木村幹さんの論考を読む-毎日新聞「論点」2020/08/02

 2020年7月31日付け毎日新聞に、「論点 戦後75年『負の歴史』と向き合う」と題する特集記事が出ました。  https://mainichi.jp/articles/20200731/ddm/004/070/004000c

 三人の論者が出てきますが、そのうちの木村幹さん。 この方の授業を受けたことがありますので、特に注目して読みました。 しかしその内容に違和感がありましたので、それをちょっと書いてみます。

関係築けぬ75年こそ 木村幹・神戸大大学院教授

日本と韓国の間では、元徴用工の強制労働や従軍慰安婦といった戦時中の歴史を巡り確執が続いている。1910年の韓国併合から終戦までの35年にわたる植民地支配は負の歴史だが、それ以上に結局良好な関係を築けなかった戦後の75年間こそ、私たちが向き合うべき負の歴史だと強調したい。

 「35年にわたる植民地支配は負の歴史」とありますが、 植民地支配を受けた側からすれば「負の歴史」となるでしょう。 しかし支配した側からすればどうなるのでしょうか。 「負の歴史」なんて主観的なものですから、それぞれの立場で或いはそれぞれの個人の考え方によって違ってくるのではないでしょうか。

 なお「良好な関係を築けなかった戦後の75年間こそ、私たちが向き合うべき負の歴史」という点は、私も賛成します。 ただし「私たち」だけが一方的に向き合うべきものではなくて、双方が向き合うべきものだと考えています。

植民地支配はどう転んでも褒められるものではない。経済成長に貢献した等、韓国側に対するメリットを挙げる人もいる。だが参政権も与えられず、自分たちの運命を自分たちで決められなかった体制に不満を持つのは当たり前で、理屈をつけて相手に感謝されようとするのはかなり虫がいい。

 私も以前はこういう考え方をしていましたが、今は少し違っています。 日本では相手方と過去の話をする時に、「色々とご迷惑をかけたかも知れませんが、大変お世話になりました」「いえいえ、こちらこそお宅にお世話になりました」というような感謝のやり取りは自然なものです。 これは対等な立場であることを互いに確認するという意味もあります。

 日本が韓国と歴史の話をする時にこういうやり取りを想定して、相手側から「植民地化されて苦労しましたが、その時に日本からも色々学びました。そのおかげで今の韓国があります」というような返事を期待したと思われます。 これによって日韓が対等であることを確認しようとしたということになりましょうか。 しかし実際には韓国からは「日本が一方的に全て悪い、謝罪しろ」と強く批判されたという経過になりました。

 つまり韓国は自分たちが善=正義であり日本は悪=不正義だ、だから日本と対等でないと考えているのではないか、と日本人には感じられたと思われます。 木村さんは「理屈をつけて相手に感謝されようとするのはかなり虫がいい」と言っておられますが、日本を極悪人扱いして謝罪を求めることもまた「虫がいい」と書き加えてほしかったですね。

植民地支配に関する批判的な韓国の教科書の記述が、日本側の期待に沿うことは永遠にないだろう。そもそも異なる国や国民に関する歴史記述は、その主題や目的が違うのだから同じになるわけがない。

 これは当然のことだと思いますが、逆に「日本の教科書の記述が韓国側の期待に添うこともない」ということも書いてほしかったです。 どの国であれ、自分の国の教科書を他国からの圧力で変えることは、いいことではありません。

元徴用工や従軍慰安婦に対する補償について、日本政府は65年の日韓基本条約に伴う請求権協定で協力金を支払い、既に解決済みだという立場をとっている。だが韓国では、人権問題であること等を理由として、謝罪や補償を求める運動が依然続いている。日本企業に支払いを命じた韓国最高裁の判決に日本の政府や世論は反発し、両国関係は悪化している。ここまでこじれた背景には、我々が歴史認識の異なる現実に真面目に向き合ってこなかったことがある。

 これも当然ですね。 韓国は日本を対等ではなく上下関係とする歴史認識であり、日本側は対等な歴史認識を目指している、しかし現実には木村さんの言うように「我々が歴史認識の異なる現実に真面目に向き合ってこなかった」ということですね。

