが出来ませんでした。 被害者とともにした、この間の私たちの経験では、そういう時はその状態で止まるしかないのです。

水曜集会については、他のことを言わなくても、その重要性についてご存知だと思います。  世代と性別、民族を超越して全ての人がともに作り上げる平和、人権教育の体験現場になっています。

そして‥‥        わがイ・ヨンスおばあさんは、その間誰にも利用されない、本当に誰よりも主体的で勇気があって、凛々しい英雄として、人権運動をしてこられました。 だから水曜集会に出てくる若い青少年たちと青年たちは、イ・ヨンスおばあさんを尊敬すると告白することもありました。

そして‥‥私は、です。        イ・ヨンスおばあさんの30年余り、わがキム・ボクトンおばあさんの30年余り、わがキム・ハクスンおばあさんの心残りの17年間の運動‥‥ わがカン・ドクキョンおばあさんの16年間の運動‥‥ 多くのおばあさんの切ない時間、あの歳月の分まで私の人生に込めて、第21回国会で、「死んだ人の分まで一緒にやり抜く運動」を作っていこうと思います。

 以上で終わりです。 ところで、これを読んでイ・ヨンスさんが反日から脱したとか、日韓関係を憂えているとか、考えない方がいいです。 むしろ、同じ運動内の内ゲバと見る方がいいのではないか、というのが私の考えです。 「内ゲバ」なんて、今の若い人は知らない言葉でしょうねえ。

李容洙さんのフェースブック2020/05/16

 5月7日の記者会見で、従軍慰安婦被害者のイ・ヨンス(李容洙)さんが正義記憶連帯(略称「正義連」-旧挺身隊問題対策協議会―略称「挺対協」)を批判、さらには土曜集会には参加しないと表明する爆弾発言をして、韓国内がちょっと騒がしいようです。     それから五日ほど経った12日に、彼女はご自分のフェーズブックに「立場文」を発表しました。 ↑の画像がそれです。 これを読んだところ、記者会見した時の意見表明とは内容が違っていて、ちょっと驚きました。 これの日本語訳がないようなので、全文を訳してみました。

「5月7日の記者会見以降、関連する論難に対する立場文」

私イ・ヨンスは、去る5月7日の記者会見以降、わが大韓民国社会で引き起こされている論難に関連して、いくつか立場を明らかにしようと思います。

まず、私が体験した、また日本の蛮行を同じように全身で体験してきたおばあさんたちの痛みが繰り返されない社会をつくるために、加害国である日本の公式的な犯罪認定と謝罪、当時の真相究明とそれによる法的賠償、当時の責任者に対する公式的な処罰と今後の再発を防ぐための法的・制度的装置が準備され、私を始めとする被害者たちの名誉と人権回復がなされねばないないことを明らかにします。

私は去る30年間、この問題解決のために挺身隊問題対策協議会とその以後の正義記憶連帯と一緒に多くの活動をともにしてきました。 その間、活動を通して慰安婦被害者問題を国内だけでなく、全世界に注意を喚起して、全人類が再びこのような行為があってはダメだという共感と参加と行動を導いてきた成果に対する侮辱と消耗的論争は、止揚されねばならないという前提にから、いくつかお話ししよう思います。

一番目に、このような問題解決の過程は加害国の責任とは別途に、直接の当事者である韓日の国民間の健全な交流関係を構築するための未来の歴史を準備する観点が必要です。 このような点で、両国の学生に対する教育が重要だと考えます。 韓日両国の未来関係を構築して前に出る学生たち間の交流と共同行動がもう少し拡大することを願います。 このような過程を通して、人権と平和の価値がもう少し大きく広がることを期待します。

二番目に、去る30年間、真実を明らかにするための闘争過程で現われた、事業方式の誤謬と間違いを克服するための過程が必要だと思います。 これが誰かを非難する過程ではなくて、今の時代に合った事業方式と責任なる執行過程、そして透明な公開を通して国民の誰もが共感する過程を作っていかなければなりません。 新しい事業ではなく必要な事業を集中して推進し、その成果を整理して誰もが過程をたやすく理解し、共感できるようにせねばならないと考えます。

