韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル)2021/01/04

 『朝鮮日報』日本語版12月27日付のコラムに「外国語にない『ネロナムブル』」と題する記事がありました。 (インターネットでは公開期限が過ぎて、今は見ることができません)

 「내로남불(ネロナムブル)」はここ4年ほど前から韓国のマスコミでしょっちゅう出てくるようになった言葉です。 主に政権や政党批判で使われますね。 これの意味は、記事では次のように説明しています。

「ネロナムブル(私がすればロマンス、他人がすれば不倫=身内に甘く、身内以外に厳しいこと)」という言葉の語源ははっきりしない。

 つまり同じことをするのにしても、自分がやれば美しく正しい、しかし他人がやれば醜く不道徳だ、というものです。 記事によると、これにピッタリとした外国語がないそうです。

そう考えると、「ネロナムブル」にぴったり当てはまる外国語の表現があるか気になった。米国在住の著述家チョ・ファユ氏は「英語では『double standard(二重規範)』という言葉が似ているが、『ネロナムブル』のようなニュアンスはない」と説明した。

 そういえば日本語で何と言うのかと考えてみると、やはり「二重基準」「二枚舌」「自己矛盾」ぐらいでしょうが、意味が少し違います。 「自分のことを棚に上げる」という言い方もありますが、これも意味が少し違いますね。

 諺にありそうな気もしましたが、ちょっと思い当たりません。 そんなことを考えているうちに、40年程前に学生間でよく使われた言葉を思い出しました。

笑って誤魔化す自分の失敗、怒って罵る他人の失敗

 韻を踏んでいて覚えやすく流行語になるだろうと思ったのですが、意外と流行らなかったですねえ。 ここの「自分の失敗」と「他人の失敗」は違う行動で、「ネロナムブル」のように「同じことをするにしても」の意がありませんから、ちょっと違いますね。 またこれは冗談っぽい感じで周囲を笑わせるのにいいでしょうが、「ネロナムブル」は政治の世界で使われていますので真剣味が含まれており、冗談では済まないところがあります。

 記事では次のような四字熟語が出てきます、

大学教授団体による新聞「教授新聞」が今年の四字熟語に「我是他非」を選んだ。 「私は正しく、他の人は間違っている」という意味だ。もともとは「ネロナムブル」を選んだのだが、これに合う四字熟語がなかったため、仕方なく「我是他非」にしたという。 我是他非は「ネロナムブル」の本当の意味を表現できていない。

 「我是他非」は創作四字熟語のようですね。 辞書には出てきません。 そしてまた「同じことをするにしても」の意が含んでいないようですから、やはり意味が少し違うようです。

 ところで「ネロナムブル」はハングルで「내로남불」の四文字になります。 とすると、漢字ではなくハングルの四字熟語ということになりましょうか。 韓国ではこのような「ハングル四字熟語」がこれから広がるかも知れませんねえ。

【拙稿参照】

「내로남불」とは何か    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/05/29/8578519

내로남불ー産経の黒田さんが紹介 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/03/8584497

【関連拙稿】

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273

奇妙な朝日の社説―慰安婦判決2021/01/11

 韓国の元慰安婦が日本政府を相手に起こした賠償請求裁判の判決が1月8日に出ました。 予想通りの原告側全面勝利です。 これについて、日本の各マスコミは厳しい批判をしていましたが、朝日新聞だけはちょっと違った見解を出していました。 それは日本側のこれまでの姿勢にも問題があったと批判しているところです。 その部分を引用してみます。

朝日 社説 2021年1月9日

https://www.asahi.com/articles/DA3S14757182.html?iref=pc_rensai_long_16_article

歴史の加害側である日本でも、当時の安倍首相が謙虚な態度を見せないことなどが韓国側を硬化させる一因となった。

今回の訴訟は合意の翌年に起こされた。合意の意義を原告らに丁寧に説明していれば訴訟が避けられたかもしれない。

徴用工問題をめぐる18年の判決と、それに続く日本の事実上の報復措置により、互いの隣国感情は悪化している。今回の判決はさらに加速させる恐れがあり、憂慮にたえない。

最悪の事態を避けるためにも韓国政府はまず、慰安婦合意を冷静に評価し直し、今回の訴訟の原告でもある元慰安婦らとの対話を進めるべきだ。日本側も韓国側を無用に刺激しない配慮をする必要がある。

日本側も韓国側を無用に刺激しない配慮をする必要がある。

 つまり朝日は、日本は「安倍首相が謙虚な態度を見せないことなどが韓国側を硬化させる一因となった」 「合意の意義を原告らに丁寧に説明していれば訴訟が避けられたかもしれない」と我が日本をも批判し、 韓国側に「配慮」しろと主張しているのです。  相手も悪いが、こちらも悪いという論理ですねえ。