 なお日本人の中には、わが日本は加害者、韓国は被害者という上下関係の歴史認識を有している人もいますね。 対等を否定しようとするのは、いかがなものかと思います。

例えばこれまで両国では、問題の和解を若者世代に託したり、グローバル化に伴う国際交流を過度に評価したり、あるいは圧力をかけて他国の歴史認識を強制的に変えようとしたりしてきた。確かに若者は植民地支配の当事者ではなくしがらみがないかもしれないが、だからといって彼らによって自動的に解決されはしない。また、歴史認識の相違が市民の交流で溶解するというのも楽観的に過ぎる。

 ここは以前に「日韓交流は相互理解に役立ってきたか?」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/13/8747383 で論じたことがありますので、ご笑覧いただければ幸い。

日本の一部には、日清、日露戦争を経て「アジア唯一の列強」になっていく明治以降の日本史を自分のアイデンティティーにし、そこから韓国に対する優越感を維持しようとする人たちがいる。そういう人たちは、既に日本が多くの分野で韓国に肩を並べられている現実を受け入れようとしない。

 こういう上下関係の歴史認識を持つ右寄りの日本人もいますねえ。 韓国とは正反対の認識ですが、上下関係で見ようとする点で共通性があります。 私には、同じ穴のムジナに見えます。

日韓関係の悪化が続けば、貿易や観光にも当然影響が及ぶ。だからこそ、両国ともこの「分かり合えなかった戦後」を歴史として冷静に受け止め、真面目に向き合うべきだ。歴史認識の相違を認めたうえで、民族主義的な感情を排し、経済や安全保障など自国が目指す目的を実現すべく合理的な判断ができなければ、「失うもの」ばかりが増えることになるだろう。

   最後の結論です。 当然と言えば当然ですが、よく整理してまとめられた結論だと思います。

【拙稿参照】

木村さん、「嫌韓」は1990年代にはありましたよ  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/25/9250442

女性解放が賃金低下をもたらした(再録)2020/08/09

 前回の拙ブログで、

男は外で働いて稼ぎ、女は家をしっかり守る、妻が働くのは夫に甲斐性がないからだ、なんて堂々と言われていた時代があったのです。 子供も大きくなったし、家計の足しにパートで働きたいという妻を殴ったという男がいましたねえ。

と書きました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/24/9271182    これに関連して12年ほど前に拙ブログで「女性解放が賃金低下をもたらした」と題する論考を発表していたことを思い出しました。 今読みかえしてみて、それなりに当たっているのではないかと思い、再録します。

1970年代の記憶として、当時の労働運動における賃上げ闘争の理由は、「こんな給料でヨメさん子供を食わせられるか?! ヨメさんが働かなくてもやっていける給料を出せ!!」 というものでした。 つまり共働きは給料が安いために仕方なくやるものであって、豊かな生活とは主人が働き、妻は専業主婦として一家を切り盛りする、というものでした。

これは労働者だけでなく、資本家(=雇用者側)も同じ認識でした。だからこそ、賃上げ闘争がかなり成功してきた、というのが当時のことだったと思います。

ところがこの同時期に知り合いが勤めていた某生活協同組合(理事長が革新系の議員さんで、各理事・管理職もゴリゴリの党員・支持者が多かった)でその内実を聞いた時、驚きでした。 左翼系でいわゆる「搾取」というものはないのだから、そこで働く労働者はそれなりに豊かであろうと思い込んでいたのですが、かなりの低給料でした。

そしてその生協の専務理事自身が、「うちの職員には、20万円の給料しか出せないのなら20万円分の生活をしてもらう、15万円の給料しか出せないなら15万円分の生活をしてもらう。 共働きは当たり前だ」という話を公の席で堂々と発言したのを聞きました。

利益を目的とする企業(資本主義そのもの)では、社員が共働きしなくても生活できるような給料を出そうと、会社も労働組合も頑張っていたのですが、 他方利益を求めない革新系の事業所(資本主義を否定して社会主義をめざす)では、低給料・共働きは当たり前のところでした。