三番目、去る2015年の朴槿恵政府当時の、韓日間の拙速な合意と関連して、政府の国民の意見の収斂過程とその内容、そして挺対協関係者たちの政府関係者との面談時の対話内容など、関連した内容が早く公開され、わが社会の信頼が回復されねばなりません。 既成言論が提起している根拠のない憶測や非難、対立構図などが、私たちのために寄与することは何もありません。 ただ我が国民の信頼を元に合意過程の全般を公開して、国民の評価に基盤に置いて、問題解決していかねばならないと思います。

その間、私たちの活動は多くの人たちの共感に基づいて、少しずつ少しずつ前に進んできました。 痛みというのは別の痛みに移って癒されるのではなく、くるんで抱いてあげる気持ちから癒されるのだと考えます。

その間、国民に多くの援助と癒しをもらってきました。

誇らしい国民とともにつくり上げてきた成果を踏み台にして、わが社会共通の価値である人権と平和、和解と容赦、連帯と和合を成し遂げることを希望します。

私イ・ヨンスはそのような価値を打ち立てていく道に、残りの人生、微力ながらともにすることを申し上げて、多くの方々の共感と力を合わせることを期待するものです。

ありがとうございます。

2020年5月12日

女性人権運動家 イ・ヨンス

 以上ですが、まずビックリしたのが92歳というご老体の韓国女性がこんな長文を書けるのだろうか、ということです。 言葉に漢字語が非常に多く、しかも誤字脱字や分かち書きの間違いもありません。 また文章の筋も通っていて、矛盾がありません。 どこかの新聞記事か学生運動のビラでも読んでいるのかと錯覚するほどです。

 「지양(止揚)」「미래 관계를 구축해(未来関係を構築し)」 「수렴과정(収斂過程)」「투쟁 과정(闘争過程)」「집행 과정(執行過程)」「졸속 합의(拙速な合意)」なんかの言葉は、普通の人の日常会話には出てこないでしょう。 ましてや書くとなると、余程の高学歴でふだん書き慣れている人くらいでしょう。

 イさんは1928年生まれですから、解放(日本の終戦)時は17歳くらい。 その当時までの朝鮮では学校に通っていた女性は10%ほどで、大部分の女性は字の読み書きができませんでした。 当時娘を学校に通わせていたのは、家に余裕があり、親が女も学校に行くべきだという近代的な考えを持っていた場合に限られていたと言っていいです。 私自身、この年代の韓国人女性から、兄や弟たちは学校に行かせてもらっていたが自分は行かせてくれなかったという話をたくさん聞いてきました。 イ・ヨンスさんは慰安婦になったといいますから、家庭は裕福ではなく、当然学校には行かなかったと思われます。

 解放(1945)後に韓国の学校に行った可能性はあります。 そうするとハングルは読めるようになったかも知れません。 しかしそれまで学校に行ったことがないと思われる女性が、字は読めて簡単な文章は書けても長文を書けるものなのか、疑問を感じます。 なお解放後の韓国では、一応教育は義務化されましたが、特に女の子は引き続き学校に行かない場合が多かったものです。 

 そんな方が92歳の高齢でありながら、新聞記者か国語成績の優秀な学生かと思われるほどの程度の高い長文を書けるのだろうか、さらにはその文章をパソコンに打ち込めるのだろうか、という疑問です。 そもそも彼女のフェースブックは活動記録みたいで日常生活はほとんどありませんから、ご自分一人で運用しているのかも疑問です。