 慰安婦裁判はどう考えても、国際法や政府間合意に反した韓国側が悪いとしか言いようがありません。 「請求権に関する問題が‥‥完全かつ最終的に解決された」 「慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に』解決」と明記して結んだ約束を、韓国側が後になって「まだ解決していない」と破ったのですから。

 日本側にも悪いところがあるとする朝日の主張は、奇妙としか言いようがありませんねえ。

 参考までに毎日新聞の社説のうち、日本について触れている部分を引用します。

毎日 社説 2021年1月9日

https://mainichi.jp/articles/20210109/ddm/005/070/069000c

判決が、慰安婦問題での日本の取り組みを無視していることも見過ごせない。

日本は、国家としての責任を認めて謝罪してきた。1990年代に始まったアジア女性基金の事業では、歴代首相からの「おわびの手紙」が元慰安婦に手渡されてもいる。

2015年には最終的な解決を図るための日韓合意が結ばれた。元慰安婦の救済を優先させるために両国が歩み寄った成果だった。国家間の明確な合意を、内政事情で一方的にないがしろにすることは許されない。

 毎日はこのように、これまでの日本側の取り組みを評価しています。 朝日のようにわが日本も悪いとする考えは、出していません。

 他の新聞の社説をインターネット版で読んでみましたが、日本側を批判するものはないようです。 やはり朝日の社説が特異というか奇妙さが際立ちますね。

【拙稿参照―慰安婦合意以降】

 慰安婦合意の検証   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

 韓国政府の慰安婦合意に対する方針 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/10/8766575

 慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

【慰安婦合意以前の拙稿】

 やはり韓国政府には当事者能力がない―慰安婦問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

 慰安婦問題―韓国政府には当事者能力がない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932

 朝日の反「アジア女性基金」キャンペーン  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/12/28/7525901

在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」2021/01/16

『抗路7』106頁

 コロナのためにちょっと外出が難しくなったというか、億劫になっていました。 先日久しぶりに遠出して本屋に立ち寄り、在日総合誌の『抗路7』(2020年7月)を購入。 在日の雑誌でまとまったもので書店に売っているものは、昔は『青丘』や『ほるもん文化』なんかがありましたが、今はこれだけですねえ。 

 これを読んでいて一番驚いたのは、凛七星の短歌があるのですが、そのなかに「北鮮」が出ていたことです。 「凛」はペンネームでないなら、本当に珍しい稀姓ですね。 106頁にあるこの短歌は、次の通りです。

韓国でも北鮮でもなく吾は朝鮮人で過去の残骸

 念のためにそのページをスキャンして掲載しました↑。 「北鮮」部分には赤の横線を引きました。 

 かつて、「北鮮」「南鮮」「鮮人」など朝鮮の略称として「鮮」を使うことは民族差別だとして厳しく指弾されました。 民族差別と闘う団体らは、この差別語を使った新聞社や出版社、放送局等々に対して、厳しい糾弾闘争が行なったものでした。 こんな歴史を知る私としては、在日の雑誌に「北鮮」が出てきたことに驚いたのです。

 時代が変わって「北鮮」はもはや差別語でなくなったのか、あるいは韓国・朝鮮人なら「北鮮」を使って構わないと考えるようになったのか、それとも雑誌『抗路』の編集者が能天気だったのか。 そのあたりの事情は分かりません。

 今回は短歌で出てきた「北鮮」です。 ところで40年ほど前に「北鮮」を使ったとして糾弾された短歌がありますので、紹介します。 

朝日歌壇1982年10月31日

崔青学という名で届く北鮮に 帰化せし姉のふみ懐かしむ  (東久留米 小島範浩)

朝日歌壇1982年11月28日

国敗れ北鮮に奉仕の稲刈りに 出されし白飯のうまかりしかな  (長崎 高岡李子)

 「在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会」という団体が、これを掲載した朝日新聞に「『北鮮』なる用語は‥‥日本帝国主義の朝鮮に対する植民地支配の下で意図的につくりあげられた差別語」「このようなことばを平然として使用して恥じない現実の背後には、植民地支配とひきつづく民族差別に対する無自覚と無責任が蟠踞」だとして厳しく抗議しました。

 朝日は「北鮮」という言葉を使ったことが間違いだったとして、この短歌を削除しました。 こんな事件があったのが40年ほど前。 そして今は在日の雑誌に「北鮮」を使った短歌が掲載されているのです。

【拙稿参照】

第24題「差別語」考      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai

在中韓国人は「新鮮族」     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/06/07/3565930