このような30年前の状況を知るものにとって、女性解放運動(あるいは男女共同参画とも言うらしい)は、賃下げの理由にはなっても、賃上げには繋がらないのではないかと思えます。 女性解放とは自立を意味するのですから、女性も働く(=共働き)が当然の考え方になるからです。

もし私が会社側の人間であれば、賃上げ要求する労働組合に対しては、それで生活できないならヨメさん働かせなさい、自分の給料では苦しくても共働きすれば生活できますよ、と同情することなく突き放すことでしょう。

女性解放(=自立)は労働者の賃金低下をもたらした、と私には思えてなりません。

 これは12年前の論考ですから、上記の状況は40年以上の前の話です。 「女性解放が賃金低下をもたらした」は取りたてて根拠のないのもので、私の印象論でしかありません。 それでも女性の地位向上と賃金の関係については私なりに言い当てていたと感じているのですが、そういった方面での研究はなされていないようですねえ。 

 ところでヨメさんが働くという風習は、地域差があるように感じられます。 これも私の狭い範囲の体験談ですが、ヨメさんが働くことに強い抵抗感を持っていたのは九州男児でしたねえ。 子供が大きくなったし私も働きに出たいという奥さんに、俺に恥をかかせるのか!と怒って殴ったという話を聞き、どうやら九州ではそういう考え方をする男が多いようでした。 今は昔の話、今ではそんな男はいないでしょうが‥‥。

【拙稿参照】

女性解放が賃金低下をもたらした  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/16/2632230

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(1)2020/08/13

 毎日新聞2020年8月12日付けに「在日3世代100年の家族史 父は差別と闘い/叔父は特攻入隊 3代目、国境なき災害支援」と題する記事がありました。 「曺弘利」という在日韓国人が語った祖父からの家族史をもとに、「高尾具成」という記者が再構成した記事です。  https://mainichi.jp/articles/20200812/dde/012/040/018000c

 読んでみて、違和感を抱いた部分があります。 それをちょっと書いてみます。

曺さんの祖父、曺秉元(ピョンウォン)さん‥‥ 日本による植民地化が進み、国策企業が「持ち主不明農地の測量」を名目に、朝鮮人の先祖伝来の土地を奪い、移り住んだ日本人に払い下げていた。そのため現地住民は小作農に転落。秉元さんもその一人で生活苦にあえいでいた。

 ここでは祖父一家が「生活苦にあえいでいた」原因を、当時の土地調査事業によって日本の国策企業が「先祖伝来の土地を奪い」「日本人に払い下げ」、その結果「小作農に転落」したことに求めています。 しかしこの祖父が実際にこのような体験を語ったのかどうか、全く記されていません。

 私の考えでは、おそらく記者が朝鮮史の一般向け概説書に書かれてあった土地調査事業の説明をそのまま祖父に当てはめたものではないか、と思います。

 こういう歴史を語る人は結構多いものです。 ちょっと昔ですが、作家の金達寿さん一家が来日した由来を、土地調査事業で日本に土地を奪われて生活できなくなったからと書かれていたのを読んでビックリしたことがあります。 金達寿さんは『わがアリランの歌』(中公新書1977)の中で、父親が先祖からの土地を切り売りしながら遊蕩三昧した末に生活に窮し、日本に来ることになったと書いています。

 私はこんな例を知っていましたから、またか、何でも日本が悪いとしなければ気が済まないのだろうなあ、という感想ですね。

そんな折、日本人の手配師から持ちかけられる。「日本で1年も働けば、家の1軒ぐらいは建てられる」。秉元さんは話にのる。ちょうど100年前、1920年のこと。行き先は福岡・飯塚の炭鉱だった。創氏改名で「中山八郎」と名乗った。

 これにはビックリ仰天。1920年に「創氏改名」があったとは!!! これを書いた記者に対して、朝鮮史の基礎的初歩的知識に疑問を抱くところですねえ。 こんなフェイクを大手新聞の記事に書くなんて、さらにこれをそのまま載せることを決めた編集者の歴史常識も疑わしいですねえ。

