8歳の子が永住権を取り消された事件2020/12/01

 11月30日付けの朝日新聞に、8歳のフィリピン人の子供が永住権を取り消され、日本から出国するよう求められているという記事が出ました。  https://news.yahoo.co.jp/articles/ed4a30deac2aca342bb3d8cdd109f561594097a3

永住許可申請書に父親の名前を記さなかったことにより、約6年後に国から在留資格を取り消されたのは違法だとして、フィリピン国籍の女児(8)が処分の取り消しなどを求めた訴訟を起こしている。父親を記さなかった原因の一つは同申請書の記載が日本語と英語で違う表記だったことだった。12月2日、東京地裁で判決が言い渡される。

女児は2012年2月に関東地方で生まれた。翌3月、永住権を持っていたフィリピン国籍の母が代理人になり入国管理局(当時)に女児の永住権申請をした。永住権は同年4月12日に許可された。

申請書には日英2カ国語で記載する内容が指示されている。その中に、日本語では「在日親族及び同居者」を書くように指示し、英語では「在日親族もしくは同居者」を書くように指示する項目があった。英語の表記は「Family in Japan or co-residents」となっている。日本語では「及び」、英語では「もしくは」のため誤解が生じやすい部分だ。

申請時、フィリピン国籍の両親は婚姻関係がなく、同居もしていなかったため、英語を第二母国語とする母は申請書に父の名前を書かなかったという。

約6年後の18年2月、女児は入管から「不法滞在の父の存在を隠していた」として在留資格を取り消された。出国を求められたが、その後も滞在を続け、小学校に通っている。在留資格はなく、仮放免の状態だ。

国側は「原告母は父親を申告する必要があったのに、偽りその他不正の手段で永住許可を受けた」などと主張している。

女児の代理人を務める駒井知会弁護士は「父と女児は当時、法的なつながりがなかった。申請書の記入は指示通りになされ、国は父親を問題にせず永住を許可した。6年もたって在留資格を取り消すのは残酷だ。国は女児の人生を破壊するのか」と話している。

 永住権者が日本で子を産むと、余程の理由がない限りその子にも永住権が認められます。 今回はその“余程の理由”が、当時不法滞在の父親の存在を隠したからだそうです。 しかし永住権者の母親は子の永住権申請の際に、英文の説明をそのまま信じて父親の名前を記さなかったというのが、記事の要旨です。

 記事に書かれている具体的内容が事実であれば、これは国(=入国管理局)の判断の誤りでしょう。 ただ子の永住権取り消しを一度決裁してしまったために、自らそれを取り下げる訳にはいかずそのまま突っ走り、その子を在留資格なしの状態に追い込んだというのが真相のような気がします。

 国側は「原告母は父親を申告する必要があったのに、偽りその他不正の手段で永住許可を受けた」と主張しているようです。 そういう場合はとりあえず特別在留許可を与え、何年かしたら永住権に切り替えるという方法があると思うのですが、それも自分の立場上できなかったのでしょうねえ。

 こういう場合は裁判で決めてもらうしかないものです。 朝日の記事を読みながら、感想を書きました。

【拙稿参照】

かつての入管法の思い出 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

電車での嫌な出来事2020/12/06

 ユーチューブは滅多に見ないのですが、 先日久しぶりに、来日10年になるという韓国人の映像を見ました。 タイトルは「韓国人が日本で経験した嫌な体験」。

 その嫌な体験の一つに、家族と電車に乗って韓国語で話をしていた時、そばに立っていた50代くらいの男が「韓国人、死ね!」「バカ!」「クソヤロウ!」と言い、さらにその後ろにいた男も「早く降りろ!」「ここは日本だ!」と加勢したという話でした。 何とまあ、ひどい話ですねえ。

 これによく似た体験は、私も去年ありました。 当時は通勤に二時間近くかかっていたので、電車のなかで本や新聞を読みます。 新聞は購読している韓国の『朝鮮日報』です。 ある朝、横に座っていた中年の男が持っている傘をドンドンと床に突くように叩くのです。 何度もやるので何だろうかと思って新聞から目を離して見ると、その男はこわい形相でこちらを睨んでいました。 