 そして「立場文」には、7日の記者会見であれほど強く言っていたお金の問題、つまり挺対協・正義連にはお金の使い方に不正があったという主張が全く出てきません。

 イ・ヨンスさんの「立場文」は、本人が作成したものとはとても考えることができず、おそらく周辺のインテリ活動家が作成したのではないだろうかというのが、私の考えです。

【拙稿参照】

尹美香さんのフェースブック(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/12/9245806

尹美香さんのフェースブック(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/15/9246824

イ・ヨンス「立場文」を解説するハンギョレ新聞2020/05/19

 従軍慰安婦被害者とされるイ・ヨンスさんが記者会見で支援団体である挺対協・正義連を激しく批判しました。 ところがそういう内容のない「立場文」を五日後の5月12日付けで書いて、フェースブックに発表しました。 その日本語訳は拙ブログ  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/16/9247192 にありますのでご参照ください。

 左派進歩系のハンギョレ新聞がこの「立場文」に基づいて、彼女は挺対協・正義連の立場を再確認しており、裏切っていないという趣旨の解説記事を出しています。 ちょっと引用してみます。

イさんは13日、自分のフェイスブックに「女性人権活動家イ・ヨンス」としての立場文を掲載し、現在起きている様々な議論と今後の願いについて意見を述べた。

イさんは文の冒頭で加害国である日本に対し、犯罪の認定と謝罪、真相究明と法的賠償金、再発防止のための制度的装置づくりなどを求めると共に、「これを通じて被害者の名誉と人権回復が実現しなければならない」と強調した。 これまで自分をはじめ挺身隊問題対策協議会(挺対協)、正義連などが堅持してきた立場を再確認したわけだ。 イさんはまた、最近メディアを中心に、共に市民党のユン・ミヒャン比例代表当選者と正義連の活動方式をめぐり様々な疑惑が持ちあがっていることについて、「既成メディアの根拠のない憶測と非難、対立助長」だと指摘した。

記者会見後に触発された論議には批判的だったが、正義連に対しては「これまで30年間、真実を明らかにするための闘争過程で現れた事業方式の誤りや過ちを克服するための過程が必要だ」と指摘した。 具体的には、今の時代にふさわしい事業方式や責任ある執行過程、透明な公開を求めた。

また、「朴槿恵(パク・クネ)政府当時、韓日間の拙速の合意と関連し、政府の市民に対する意見集約の過程と内容、挺対協関係者たちが政府関係者との面談の際に対話した内容など、関連内容が早めに公開され、韓国社会が信頼を取り戻さなければならない」と強調した。 イさんはさらに「両国の学生に対する教育が重要だ。韓日両国の未来関係を構築していく学生同士の交流や共同行動など活動がもう少し拡大していけばと思う」と記した。

「水曜集会」には直接触れなかったものの、「学生らに苦労させ、無駄にお金を使っているだけで、教育もまともに行われていない」と言い水曜集会への不参加を宣言したのとは、やや趣旨の異なる内容だ。 イさんは「韓国社会共通の価値である人権と平和、和解と容赦、連帯と和合が実現することを願う」と付け加えた。

数日前には正義連を厳しく批判したイさんが今回立場を表明したことで、慰安婦問題の解決に向けて共に戦ってきた人たちの分裂への懸念は収まるものと見られる。 正義連に対し、闘争過程の“過ち”を克服することを求めながらも、人権と連帯の価値を強調することで、戦争犯罪で犠牲になった女性の人権普遍的問題に取り組んできた正義連の活動を後押ししたからだ。

このため、イさんが水曜集会への不参加を宣言するなど、激しい口調で正義連を批判した背景には、正義連を根本的に否定するよりは、2015年の拙速合意やその後続いた膠着状況による心の傷や苛立ちがあったものと見られる。 文在寅(ムン・ジェイン)政府は発足後、作業部会を立ち上げ、2015年合意の問題点を包括的に調査したものの、両国政府間の公式合意だったためこれを破棄して再交渉を進めるのは困難な状況が続いた。 