炭鉱では「飯場のタコ部屋暮らし」で、1日12時間労働。薄給のうえ、休みは月1回だけ。「やめたい」と口にするたび、革のムチなどでたたかれた。体にくい込み、血が流れると、「消毒」と称して、傷口に焼酎を吹きかけられたという。「二度と『やめたい』などと言うな。ここに来るために貸した大きな借金がある。忘れるな」。そう現場の管理者から脅された。

 ここは最後の「ここに来るために貸した大きな借金がある。忘れるな」に注目しました。つまり祖父が来日するにあたって、借金があったということです。 借金返済のために「薄給」だったことが分かります。 これは今の外国人労働者とよく似た話ですねえ。 ところで祖父は借りたお金を何に使ったのでしょうか?

しかし、もう限界だった。秉元さんは炭鉱を抜けだし、宮崎・延岡に逃れた。そこで出会った在日の女性と結婚。22年に長男・外石(茂人)さん、2年後に次男・外徳(繁雄)さんが生まれ、その後、4女も授かる。秉元さんは魚の行商などをして一家を養い‥‥

 借金がありながら、そこから逃亡したということです。 借金はどうなったのか、気になります。 当時の借金取りは、簡単に諦めたということなのでしょうかねえ。 そんな心優しい借金取りなんて、今も昔もいないと思うのですが。

 祖父は1920年来日、1922年に最初の子ができていますから、結婚は1921年と判明します。 この時期の在日社会は男性が多く、女性は少ないという特徴がありました。 当時は日本には出稼ぎに行ってお金儲けする時代でしたから、男性が多かったのです。

 日本である程度成功した男性が故郷に行ってお見合い結婚し、女性が来日するというパターンが普通でした。 しかし祖父はそんな典型的パターンではなく逃亡先で知り合った同胞女性と結婚したとありますから、珍しい例だなあと少々ビックリ。

 二男四女を育てる家庭を営んでいましたから、魚の行商でそれなりに生活は安定していたと推定できますね。

【拙稿参照】

土地調査事業         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/23/3273840

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/09/8086320

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

金達寿さんの父が渡日した理由   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/12/24/1044999

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(2)2020/08/17

 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142 の続きです。

44年、外石さんに召集令状が届く。だが、徴兵検査当日の朝、しょうゆ2合ほどをがぶ飲みするという行動に出る。「日本人として扱われない自分が、なぜ日本のために戦争に行って命を捨てなくてはならんのか」。結果は丙種不合格。

 召集令状が来てから徴兵検査に行く?? 徴兵は、「徴兵検査」して合格者の中から選んで「召集令状」を発するものです。 しかし徴兵検査もしていないのに先ず召集令状が来た!! これも超ビックリですね。 こんなフェイクを載せることを決めた編集者の歴史常識も疑わしいですねえ。

 ところで朝鮮人への徴兵は1944年から始まります。 徴兵検査は本籍地でするものですから、父の外石さんは故郷の全羅北道の南原に行ったものと考えられます。 そこで徴兵逃れのために醤油2合を「がぶ飲み」したとあります。

 当時の徴兵逃れは重罪ですから、そんなことはさせまいと軍当局も取り締まっていました。 「醤油がぶ飲み」という方法も当然ながら当局は知っていましたから、そんなことを本当にしていたら直ぐに判明したと思うのですが‥‥。 それに醤油を2合も飲んだら、急性高血圧となって脳や心臓、腎臓、動脈等に大きな障害が起きるはずですが、その後の彼の生活ぶりは健康そのものという感じですねえ。

 また「丙種不合格」とありますが、「丙種」は軍隊の現役には適さないが国民兵役には就けるというものです。 ですから「丙種不合格」というのは、ないはずだと思います。 不合格は「丁種」以下だったと思うのですが。

 それに外石さんが徴兵検査を受けた1944年は戦局が悪化していた時代で、丙種でも召集され始めていました。 ですから、ますます「丙種不合格」に疑問を抱くのです。  

滋賀の航空隊に入隊した外徳さんは、特攻隊志願者名簿に署名をする。だが、「九州方面に向かう」と告げられた列車の中で、終戦を迎えた。家族は喜んだが、本人は悔やみ続けていたという。戦後も、軍人であったことを誇りに日本名で暮らし、九州で戦後復興の土木事業に携わった。