 こっちは静かに新聞を読んでいるだけで、何も迷惑をかけていません。 無視して読み続けていると、またドンドンとやるのです。 また目を向けると、やはりこちらを睨みつけていました。 それでも無視して新聞をまた読み続けました。 ちょうど面白い記事だったので、集中して読んでいましたねえ。 そのうちに電車が駅に着いて、その男は下りました。 私はその二駅向こうだったので、そのまま座っていきました。 同じ駅で下りていたら、そこでケンカになっていたかも知れません。

 あの鋭い目つきは今でも忘れられません。 単なるバカなのか、親の躾がなっていなかったのか、それとも嫌韓偏執狂なのか。 レイシスト=嫌韓派というのは、あんな感じの人なんだろうなあと思いました。 

 昨年中にそこの仕事を辞めたので、電車に乗ることはなくなりました。 ところが最近、家の近くのスーパーで見知らぬ人から「韓国語の新聞、読んでおられますね」と声をかけられたのには驚きました。 電車通勤をしなくなって1年以上経つのにそれを覚えているとは! 電車のなかで韓国の新聞を堂々と読んでいたのがよほど印象的だったみたいです。 本当にビックリでしたね。

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意2020/12/10

 1ヶ月前の拙ブログ「在日朝鮮人には徴兵されたのか」http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/11/09/9314653 で次のように締めくくりました。

韓国は今でも徴兵制で、19歳に徴兵検査を受けます。 かつての日本のように、徴兵検査で性病が見つかれば恥とする考え方があるのかどうか、ちょっと分かりません。 韓国の男性は徴兵検査前に包茎手術をするという話がありますから、性病よりも包茎を恥と考えているかも知れませんねえ。

 これが気になって、韓国の包茎手術について、ちょっと調べてみました。 すると韓国語で包茎手術することを「고래를 잡다(クジラを捕る)」と言うのには、ビックリしました。 本当かなと思ってNAVER辞典で調べると

慣用句  ‘포경’에 ‘고래잡이’라는 뜻이 있어서 생긴 말로, 포경 수술을 함을 속되게 이르는 말.

と説明されていました。 訳すと「“捕鯨(포경)”にクジラ捕りという意味があることから生まれた言葉で、包茎(포경)手術をすることを俗に言う言葉」です。

 「包茎」と「捕鯨」はどちらも韓国語で「포경」、同音です。 「クジラを捕る=包茎手術」は、手元の20年以上前の辞書には採録されていませんから、新語なのでしょう。

 韓国では包茎手術をあまり隠さないで話す人が多いようです。 ここは日本とちょっと違いますね。 子供の時にすでに包茎手術したと堂々と言うし、中には姉が弟の包茎手術を恥じらいもなく周りにしゃべる人もいるようです。 

 ということで冒頭に戻りますが、韓国では包茎手術は子供の時にしている場合が多く、徴兵検査に向けてやることはない、というのが結論です。

 ついでに話しますと、3ヶ月前の拙ブログ「徴兵検査後の買春エピソード」http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/11/9294268 で、戦前の日本の徴兵検査で「おちんちんをぎゅっと握られた」という体験談があったと書きましたが、これは実はペニスの皮をめくられたのです。 性病検査ですから、包茎だったらめくられるのです。 

 かつての韓国の徴兵検査でも、包茎だったらやはり皮をめくられたそうです。 今もそうなのでしょうか。 上述したように韓国では子供の時に包茎手術する人が多いですから、今は単に触るか握るだけかも知れませんねえ。

【関連拙稿】

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

「朝鮮漬け」の思い出2020/12/17

 今は日本人で「朝鮮漬け」と言う人はいませんねえ。 「キムチ」のことなのですが、私の記憶では1970年代までは「朝鮮漬け」と言っていました。 日本人は朝鮮漬けは「辛い」「ニンニク臭い」と言って、見ただけで嫌う人が多かったものです。 しかし中には本格的な朝鮮漬けを食べて、「おおー!結構おいしい!」と好きになるというか、はまる人もいましたが、極めて珍しかったです。

 そんな時代に、私がある地方で仕事していた時です。 作業員として働きに来ていた中高年の女性が、「監督さん、『朝鮮漬け』食べるか?」と聞いてきました。 昼食時には監督、作業員、業者等々いろんな人が一緒に弁当を広げていましたから、こんな会話は自然なものです。

