かつて朝鮮人女性には名前がなかった2018/12/13

 李朝時代の朝鮮では女性に名前なかったことについて、現代日本人にはなかなか理解が難しいようです。 犬猫でも名前があるのに‥‥、名前なしでどうやって生活できたのか‥‥という反応になりがちです。 しかしこれまでかなりの研究者がこれについて論じてきており、拙稿でも紹介してきました。 下記【拙稿参照】

 ついでにもう一つ、資料を紹介します。 尹学準『韓国両班騒動記』(亜紀書房 2000年4月)に、朝鮮人女性の名前について著者と日本の進歩系インテリ女性との会話が報告されています。

―朝鮮の場合、女性は結婚しても苗字が変わらないそうですね。

―もちろんです。日本の場合、昨日まで田中○子だったのが、結婚したとたんに亭主の苗字になる。これはいけませんね。まさに従属そのものじゃないですか。

―そうだわよね。女性蔑視の最たるものだわ。朝鮮の女性はなんとすばらしいことでしょう。うらやましいわ。

―女権獲得のために大いにがんばることですね。

この羨望のまなざしをこめて問いかけてきたのは、日本の進歩派の女性、フェミニストのリーダーの一人であった。  かくいう小生もこういう内容のことで幾度か話しかけられたことがある。 そのとき私はどう答えたか。

―いや、実は朝鮮の女には名前さえないのですよ‥‥。などと正直なことは絶対に言わない。 ただニヤニヤしてその場をごまかし、なんとか話題を逸らしたりするのだ。(以上 141頁)

私は「朝鮮の女には名前すらない」ことに対して、わが家の女どもから糾弾されただけですんだことにつくづく安堵した。 もしこのことが日本の進歩的インテリ女性―とくにフェミニストの闘士に知られたらどうなることだろうと思うと、背筋が寒くなる。 朝鮮女性にたいして向けられた羨望のまなざしが一転して侮辱のそれに変わるであろうから。 ひたすら国家、民族を愛している国粋主義者の私にとっては、これは耐えがたいことだ。(144頁)

 ちょっと面白おかしく書かれていますが、「朝鮮女性には名前がなかった」という事実は間違いないところです。

 なお奴婢等の賤民階級の女性には名前があったことは忘れないでほしいところです。 李朝時代は最下層の賤民女性には名前があり、上・中層の女性には名前がなかったのです。

 奴婢は「一賤則賤」「従母法」という法に従って、婢女から生まれた子供は奴婢であり、全て主人の両班(貴族階級に相当)の私有財産となりました。 両班にとって婢女が子供を産むと、自分の財産が増えることになるのでした。 従って両班は奴婢が自分の私有財産であることを証明するために、母親の婢女の名前が必要だったのです。 女性に名前があるということは、李朝時代では厳しい女性差別と身分差別の産物であって、人格尊重では全くありませんでした。

 「李朝時代、女性に名前はなかった」の反論に、奴婢の女性の名前を挙げることは可能ですが、果たしていかがなものなのでしょうかねえ。 上層階級の両班が王様の逆鱗に触れて処罰されて妻女が奴婢身分に落とされた場合、その妻女には名前が付されます。

 韓流ドラマの時代劇を見るとき、女性がどのように扱われているかに注意してみると、時代考証がどれほどいい加減か、興味深いですね。

【拙稿参照】

李朝時代に女性は名前がなかったのか   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795

李朝時代の婢には名前がある       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは?   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/04/8083000

名前を忌避する韓国の女性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916

元徴用工判決「日本は法的な問題とみなしてはならない」2018/12/06

 韓国の元徴用工判決に対して日本側が「対抗措置」に言及したことに対して、韓国外交部が反発したそうです。 12月4日付け聯合ニュース。 https://jp.yna.co.kr/view/AJP20181204005100882?section=japan-relationship/index  一部を抜書きしますと、

外交部当局者は4日、記者団に対し「日本側が韓日関係を重視するのであれば、責任ある姿勢として歴史問題に対して誠意を持って臨むことを期待する」とし、「日本側が、今回の事案を法的な問題とみなし、過去に両国間にあったが不幸な歴史に起因する問題に対して目を閉じてはならない」と指摘した。

その上で、「特に日本側は今回の事案を過去の歴史問題から抜け出すための好機と考えてはならない」と強調した。

また「法的問題はともかく、根本的に韓日関係は法だけでは解決できない道徳的、歴史的背景があるにもかかわらず、日本側が法的に全て終わったことであり責任を負うことではないというふうに問題の根源を度外視する態度をみせるのは両国関係にとって決して望ましくない」と批判した。