 これは叔父(父の弟)の外徳さんの話。 記事では父の外石さんと対比しながら話を進めています。 従って叔父が「日本名で暮らし」とあるのは、父は日本名ではなかったことになります。 当時、日本名のない在日は極めて珍しかったですから、ちょっと違和感があります。 

外石さんは戦後の混乱期、闇市場で稼ぎ生き抜いた。密出国して朝鮮半島へ「帰国」したことも。だが、母国は「在日」に冷たかった。再び宮崎に戻り‥‥

 これが事実なら、日本から密出国した時点で、日本の在留資格は失っています。 今となっては密出国したかどうか、そしてまた日本に密入国したかどうか、確認することはほとんど不可能でしょうが‥。 当時の国境管理がルーズだったことを示していますね。 ところで父の外石さんは朝鮮に帰国して、どこに行ったのかが気にかかります。

再び宮崎に戻り闇米を仕入れては神戸・長田に赴いて売り、その資金でゴム製の長靴や運動靴などの履物を仕入れては宮崎で売った。当局者には賄賂を贈り丸め込んだ。だが、ある時、密告され、ついえる。戦中にいじめられた顔見知りの元特高警察だった。「分けてほしい」と懇願された靴を渡さず、恨まれていた。

 父の外石さんの戦後です。 ここで引っかかったのは「顔見知りの元特高警察」という部分です。 特高警察は思想犯や政治犯を取り締まるところですから、そんな人と「顔見知り」というところに、へー!と驚きました。 しかし外石さんは特高にいじめられても捜査対象にはなっていなかったようです。 すると特高の協力者だったということなのだろうか、と勝手ながら想像しました。

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(3)2020/08/21

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/17/9279364 の続きです。

朝鮮戦争のさなかに生まれた曺さんは、国鉄(当時)神戸線のコンクリート壁を使ってバラックを組んだ長屋で13歳まで暮らした。25人以上が一つの共同便所を使い、曺さん一家6人は6畳一間。雨の日には、滝のような水が壁を伝った。  やがて強制立ち退きにあい、一家は再び路頭に迷う。ようやく借家が見つかった日のことを曺さんはよく覚えている。

 曺弘利さんは今67歳で、「朝鮮戦争のさなかに生まれた」とありますので、1953年7月27日以前の生まれと判明します。 国鉄高架下を不法占拠して作った家で暮らしていたようです。 当然、強制退去の対象です。 それは13歳の時ですから、1966年のことになります。

 ここで疑問は、強制退去から次の家が見つかるまで「一家は再び路頭に迷う」とあるところです。 私も多くの在日から、国有地等の不法占拠で暮らしていて結局は強制退去になった話はよく聞いたものでした。  しかし一家が「路頭に迷う」、つまりホームレスになったという話はありませんでした。 ですからこの部分には大きな違和感を持ちました。 たとえヤクザであっても、子供のいる家族を強制退去させて路頭に迷わせることはなかったと思うのですがねえ。

79年、曺さんは妻となる韓国人女性と出会った。結婚しようと思ったが、戸籍がなかった。「日本で出生届が出されていなかったし、あるのは外国人登録証だけ。当時、韓国に、籍がはっきりしないと結婚できない不文律みたいなものがありました」。曺さんは祖父の田舎の役所に手紙を書いて訪ねることに。「だけど、パンチョッパリ(半日本人)の朝鮮籍。3・1独立運動記念の時期に、臨時パスポートで行ったもんだから、最初はやっかい者扱いされましてね」

 曺さんは1979年に臨時パスポートで韓国に行ったとありますから「朝鮮籍」であったのは確かであり、朝鮮総連系だったと推定できます。 韓国女性と結婚するにあたって「韓国に、籍がはっきりしないと結婚できない不文律みたいなものがありました」とありますが、これは違うでしょう。 朴正煕政権時代は朝鮮総連への警戒心がすさまじかったですから、韓国人がこういう在日と結婚するとなると、‘韓国籍に変えて戸籍を作り、総連と縁を切れ’と要求するのが当然でした。