 「はい、食べますよ」と答えると、その「朝鮮漬け」を出してくれました。 最初は日本人が作る朝鮮漬けなんて浅漬けみたいなものだろうと思っていたのですが、見ると何と!本格キムチ、本物のキムチです。 色は真っ赤でしたが、食べてもそんなに辛くなく、実においしいキムチでした。

 ビックリして聞いてみると、子供の頃に朝鮮に住んでいて、隣の朝鮮人の家の子と仲良くなった、しょっちゅう遊びに行っていて「朝鮮漬け」も一緒に漬けた、日本に帰ってからも漬けてきたのだが、家族はなかなか食べてくれない、という話でした。

 あー、なるほど、周囲に朝鮮人がほとんどいないような田舎で、日本人女性が一人で昔を懐かしみながら「朝鮮漬け」を作っている事情が分かりました。 だから本格キムチだったのです。

 これと同じ話を、そこから数百キロ離れた地方でも聞きました。 知り合いの家のおばあさんから「朝鮮漬け」をもらったら本格キムチでビックリした、聞いたら昔朝鮮にいた時に仲良くしていた朝鮮人の家で「朝鮮漬け」を教えてもらった、日本に帰っても作ってきた、という話でした。

 離れた場所で同じような話を聞くということは、体験を同じくする女性が非常に多かったと考えられます。 そして日本に帰国して数十年が経つというのに、彼女たちは一人「朝鮮漬け」を作り続けてきたということなのです。

 植民地時代は日本人と朝鮮人とは緊張関係ではなく、このようなほのぼのとした文化交流があったことはもっと強調されていいと思います。 しかしその成果が孤立した日本人女性によってほそぼそと続けられただけで、周囲に広まらなかった事実に残念な気持ちになります。

 戦後在日朝鮮人は日本社会の中で暮らしてきており、女性たちは家の中でキムチを工夫しながら漬けてきました。 しかし在日朝鮮人と隣近所の日本人は交流があったはずなのに、日本人が在日朝鮮人の家からキムチの作り方を教わったという話は全くと言っていいほどにありません。 また在日朝鮮人側も、どうせ日本人はキムチが嫌いで食べないからと教えることはなかったようです。

 古く植民地時代は朝鮮人と日本人との交流があってキムチの作り方を教え学ぶ関係があったのに、戦後の在日と日本人との間にはそれがなかったというのは、これまた残念ですねえ。

 そして日本人が本格キムチを食べるようになった最近の2・30年間に、今度は在日女性がキムチの漬け方を知らず、キムチは母か祖母から貰うだけ、あるいは日本人と同じようにスーパーで買うだけとなりました。 在日社会ではキムジャン(キムチを漬けること)文化が絶えつつあると言えるでしょう。

 ところが今、韓流ファンの日本人女性たちが韓国料理の講座を受けてキムチの漬け方を習っている話を聞くようになりました。 私には隔世の感があります。 いい時代になりましたね。

「朝鮮漬け」の思い出(2)2020/12/22

 前回(http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/17/9327581)で、次のように記しました。

在日朝鮮人と隣近所の日本人は交流があったはずなのに、日本人が在日朝鮮人の家からキムチの作り方を教わったという話は全くと言っていいほどにありません。 また在日朝鮮人側も、どうせ日本人はキムチが嫌いで食べないからと教えることはなかったようです。

 これを書きながら、 40年ほど前に聞き取りをした、ある在日韓国人一世の女性のエピソードを思い出しました。 この方は字の読み書きが出来ませんでしたが、ご主人を事故で亡くし、失対労働(ニコヨン)などをしながら、5人の子を一人で育てたという気丈な方でした。 (“ニコヨン”なんて、今は完全に死語ですね)

 朝鮮人集中地区(いわゆる朝鮮部落)に住んでおられて、家でキムチを漬けて周囲の知り合いの朝鮮人の家に分けてやって、生活費の足しにしておられました。 その方の子供さんが日本の会社に就職し、その職場で自分の母親が朝鮮漬け(キムチ)を作っているという話をしたら、上司から一つ持って来てくれと言われたそうです。

 日本人はキムチは辛い、臭いと嫌って食べないものなのにと思いながら、キムチを一つ持たせました。 ところがその職場で“美味しい”と評判になり、そこの人たちから次々と注文が来ました。