朝日の<おことわり>の間違い  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/29/1827082

文在寅政権は反日ではない2021/01/19

 昨日(1月18日)に、文在寅大統領が新年記者会見を行ないました。 日本に関しては、日本の毎日新聞記者の質問に対して以下の通りの発言をしました。

韓日間には解決すべき懸案があります。まず、輸出規制の問題があり、強制徴用判決の問題があります。その問題を外交的に解決するために、両国が様々な次元で対話をしています。そのような努力の中、また慰安婦判決の問題が加わって、正直に言って、ちょっと困惑しているのが事実です。

しかし、私がいつも強調して申し上げたいのは、過去の歴史は過去であり、韓日は未来志向的に発展していかなければならないと考えています。私は過去の問題も事案ごとに分離して、お互いの解決策を見つける必要があると思います。すべての問題を互いに連携させて、ある問題が解決されるまで、例えば他の分野での協力を止めるとか、そのような態度は、決して賢明でない方法だと思います。

最近あった慰安婦判決の場合、2015年度に、両国政府間で慰安婦問題に対する合意がありました。韓国政府は、その合意が両国政府間の公式の合意だったという事実を認めています。そんな土台の上で、今回の判決を受けた被害者たちも同意することができるような解決策を見つけていくことができるよう、韓日間の協議をしていきます。

強制徴用問題も同様です。そのような部分が、強制執行という方法で、それが現金化されるとか、判決が実現される方法は、韓日両国間の関係において、好ましいとは思いません。そのような段階になる前に、両国間の外交的な解決策を見つけることが優先ですが、ただ、その外交的解決策は、原告たちが同意する必要があります。原告が同意することができる方法を両国政府が協議して、また韓国政府がその案を持って原告を最大限に説得する、そのような方法で問題を着々と解決していくことができるだろうと、私は考えています.

 このうち、「慰安婦判決の問題が加わって、正直に言って、ちょっと困惑しているのが事実」 「韓国政府はその(2015年の慰安婦)合意が両国政府間の公式の合意だったという事実を認めています」 「強制徴用問題が、強制執行という方法で、それが現金化されるとか、判決が実現される方法は、韓日両国間の関係において、好ましいとは思いません」 という発言を聞くと、文大統領は日本に対して少しは理解を示し歩み寄ろうとしているように感じられ、反日とは程遠いイメージを持ちます。

 従って文大統領がゴリゴリの反日主義者でないことは確かですが、といって親日でもあり得ません。 だったら何かと言えば、日本を軽視して日本に対して一貫した考えや方針がないということです。 

 反日であっても一貫していたら、何を考えているのかが明確ですので、それなりの対処が可能です。  しかし厳しい反日言動をしてきたかと思うと、今度は日本側にすり寄るようなことを言い出してきていますので、それこそ「何を考えているのか分からない」のです。 このように一貫性がないのですから、今回でももはや解決済みで協議する必要がなくなっている問題で「韓日間の協議をしていきます」「両国政府が協議して」と平気で言ったものと考えられます。

 なぜこのような重みのない発言になるのかと言えば、文政権にとって日本は重要な国ではなく、関心外と言ってもいいくらいの存在だからです。 ですから韓国は、日本政府の考えや日本国民の感情などの情報を収集し分析することを疎かにしてきたのです。

 文政権が日本に対して、例えば天皇訪韓を言い出すとか、素っ頓狂としか言いようのない対応をしてきたのは、日本なんか大したことがないのだからどうにでもなる、と常日頃から考えているからだと言えます。 要するに日本について深く考えず、従って言葉を選ぶこともなく、軽いノリで喋ってきたと言えるでしょう。

 文政権は「反日政権」だと言う人が多いようですが、「反日」ならば日本への関心はそれだけ強いことになります。 しかし実際はそんな関心すら持っていないということです。 今回の記者会見での発言も、その延長線上にあると考えます。

 このように文政権が日本を軽視することは、当初より継続してきたものです。 3年前に、私は拙ブログで当時の文政権の対日姿勢を次のように評しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

日本では嫌韓雑誌等で、韓国はどれほど反日であるかを繰り返し論じられていますが、実は韓国は日本をそれほど気に掛ける存在とは考えていないことを示しています。 逆に安倍さんなどは韓国を「重要なパートナー」とか「日米韓の強固な連携」とか言ってラブコールを送っていますが、韓国側は日本について優先順位を高くせねばならない国ではないのです。

従って韓国政府は対日外交の明確な方針を打ち出すこともなく、国内の反日意見が強くなればそちらになびき、日本が弱気と見ればつけ込み、日本が強気になればそれに合わせ、国際的圧力を受ければ関係改善に乗り出す‥‥と、一貫性のない外交を展開するものと、私は予想しています。 反日一辺倒にすらならないでしょう。