 この中で、日本側が「法的な問題」として取り上げることに対し、韓国側が反発していることに注目されます。 日本では法に定まっていたら、それを最優先に尊重するという考え方が定着していますが、韓国ではそうではないということです。

 かつて李明博大統領が「日本人はすぐに法律を持ち出す」と日本に対する不満を表明したことがあります。 つまり法やルールに対する考え方が、日本人と韓国人とでは大きく違っているのです。 これについてはこれまで拙論で何度も論じてきましたので、ご参照ください。

 世界には法に対する考え方・価値観が違う国がたくさんあります。 韓国はそういう国の一つとして見なければならないということです。 

【拙稿参照】

法に対する思想が根本的に違う日本と韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/11/6570566

法より情を優先する韓国社会       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/16/6575093

韓国の古代的法規範意識         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/27/1873691

韓国の法意識              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/10/1900716

韓国の法意識(続)           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/17/2393593

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335

法を軽視する韓国の民族性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/01/6967936

法を守るという価値観          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/11/1501343

法治国家かどうか疑問の韓国       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/19/7496467

法治主義と儒教             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/23/7500552

英雄を救うために法を変えよ―韓国    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/25/7597162

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335

韓国の非常識判決ー対馬の盗難仏像 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/02/27/6732313

非常識がさらに非常識を呼ぶ―対馬仏像盗難事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/12/6744868

韓国の和食ブーム―もう一つの韓国の姿2018/11/30

ソウルの弘益大学前通り

 11月19日付の『朝鮮日報』に、韓国での和食ブームの記事が載っていました。 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2018/11/19/2018111900031.html 

 ↑の写真が掲載されている(クリックすれば拡大します)のですが、そのキャプションが 「東京の街ではない。 ソウルの弘益大学前の通りでは日本語看板の飲食店が並んでいる。 小さな写真は和食専門学校で、和食飲食店の創業を夢見る30~40代の者たちが日本料理の調理法を学んでいる姿」 とあります。

 確かに日本のどこかの繁華街の写真と見間違うでしょう。 和食ブームについて聞いてはいましたが、これ程とは思いませんでした。 このところ韓国に旅行するとしても全羅北道や江原道のような地方ばかり行っていて、ソウルの様子は知らなかったです。

 日本関連の記事は日本語版に出るものなのですが、今回の記事は何故か載っていないですねえ。 日本人に読ませたくないと思ったのでしょうか。 一部を翻訳してみました。

Kポップなどの韓流コンテンツが日本を強打している間に、韓国の中の日流は全く予想しなかった場所で流れている。 主要繁華街を日本風に変えるくらいに日本食である「和食」の熱風が強く吹いている。

2006年に5272店だった「日本料理専門店」の数は、今年8月に1万7290店と三倍以上に増えた。 ソウルの弘益大学前、江南、ソウル大学前駅など若者が多く集まる街では、日本風の建物に日本語の看板を掲げた飲食店が並んでいる。 20,30代の若者や外国人観光客の間では、弘益大学前は「韓国のジャパン・タウン」として有名だ。弘益大学前の通りに日本食堂や日本デザート店がずらりと並んでいる。

旅行サイトで「弘益大学」を検索すると、「食堂従業員が日本の伝統の服を着て、日本語で挨拶する所」「日本の飲食文化を十分に楽しめる所」のように、外国人たちが残したレビューが溢れている。

和食店の創業は、このごろは30~40代の退職者が一番希望する創業アイテムだ。 15日午後に訪ねたソウル江南にある日本料理専門学校では受講生25人が日本の料理・製菓・製パンの技術を学んでいるところだった。  学校の受講生の大部分が大企業・制約会社・IT企業などの職場を辞めた人たちだ。学校理事長の中村徹さんは「受講生の70%以上が創業を準備している30~40代」と言って、「9年前に初めて学校を開校した時は韓国の日本食堂は刺身・すしの店だけだったが、今は日本の家庭料理からデザート専門店まで、多様です」と語った。