ルーツ探しはらちが明かず、結婚をあきらめ、駅までの道のりをとぼとぼ歩いている時だった。日本語を話せる役人が自転車に乗って猛スピードで追いかけてきた。「ありましたよ。曺秉元さんは確かにここで生まれ、暮らしていました。登録時、役所側に字体の書き間違えがあったんですよ」。遠い親族らが集まり、「『いつ子孫が来るのだろうか』と、よく話していたんだよ」と歓迎してくれた。「気持ちがスカッとしました」

 曺さんが1979年に韓国に行ったのは、ルーツ探しだったのですねえ。 その時に「遠い親族らが集まり、『‘いつ子孫が来るのだろうか’と、よく話していたんだよ』と歓迎してくれた」とありますから、曺さん一家は故郷の親族とはそれまで連絡がなかったと推定されます。

 しかしこれまでの話を総合すると、父の外石さんは1944年の徴兵検査で故郷(本籍地)に行っているはずです。 この時に親族の人たちと会わなかったのでしょうか? また彼は1940年代後半の戦後混乱期に日本から韓国へ密出国しています。 その時に故郷に行かなかったのだろうか?という疑問も抱きます。

曺さんはしみじみと言う。「おやじと叔父さんが重なって見える時があるんです。お互いの胸の内もわかるが故に、相反するんでしょう。歴史を覆すことはできないでしょうが、共に歩んでいかなきゃならない。そう教えてくれたのが自然災害です。みな同じ被災者になります。日本人も韓国人も在日も関係ありませんからね」

 記事の最後は曺さんの言葉で終わりますが、いい言葉ですねえ。 記事の中で一番共感するところです。

 ところで今回の記事は、曺さんが祖父や父から聞いた話の記憶を元に書かれたようです。 記憶にはある程度の錯誤・誤解があるものですし、曖昧・誇張が多くなるものも仕方ないところです。 また後付けの知識で過去を語る場合も多々あります。 ですから、もしこれを記録に留めようとするならば、当時の社会状況をよく知った上で個々の細かい部分を確認しながらすべきものです。

 しかし毎日の高尾記者はそれをしなかったようです。 記者なら当然やるべき歴史事実の確認という基礎的作業を怠ったのではないか、そのために本人の語りに引きずられてしまい、ウソとすぐに分かるような話までも書いてしまったのではないか、という疑問を抱くものでした。

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/17/9279364

戦後の朝鮮人の振る舞い―事実を語るべきか2020/08/23

 NHKが『1945ひろしまタイムライン』という番組で、当時の実在の日記をもとに「もし75年前にSNSがあったら」という設定で“実況”する、というのがありました。 このなかで、戦後の朝鮮人たちの振る舞いを取り上げた部分があり、これが朝鮮人差別を扇動しているという批判があったようです。 毎日新聞が昨日の8月22日付けで報道しています。

 https://mainichi.jp/articles/20200821/k00/00m/040/280000c

どういう“実況”があったのかというと、記事ではその一部が紹介されています。

<朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!>

<「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!」 圧倒的な威力と迫力。 怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩(たた)き割っていく そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!>

<あまりのやるせなさに、涙が止まらない。 負けた復員兵は同じ日本人を突き飛ばし、戦勝国民の一団は乗客を窓から放り投げた 誰も抵抗出来ない。悔しい…!>

 これに対して、ツイッター上では次のような批判があったそうです。

その出来事があり、それを日記に書いた人がいるのは事実かもしれないが、今の世の中に発信することは無色透明な事実ではない

(漫画の)『はだしのゲン』にも同様の場面はあるが、全編を通して朝鮮人への差別や弾圧、それに対する怒りを描写している

 一つは、今ここで発信することは不適切だというものであり、もう一つは漫画『はだしのゲン』のような扱い方をすべきだというものです。 いずれも、たとえ「事実」でもそれをそのまま書くことは朝鮮人差別を扇動するものだという批判です。