イさんと交流のあるチェ・ボンテ弁護士(大韓弁護士協会、日帝被害者人権特別委員長)は13日に行ったハンギョレとの電話インタビューで、「2015年合意以降、政府が慰安婦問題を事実上放置しているのも、イさんの怒りの原因」だとし、「30年近く争ってきたにもかかわらず、出口がまったく見えない状況に苦しんでいた」と伝えた。

 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/36620.html

 「イさんが水曜集会への不参加を宣言するなど、激しい口調で正義連を批判した背景には、正義連を根本的に否定するよりは、2015年の拙速合意やその後続いた膠着状況による心の傷や苛立ちがあったものと見られる」とありますように、ハンギョレ新聞は、イ・ヨンスさんは挺対協・正義連に対して「心の傷や苛立ち」があったが、その活動を否定するものではないと考えています。 

 またイさんが記者会見であれほど言っていた挺対協・正義連の会計不正等に関して、ハンギョレ新聞は言及していません。 これはイさんが書いたとされる「立場文」と同じですね。 

 「立場文」はイさんが書いたのではなく、挺対協・正義連の活動家が書いたのではないかと私は考えます。 だから左派・進歩系の『ハンギョレ新聞』にこのような記事が出たのではないでしょうか。

 お金の問題は分かりやすいもので、疑問を抱かれたら会計簿を見せればすぐに解決するものなのですが、ハンギョレ新聞がこの問題に言及しないということ自体に異常さを感じます。 あくまで挺対協・正義連を擁護していこうとする姿勢がうかがわれます。

【拙稿参照】

李容洙さんのフェースブック   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/16/9247192

尹美香さんのフェースブック(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/12/9245806

尹美香さんのフェースブック(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/15/9246824

やはり「立場文」は自筆でなかった―朝鮮日報2020/05/20

 5月14日付けの『朝鮮日報』に、イ・ヨンスさんの「立場文」の制作過程が触れられていました。

http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2020/05/14/2020051400109.html

이 입장문에 대해 이 할머니를 옆에서 돕고 있는 대구의 지인 A(47)씨는 "입장문은 또 다른 지인 B씨가 어머니의 뜻에 따라 작성한 뒤 어머니(이 할머니)의 허락을 받아 공개했다"고 밝혔다.

この立場文について、イおばあさんをそばで面倒みている大邱の知人であるA(47)氏は、「立場文は、また別の知人であるBさんがお母さんの意に従って作成した後、お母さん(イおばあさん)の承諾を得て公開した」と明らかにした。

 やはりイ・ヨンスさんは自分で書いていないのですねえ。 知人のBさんが書いて、イさんの承諾を得たとされています。 いわゆるゴーストライターですね。 「知人」と称する人たちはイさんを「어머니(お母さん)」と呼んでいますから、イさんをほとんど家族同様の間柄だと考えているようです。 

 イさんの「意に従って作成した」とありますが、彼女の記者会見の発言とは全然違う内容を書いたのは何故なのでしょうか? また「承諾を得て」とは、どのような「承諾」だったのでしょうか? そもそも日常会話に使わない漢字語だらけの「立場文」を、92歳のイさんが理解できたのでしょうか?

 私の推測ですが、ゴーストライターであるBさんはおそらく挺対協・正義連の活動家だと思われます。

 疑問がつぎつぎ出てきますね。

【拙稿参照】

イ・ヨンス「立場文」を解説するハンギョレ新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/19/9248282

李容洙さんのフェースブック   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/16/9247192

尹美香さんのフェースブック(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/12/9245806

尹美香さんのフェースブック(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/15/9246824

李容洙さんのインタビュー―中央日報(1)2020/05/22

 5月13日に月刊『中央』がイ・ヨンス(李容洙)さんにインタビューしました。 翌5月14日に『中央日報』で掲載されています。 そこでは、イさんの主張はご自身が書いたとされている前日の「立場文」とはかなり違っていて、爆弾発言した記者会見(5月7日)の内容をもう少し詳しく解説するものです。 そのインタビュー部分を引用します。 長文になりますので、二回に分けます。    https://news.joins.com/article/23776483