日本旅行ブームの余波も大きい。 昨年日本を訪問した韓国人観光客714万人中73.6%が、日本旅行の目的を「食事をする」を選んだ。 「ショッピング」(53.4%)や「観光地訪問」(38.2%)を上回った。 ユ・ジン日本政府韓国局課長は「過去には東京新宿でショッピングをしたり、温泉旅行などの目的であったが、今は日本のミシュラン美味しい店ツアーなど、食事を主要目的とする旅行客が大きく増えた」と語った。

 韓国では和食ブームや日本旅行熱、日本現代小説のベストセラー等々、親日的といえるほどに日本に対する関心が高まっています。 一方、慰安婦財団の解散や元徴用工判決など反日の暴走と言わざる得ない動きも活発化しています。

 このように韓国では親日と反日が共存しているのですが、これを韓国人自身がどのように分析・解説しているのか、そんな文章がなかなか見当たりませんねえ。 (シンシアリーさんや崔硯栄さんのような方がおられますが、これは日本人向けになされた日本語での発言です)

 韓国の親日的心情が反日的行動を抑えるなんてことは、期待しない方がいいでしょう。 韓国では「親日」という言葉が民族の裏切りという意味で使われていて激しい糾弾の対象となります。 日本に留学して日本人や日本文化に慣れ親しんだ韓国人が本国の反日言動にちょっと異議を唱えただけで、あいつは「親日派」だというレッテルを貼られてしまい、今度はそれを打ち消すために本人が反日言動を積極的にするようになったという実話がありました。 日韓交流は日韓友好に必ずしも繋がらないのです。

 難しいお国柄と言う外ないですね。 個人のレベルでは難しいところはお互いに口に出さないで折り合いをつけることが出来ますが、国のレベルではそういうわけにいきません。 政治面だけでなく対馬の仏像問題によって文化財の面でも、そして今度は元徴用工裁判判決によって経済面でも関係が悪化していきます。 将来の展望がなかなか見えないですねえ。 しかし、これも現実として受け入れるしかないでしょう。

【拙稿参照】

韓国の対日感情は理解が難しい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813934

韓国人のアンビバレントな感情   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/01/8690297

韓国の反日感情はいつ形成された? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/08/8698008

世界で唯一日本を見下す韓国人   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

日本を見下す韓国(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/22/8285733

韓国人の対日感情         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/12/8317218

日韓交流は相互理解に役立ってきたか?http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/13/8747383

古田博司『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136

韓国の高校での頭髪規制2018/11/25

 韓国の文学賞の一つである「젊은 작가상(若い作家賞)第8回2017」の受賞作品集にあるチェ・ウニョンの「그 여름(あの夏)」を読んでいたら、主人公であるイギョンの高校時代の頭髪規制が書かれていました。

고등학교를 다니던 내내 이경은 머리를 검은색으로 염색해야 했다. 머리카락이 갈색이어서 교칙에 위반되었기 때문이다. 뿌리부터 다시 갈색 머리가 자라나면 선도부에 불려가서 훈계를 듣고 그 부분을 검게 염색해야 한다. “너 눈도 갈색이구나?” 자신을 바라보던 선도부장의 찌푸린 얼굴 앞에서 이경은 더이상 주눅들지 않았다.

 ちょっと翻訳してみますと、

高校に通っている間ずっと、イギョンは髪を黒く染めなければならなかった。 髪の毛が茶色なので、校則に違反していたためである。 根元からまた茶色の毛が生えてくると、風紀委員の先生に呼ばれて注意を受け、その部分を染めなければならないのである。 「お前は目も茶色なのか?」 自分を見る風紀委員長がしかめっ面をしても、イギョンはもう萎縮しなかった。

 これを読んで、韓国旅行すると遠足の高校生の集団を見ることがよくあるのですが、そう言えばみんな髪の毛が黒かったなあ、また茶髪は見なかったなあと思い出した次第。 作者は1984年生まれですから、2000年代初め頃の自分の体験を元にしたのだろうと思われます。

 日本では高校での頭髪規制が大きな問題になったことがありました。 校則では茶髪禁止・染色禁止となっているのに、元々茶髪の生徒が黒く染色することを強制されたというものでしたね。 韓国ではどうなんでしょうか、問題になっているのでしょうか。 この小説を読む限りは問題になっていなかったようです。 また私がこれまで読んできた韓国の新聞でも見たことがありません。 

 5年ほど前ですが、韓国からの留学生から本国での教育事情を聞いたことがあります。 参考いただければ幸い。

韓国の教育事情―留学生から聞く http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/18/7391623