 「多民族共生人権教育センター」事務局長の文公輝さんも次のように批判しています。

横暴な振る舞いをした人がいたことは事実かもしれないが、一部の言動のみをクローズアップして『朝鮮人』と属性で語ることは人種差別につながる。公共放送であるNHKのアカウントがそうした投稿をすることで、以前から差別的言動を繰り返している人に『餌』を投げてしまっている

なぜそのような振る舞いがあったのか、日本による植民地支配で朝鮮人が抑圧されていた歴史的背景などの注釈を入れる必要があるが、(短文の)ツイッターでは無理」と、企画自体の限界も指摘し「投稿に関わった未成年者に批判の矛先が向く2次被害が起こるかもしれず、局が当事者として責任をもって前面に立って向き合う姿勢を見せてほしい

 この文さんの発言は「横暴な振る舞いをした人がいたことは事実かもしれないが」と事実について曖昧にしながら、直後に「なぜそのような振る舞いがあったのか」と事実を肯定しており、「ぶれ」があることに注目されます。 事実か否かの検証などはするのではなく、「事実」なるものをそのまま語ってはいけない、という主張ですね。 

 フリーライターの大橋由香子さんも同様の批判をしています。

若い人に関心を持ってほしい、身近に感じてほしいという意図はわかるが、戦争や差別に加担していく当時の人に同化させてしまう演出は危険だ。共感するあまり、侵略して人を殺すのも、非国民を差別排除するのも仕方なかった……と思わせてしまうのではないか

 文さんも大橋さんも、終戦直後に朝鮮人たちがどう振る舞い、日本人たちがそれをどう感じたかという歴史的「事実」はそのまま書くな、ということです。 

 番組を作成したNHK側の説明は、次のようです。

若い世代の方々にも当時の混乱した状況を実感をもって受け止めてもらいたいと、手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって掲載しました

 毎日新聞の記事は、このNHKの説明に対し批判する人だけを登場させて解説したことになります。 従って、毎日は「事実」はそのまま書くな、という立場ですね。

 戦後の朝鮮人たちの「振る舞い」について、私はこれまで下記のように書いたものがありますので、笑覧いただければ幸い。

【拙稿参照】

終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495

張赫宙「在日朝鮮人批判」(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714

張赫宙「在日朝鮮人批判」(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446

権逸の『回顧録』          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587

在日朝鮮人の「無職者」数      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/05/7971706

水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824

闇市における「第三国人」神話    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai

 ところで、文光輝さんは「なぜそのような振る舞いがあったのか、日本による植民地支配で朝鮮人が抑圧されていた歴史的背景などの注釈を入れる必要がある」と話しました。 その「歴史的背景」ですが、15年以上前に作家の金賛汀さんは自著の『在日 激動の百年』のなかで次のように書いておられます。 

在日朝鮮人の間には植民地支配を通して、法律は朝鮮人を苦しめるために存在しているという意識から、順法精神は極めて薄く、統制物資の密売密造に犯罪意識はほとんどなかった。 その上日本の敗戦で自分たちは「解放国民」になったから日本の法律に従わなくてもよいという思い込みもあった。 ‥‥戦前抑圧され、おとなしかった朝鮮人が「解放民族」という立場を利用して、日本人の命令に従わず、勝手な振る舞いをするので日本人は苛立ったのである。」(金賛汀『在日 激動の百年』朝日選書 2004年4月 100~102頁)

 「歴史的背景」はこの金さんの記述が適切だと私は考えています。

韓国の特殊詐欺2020/08/31

 日本では「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」などの詐欺犯罪を「特殊詐欺」と呼び、以前より横行しており、毎年の被害額が300億円以上だそうです。 この特殊詐欺、日本だけではなく韓国でも横行しています。 韓国では特殊詐欺を「피싱(フィッシング)」あるいは「보이스 피싱(ボイス フィッシング)」と言います。 これらは英語をそのまま使った通称で、法律上では「전기통신금융사기(電気通信金融詐欺)」という用語になります。