--状況がどのように展開しているのか、メディアの報道は見ているか。

「(報道を)見ると間違っている部分が多い。 私は潜伏したことはない。 何が恥ずかしくて隠れるのか。 私には不正がないのでもっと堂々としている。 記者会見に開くまで1年間悩んだ。 それまで精神的苦労がひどかったせいで、あちこち寺に行って心を落ち着かせていただけだ。 私には不正はなく、独り身なので堂々と対抗している(※一部からは李さんが子孫に大金を譲りたい考えで突然態度を変えたという主張が出ていた)」

--これまで我慢していたが(耐えかねて)記者会見を開いたのか。

「私が我慢していたというよりも、30年間、地道に(慰安婦被害者人権運動を)してきた。 尹美香は一生懸命頑張っていた。 頑張っていたことは知っている」

--だが尹氏に問題があると考えるか。

「見ていると間違っていたことが多かった。 私が知らなかったことも。 (尹氏が)偉人になるためには、今からでもありのままを話すことが正しい。 何度も弁解すれば(うそが)現れる。 大統領が職位を与える、国会議員職を与えると言っても、本人が『この問題(慰安婦問題)を解決しなければならない』(と言って断るべきだが)、そうではなく私利私欲を貪ろうとしてすべて先送りしている。 一を聞いて十を知るというが、これは違う。お金を自分のものにしたのではないか」

--どのような問題を提起したかったのか。

「なぜ慰安婦問題を自分勝手にあちこちに売り飛ばすのか。 これは名誉毀損にもなり、利用したことにもなる。 それからなぜそこ(市民団体が運営する日本軍慰安婦被害者居住施設)にいるおばあさんだけが被害者か。 全国のおばあさんを助けるために(お金を)もらっているのに、どうしてそこにいるおばあさんだけが被害者なのか。 これ一つだけでも(問題は)充分だ」

--慰安婦合意の事実はいつ知ったか。

「(2015年12月)28日にテレビを見て知った。 外交部もそうだが、被害者のために(合意)したのであれば、被害者に知らせるべきだった。 ところが私だけすっかりだました。 (私には)尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官が1月29日(2016年)になってようやく手紙を書いて送った」

--慰安婦合意によって日本が出した10億円で設立された和解・癒やし財団から支給される支援金を受け取りたいと思っていた被害者を尹氏が懐柔したという主張がある。

「ナヌムの家に行ったが、あるおばあさんが『こっちへ来て』といって私を呼び、『私はがんが体に広がっているから、この金を受け取って息子にあげてくれないか』と話した。 はっきりと受け取ると言った」

--慰安婦合意以降、挺対協が国民募金で集めたお金で和解・癒やし財団の支援金を受け取らなかった被害者の方々に1億ウォン(現レートで約872万円)ずつ渡したと説明した。

「私はそれを受け取った。だが、一部は何がなんだか分からなかったり認知症を患ったりしているときにそばに保護者がいるが、保護者に渡してそのまま去ったケースもあった」

 挺対協・正義連代表のユン・ミヒャン(尹美香)氏を、「私利私欲を貪ろうとしてすべて先送りしている。 ‥‥ お金を自分のものにしたのではないか」と激しく批判しているところに目が行きますね。

李容洙さんのインタビュー―中央日報(2)2020/05/23

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/22/9249249 の続きです。

--なぜ今になって問題を提起したのか。

「被害者が願っていないことはするべきではないのではないか。 私の考えでは歴史観を広げて教育観を作り、正しく教えることが重要だ。 一言で言っても、正しく教えることが重要だ。(水曜集会に)出たところで学べることは一つもない。 謝罪しなさい、賠償しなさいというが、何のためにするのか知っていて言っていることだろうか」