 3年前の分析ですが、「反日一辺倒すらならない」という私の予想は的中していますね。

【文在寅政権発足以降の拙稿】

韓国では日本の存在感はない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

韓国が天皇訪韓を望む!?-朝日インタビュー http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/23/8681910

慰安婦合意の検証 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

【朴槿恵政権時代の拙稿】

韓国の反日外交の定番      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

慰安婦問題―韓国政府には当事者能力がない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932

やはり韓国政府には当事者能力がない―慰安婦問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

李朝時代に「鮮」を使った資料2021/01/26

「鮮域図」 1760年頃

 「朝鮮」の略として「鮮」を使うことが、かつては悪質な民族差別語とされて糾弾を受けた時代がありました。 ところが最近の在日の雑誌に「北朝鮮」の略として「北鮮」が出てきたことを前回の拙ブログで報告しましたが、時代の流れを感じますね。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

 ところで「鮮」がなぜ差別語とされたのかについてですが、李朝時代(朝鮮時代)に朝鮮では略称として「鮮」を使わなかった、そして日本の侵略過程で朝鮮を貶める目的で日本が使い出した言葉だから、という主張でした。 『朝鮮人差別とことば』(明石書店 1986年11月)では次のように説明されています。

「朝鮮」が国家であることを否定して「大日本帝国の植民地朝鮮」という意味で用い、しかもわざわざ下の文字だけをとって単に「鮮」と呼ぶ造語法は‥‥帝国主義言語である。(61頁)

「北鮮」なる用語は「鮮人」「満鮮」などと共に、日本帝国主義の朝鮮に対する植民地支配のもとで意図的につくりあげられた差別語(211頁)

 すると、植民地支配以前には朝鮮人たちは自らを「鮮」と言わなかったということになります。 そこで調べてみると出てきた資料が「鮮域図」です↑。 「朝鮮全域図」という意味で、1760年代の地図とされています。 つまり「朝鮮」の略として「鮮」が使われた例は、日本の植民地化より150年も昔である李朝時代中期にありました。

 さらに調べると、李成桂が1392年に「朝鮮」を建国してしばらくの間の時代を「鮮初」と言います。 これは何も日本人が名付けたものではなく、「鮮初三清(선초삼청)」という言葉があるように朝鮮人自身が以前から使っていた言葉です。 「鮮初三清」は“朝鮮時代初期に清廉官吏として有名な政府高官の三人”という意味の歴史的用語です。 http://www.ccnkorea.com/news/articleView.html?idxno=704

 現在の韓国の歴史学でも、高麗が滅び朝鮮が建国された14世紀末~15世紀初を「麗末鮮初(여말선초)」と言います。 ですから韓国では『麗末鮮初 漢文学의再照明』とか『麗末鮮初 音読 입겿(口訣)字形과 機能의 通時的研究』とかの学術書が出版されています。 つまり韓国では、「朝鮮」の略としての「鮮」には今でも違和感がないということです。

 そういえば1970年代に日本朝鮮研究所(当時)の佐藤勝巳さん(今は故人)から聞いた話ですが、日本の社会党議員が北朝鮮を訪問する時にアドバイスを求められて「“北鮮”は差別語だから使わないように」と忠告したところ、その議員が帰国すると「金日成に会ったが、その人が何度も“北鮮”と言っていた」と話してくれてビックリした、ということでした。 「北鮮」は、過去の北朝鮮でも違和感がなかったようです。

 日本では20年ほど前になりますが、朝日選書『朝鮮儒教の二千年』(姜在彦著 朝日新聞社 2001年1月)の200・201頁に「麗末鮮初」が出てきます。 朝日はそれから4年後の2004年に雑誌『AERA』で「鮮」等が使われたという抗議を受けて、お詫びして訂正した事件がありました。 朝日は「鮮」について、使ってはいけない差別語なのかどうか、考えが揺れているみたいですね。

 そして2020年になって、差別語について敏感であるべき在日総合誌の『抗路』に「北朝鮮」の略として「北鮮」が使われたのです。

 時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、1970~2000年代初に差別語「鮮」が使われていないか目を皿のようにして探し、激しい糾弾を繰り返した運動は一体何だったのか?という疑問が湧きます。 差別語糾弾はその時代特有の現象、つまり過去の日本だけで起きていた“流行”だったと言えるかも知れません。 

 当時この差別語糾弾闘争を展開した人たちは今何を考えているか、知りたいと思っているのですが、そんな人の発言が見当たりませんねえ。

【拙稿参照】

在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

全外教の歴史誤解と怠慢 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuukyuudai

「チョン」は差別語か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/04/7603685

第24題「差別語」考      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuyondai

在中韓国人は「新鮮族」     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/06/07/3565930

朝日の<おことわり>の間違い  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/29/1827082

黄光男さんの思い出      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/06/11/9256337