 3週間ほど前(8月11日付け)ですが、韓国の中央日報に「フィッシング(特殊詐欺)」の記事がありました。 日本語版にも出てくるだろうと思っていたのですが、結局は出てこなかったので、訳してみました。

行く所まで行ったフィッシング、マンションまで入っていって、現金26億ウォンをだまし取る

ソウル城東区に暮らす50代の女性Aさんは、先月31日に「もうすぐ宅配の品物を住所地に配送されます」というメールが来た。 宅配を頼んだことがなかったAさんは、メールの番号に電話をかけ、「どんな品物か?」と尋ねた。

電話を受けた人は自分を「検察職員」だと名乗った。 彼は「あなたの個人情報が犯罪に使われ、口座を検査しなければならない」と言った。 引き続き「すぐに金監院(金融監督院)の職員が家に行くので、お金を渡しなさい」と言った。 金監院職員だという人に会ったAさんは、郵便局から引き出した現金を旅行用カバンに入れて彼に渡した。 同じ方法で四日間、全部で13回にわたってAさんが渡した金額は、総額26億ウォン(約2億3千万円)。

変だと感じたAさんは、去る5日に警察に「現金26億ウォンをボイスフィッシング詐欺で盗られた」と通報した。 26億ウォンはAさんが遺産で貰った住宅を売って作ったお金だった。 Aさんはお金をソウル市内のある郵便局支店から引き出した。 Aさんは郵便局を訪れる度に、数千万ウォンから最大3億ウォンを主に一万ウォン券(約900円)でまとめて準備し、カバンに入れた。お金を引き出す際に郵便局職員には「移民するのに資金が必要だ」と言った。 郵便局関係者は「Aさんは職員が提示したチェックリストのうち『警察、金監院職員から電話を受けましたか』という質問に『ない』と答えたので、ボイスフィッシング詐欺に遭ったという事実は分からなかった」と説明した。

検察・金監院職員を詐称し、Aさんに接近した被疑者は全部で6人。 ボイスフィッシング詐欺犯たちは、単純に通話でお金を振り込ませる手口ではなくAさんに直接会った。 Aさんが暮らす団地の裏門や団地内にまで入ってきてAさんに会い、お金を受け取った。

警察は団地の防犯カメラなどを使って被疑者を追跡している。 警察関係者は「現在追っている6人は受け取ったお金を渡す「受け子」である確率が高い」と言い、「ほとんどのボイスフィッシング詐欺事件と同じく、主犯が他にいる可能性も念頭に入れて捜査している」と話した。

2年の間に被害額2.7倍

金監院関係者は事件について「典型的で体系的なボイスフィッシング詐欺の手口」と分析した。 ボイスフィッシング詐欺対策の専門担当チームは「誰かが捜査機関の役割をして、誰かが金融監督院の役割をする「役割劇」に騙される場合が多い」と言い、「最近は銀行口座が追跡されないように、現金で要求する事例も増えている」と説明した。

金監院によればボイスフィッシング詐欺犯罪の被害額は、2017年2431億ウォン(約219億円)、→2018年4440億ウォン(約400億円)、→2019年6720億ウォン(約605億円)と増え続けている。 貸出相談をしてあげますと言って接近する「貸出詐欺型」(76.7%)、政府機関を詐称し、あなたは犯罪に巻き込まれていると言って接近する「機関詐称型」(23.3%)が一番多かった。 金監院関係者は「政府機関や金融機関は、絶対に特定個人の口座に振り込みを要求したり、現金を直接受け取ることはない」と話した。

 韓国のフィッシング詐欺は日本の特殊詐欺と犯罪の範囲などがおそらく違っているでしょうから、被害額等の数字をそのまま比較することは出来ないでしょう。 (参考までに韓国605億円、日本300億円以上) しかし韓国の詐欺は毎年すごい勢いで増加していることが分かります。

 また「貸出詐欺型」と「機関詐称型」の二つがほとんどという特徴があります。 日本のような「オレオレ詐欺」がないことに関心が行きますね。

 こういう犯罪は、それぞれの国の民族性を考える上で大いに参考になると思います。 いずれ世界各国の特殊犯罪の特徴を論じた論文が出てくるものと期待しています。