--前回の記者会見で水曜集会をやめるべきだと主張したが。

「学生たちは寒い日も暑い日もやって来て座っていて、貯金箱をはたいて持ってきたお金を疑いもなく受け取っていた。 私はその学生が本当に残念に思った。お金を受け取るのであれば、それに追加してお昼ご飯でも食べさせて帰らせるべきだ。 おばあさんをかわいそうに思って来る学生たちに正しい歴史勉強を教えるべきなのに、(挺対協は)自分たちの運営で忙しい。 そろそろ学生たちが正しい歴史を学ばなければならないということだ。大韓民国の学生たちが大韓民国の主人だ。 日本の学生たちと交流してみてこそ何が正しいのか、誤りなのかを知るようになるだろうと考える。 1993年度から(挺対協)証言集が出ているが6500ウォンで売って収入をあげている。 (その時は)証言集が何かも知らなかった」

--水曜集会には本当に行かないのか。

「今はもうとても気力がない。 行ったところで私しかいない。 被害者がいないデモ(集会)をなぜするのか。 被害者がいるから学生たちが来るのに、私はその学生をこれ以上苦労させたくない。 ないお金を受け取って使うのが嫌だ」

--慰安婦被害者を「性奴隷」と表現することをどう思うか。

「慰安婦という名称は変えてはいけない。 性奴隷というが、とても汚くて嫌で仕方ない。 尹美香に話した。 だが『こう表現してこそ米国が怖がる』と(言っていた)。 だから私が『その言葉はやめなさい』『とても恥ずかしい』『私はなぜ性奴隷なのか』(と言った)」(※正義連の正式名称に「日本軍性奴隷問題解決のための」という表現が入っている。)

--記者会見の背景をめぐって外部が介入したのではないかという疑惑も出ている。

「1年間、一人で悩んで決めたことだ。    崔容相(チェ・ヨンサン)(行こう!平和人権党代表)には記者を紹介してほしいと言っただけで、それ以外は何もない。(※尹氏と共に市民党は崔代表が比例代表公薦から落ちたことに不満を抱いて李さんが記者会見を開くように仕向けたと主張した。)チェ・ポンテ(弁護士)は(7日)記者会見以降は会ってもない。 その人がメディアのインタビューで、私が政府の無責任な態度のせいで記者会見を開いたというが、それもその人の意見にすぎない(※2011年憲法裁判所が日本軍慰安婦問題解決のために政府が努力しない不作為状況は違憲だと決めたが、当時訴訟を提起した当事者が李さんら慰安婦被害者で、チェ・ポンテ弁護士は訴訟代理人として参加した。チェ弁護士は李さんの記者会見の後、メディアのインタビュー等を通して『李さんが慰安婦請求権に無関心な政府に怒った』などの意見を出した。)」

--今の率直な心境は。

「私は長生きしすぎたのではないかと、そういう気がしながらも、金学順(キム・ハクスン、※91年に慰安婦被害事実を最初に公開証言した被害女性。97年に亡くなった)が始めたが、李容洙が終えなければなければならないと決心すると心が軽くなった」

--金学順さんが始めたことを李さんが終えるということはどういう意味なのか。

「運動を終わらせようというのではない。 安倍(晋三)首相の悪行を見ても日本に免罪符を与えることはできない。 安倍首相はいつも嘘をつく。独島(ドクト)はまたなぜ竹島(日本が独島領有権ごり押し主張をして付けた名称)と言うのか。 ただし運動する方法を変えなければならないということだ。 それでこそ私たち次世代が日本に対して堂々と声を出すことができる。 またそのようにしてこそ先に空に昇ったおばあさんに堂々と『私のやるべきことは終えた』と話せる」

--正義連や尹美香氏と会って誤解を解くつもりはないか。

「和解はしない。 和解はできない。 挺対協(正義連)は直して使えるものではない。解体するべきだ」

 以上で終わりです。 尹や正義連と和解しないのかという質問対しても「和解はしない。和解はできない。挺対協(正義連)は直して使えるものではない。解体するべきだ」と、これまた激しい批判です。 