 女性は、これは商売になると思って保健所に届けを出して、販売するようになったという話でした。 ただし大量生産する考えはなく、ごくわずかな範囲での商売だったが、生活が少し楽になったということでした。

 当時の日本人は「朝鮮漬け」と言えば、白菜の浅漬けに「朝鮮漬けの素」なんかを混ぜて入れたものを知っていただけでした。 これは「キムチもどき」でしかなく、ちょっと変わった漬物という感じでしたねえ。 だから「本格キムチ」を食べると、えー!これは美味しい!とビックリしたというわけです。

 私も昔こんな本格キムチを貰って、朝鮮問題にちょっと関心のある日本人に分けてやったことがあります。 ところが彼からそれをきれいに洗って食べたと聞いて驚きました。 真っ赤なキムチをそのまま食べることに抵抗感があったというのが、当時の一般日本人でした。

 昔は本格キムチは市場なんかでは売っておらず、日本人は本格キムチを全く知らなかったと言ってもよかったものです。 在日と知り合いになって、その家から本格キムチを頂いて初めてその美味しさに気付く、こういうパターンの時代でした。

 在日朝鮮人のキムチに関して、40年以上前のことを思い出した次第。

 今スーパーで売られているキムチは「キムチもどき」が多いですねえ。 キムチの基本は白菜・塩・トウガラシ・ニンニクですが、「本格キムチ」はこれにイカやエビの塩辛、リンゴや柿などの果物、ニンジンなどの野菜の千切りなど色々入れて、またトウガラシも高級品を使いますから材料代だけでもかなり高くつきます。 そして発酵食品ですから熟成するのに少々時間がかかります。 ですから「本格キムチ」は値段が高いものなのです。 安いキムチは「キムチもどき」と見て間違いなく、美味しくもありませんね。

スーパーで買うキムチは、名の通った製造元で少々値の張るものをお勧めします。 もしくはちょっと遠くても、昔からある朝鮮料理材料店で購入するのがいいですよ。 その時はニンニクの匂いが漏れやすいので、ビニール袋を何枚も持参することです。

マッコリ(タッペギ)とシッケ2020/12/28

 朝鮮伝統酒のマッコリの話です。 前回の話のように、植民地時代の日本人女性は仲良くなった朝鮮人から「朝鮮漬け」の作り方を習いましたが、マッコリの作り方は学んでいませんねえ。 やはり不法だという認識があったためでしょうか。 なおマッコリは在日朝鮮人社会では「タッペギ」と呼ばれていました。

 タッペギの「タッ」は「탁(濁る)」だから濁酒(どぶろく)そのものを指す、 マッコリの「マッ」は「맑다(澄む)」という意味、「コリ」は「거르다(濾す)」の意味で、濁酒を濾して上澄みだけを取ったものが「マッコリ」だと解説する人がいました。 だからタッペギは安物で、マッコリはちょっと高級というのでした。

 説得力がありますが、そんな解説をした本がなく、また韓国文化に詳しい人に聞いても、そんなことは初めて聞いたと言っておられました。

 マッコリ(タッペギ)については、下記の拙稿を読んでいただければ幸い。

タッペギ(マッコリ)の思い出  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/03/04/6359741

伊地知紀子『消されたマッコリ』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/08/7940574

伊地知紀子『消されたマッコリ』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/13/7947408

伊地知紀子『消されたマッコリ』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/17/7951241

伊地知紀子『消されたマッコリ』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/21/7956212

伊地知紀子『消されたマッコリ』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/26/7961704

伊地知紀子『消されたマッコリ』(6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/29/7964563

 次は酒ではなく甘酒の話です。 1970年代に在日一世のおばあさんから、「近所の日本人に、うちらの国ではこんな甘酒を飲むといってシッケ(食醯、식혜)を出してあげたら、ちょっと匂いを嗅いで目の前で捨てられた。日本人はうちらの国の食べ物を絶対に食べないのだから」という話を聞きました。

 かつての在日と日本人との関係を象徴するような話です。 自分が作ったものを目の前で捨てられるという体験話は胸を締め付けられるもので、今なお私の記憶に残っています。

 シッケは今の韓国で缶入りのものが売られています。 冷やしたものは夏にちょうどいい飲み物です。 韓流ファンの女性たちはよく飲んでいるようです。