 この13日のインタビューは当月の7日の記者会見と同じく、イ・ヨンスさん実際の声であり、また内容が一貫しています。 従って彼女の本当の気持ちが出たものと考えます。 しかしその間の12日に書かれたとされる「立場文」はその内容が余りにもかけ離れており、これを彼女の主張とすることは誤りと言っていいでしょう。 (「立場文」は拙ブログ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/16/9247192 参照ください)

 彼女の本当の気持ちというのは、“支援団体は多額の寄付金を集めながら、その金を当事者である自分たちに回さずに勝手に使っている、私利私欲に走ったその団体代表が国会議員になるなんてトンデモナイことだ、そんな団体は潰してしまえ!” というところですね。 支援者が当事者をダシにして金儲けをし、さらには議員という地位まで手に入れたことへの怒りです。

 ところで彼女は日本に対して「安倍(晋三)首相の悪行を見ても日本に免罪符を与えることはできない。 安倍首相はいつも嘘をつく。 独島(ドクト)はまたなぜ竹島(日本が独島領有権ごり押し主張をして付けた名称)と言うのか。 ただし運動する方法を変えなければならないということだ。 それでこそ私たち次世代が日本に対して堂々と声を出すことができる」と主張しています。 

 つまり反日運動のためには挺対協・正義連や尹美香ではダメだという主張なのです。 この発想は韓国政府やマスコミなどが掲げる「道徳的優位性」と共通するものです。 わが国が日本を批判するには日本より道徳的に優位であらねばならない、そのためにはこれまでのような運動ではダメ、ということです。

 以上をまとめると、今回の騒動は反日運動を進める過程で、内部の利害対立が表面化したと見るべきものです。 私は「お金をめぐる内ゲバ事件」と評価するところです。

 彼女は変わらずに反日を続けるでしょう。 日本で慰安婦問題に取り組んできた人たちは彼女の変わらない反日言動を取り上げて、安倍政権批判でみんな団結しましょうと呼び掛けるものと予想します。

【拙稿参照】

李容洙さんのインタビュー―中央日報(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/22/9249249

やはり「立場文」は自筆でなかった―朝鮮日報 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/20/9248600

イ・ヨンス「立場文」を解説するハンギョレ新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/19/9248282

李容洙さんのフェースブック   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/16/9247192

尹美香さんのフェースブック(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/12/9245806

尹美香さんのフェースブック(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/15/9246824

木村さん、「嫌韓」は1990年代にはありましたよ2020/05/25

 木村幹さんが最近『ニューズウィーク誌』で発表した「検察と二つの民主主義」という論稿を読んでいると、次のような文言があり、あれ!?おかしいな、と思いました。 https://www.newsweekjapan.jp/kankimura/2020/05/post-11.php

「嫌韓」という言葉が生まれた2000年代に入って

 私の記憶では、「嫌韓」という言葉は1990年代には雑誌に出ていたはずです。 しかしそんな雑誌は我が家に保存していておらず、他に何かないのかと本棚を探してみると『日本人と韓国人 反日嫌韓の果て』と題する本が出てきました。 ↑がその本の表紙で、分かりやすいように「嫌韓」部分を赤丸で囲みました。 「サピオ責任編集」で、発行日は1995年8月10日です。 1500円もした本ですから、捨てずに置いておいた次第。

 それ以外に『現代コリア347号』(1994年12月)に、平井久志さんの「『反日』と『嫌韓』を乗り越えるために」と題する論稿もありました。

 探せば、いくらでも見つけられそうです。 「嫌韓」は1990年代前半には既に出ていたと言えます。 

 私は木村幹さんの授業を聞いたことがあります。 だから恩師といえば恩師なのですが、そんな方の間違いを見つけて、ちょっと悦に入った次第。 ちょっと悪趣味ですかな。