4・3事件-南労党を隠ぺいする読売解説2018/11/19

 読売新聞2018年11月18日付けに、4・3事件犠牲者の慰霊碑が大阪に建てられたという記事が載っています。 https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20181117-OYTNT50123.html

 この記事で私が一番大きな違和感を感じたのが、4・3事件の一方の主役であった南労党(南朝鮮労働党)が全く出て来ないことです。 事件の解説は次のようになっています。

◇四・三事件 1948年4月3日、朝鮮半島の南北分断につながる「南朝鮮」単独での総選挙に反対する島民らが警察署を襲撃。54年にかけ、軍や警察による鎮圧で、島民3万人が犠牲になったとされる。文在寅大統領は今年4月3日の追悼式典で「国家による暴力」だったとして謝罪した。

 4月3日に警察署を襲撃したのは、南労党という共産主義者組織の武装隊(遊撃隊、山部隊ともいう)だったのですが、記事ではそれを「島民らが襲撃」と記したところに大きな誤解を生むものと考えます。 更には、これは歴史の隠ぺい・ねつ造と言ってもいいのではないかとさえ思います。 なぜなら記事では、事件をまるで「軍・警察」対「島民」の対立のように描いているからで、 実際は「軍・警察」対「南労党」の対立だったのです。

 4・3事件はこの読売記事に限りませんが、警察や軍による白色テロばかりがクローズアップされて、南労党による赤色テロが全く無視されているのは、いかがなものかと思います。 「軍や警察による鎮圧」という白色テロが過酷なものだったのは間違いないですが、南労党の武装隊による赤色テロもまた過酷なものだったのです。 両方を見てこそ事件の真相が理解できるものでしょう。 

 赤色テロに関しては、下記の拙稿を参照頂ければ幸甚。

【拙稿参照】

済州島4・3事件の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890

済州島4・3事件の赤色テロ(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896622

済州島4・3事件の赤色テロ(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/23/8900976

済州島4・3事件の赤色テロ(4)-警官家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/30/8906338

済州島4・3事件の赤色テロ(5)―右翼家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472

済州島4・3事件の赤色テロ(6)―評価は公平に http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907

もう一つの在日特権2018/11/13

 在日韓国・朝鮮人が有する特別永住資格や生活保護、通名などが「特権」でないことは、これまで拙論で何度も言及してきました。 (下記 拙稿参照)

 しかし在日だけが有する権利というものが確かにあり、これこそが「特権」と言えるのでないかと10年前に論じたことがあります。その一つが指紋押捺を強制されない権利です。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/12/2556636 これについて次のように論じました。

一つ例を挙げると、韓国における指紋押捺義務について、本国の韓国人は住民登録の際に一本指の指紋押捺が義務付けられ、日本人は韓国に長期滞在するなら10本指の指紋押捺が義務付けられています。  しかし在日は韓国で長期滞在は可能ですが、日本の永住権を放棄しない限り住民登録できませんので、指紋を採られることはありません。  つまり指紋押捺について、在日は日本でも本国の韓国でも指紋を採られないのです。 このように日本人にも本国韓国人にもない権利が在日にあります。  こういったものが「特権」ではないかと思います。

 ここでは「一つ例を挙げると」としましたので、もう一つ二つ、「特権」を挙げたいと思います。

 外国旅行する時、空港の出入国審査の際に日本人用の窓口と外国人用の窓口があるのはご存じでしょう。 そして日本人用窓口には「特別永住者」も利用できるとあります。 つまり在日は海外旅行する際に、日本人用窓口も外国人用窓口も両方使うことが出来るのです。 ですから待っている人の列の少ない方に並べば、早く審査を終えることが出来ます。 これは日本国籍者も本国の韓国籍者も有していない権利となりますので、「特権」と言えるでしょう。 (なお最近は日本のパスポート所持者には入国審査で顔認証ができます。 これは韓国パスポートの在日は利用できません。 在日の特権はここでは通用しません。)

 韓国の文化施設や史跡公園などでは、65歳以上入場無料という場合が多いです。 しかし65歳以上の日本人が行っても無料になりません。 なぜなら無料は韓国人に限られるからです。 ですから在日が韓国のパスポートを提示すると無料になります。 在日は普段日本で生活して税金も日本に納めており、本国である韓国には税金を出していません。 それでも65歳以上入場無料のサービスを受ける権利を有しているのです。 これも「特権」と言えるでしょう。

 在日特権とは日本人も本国韓国人も有していない在日だけの権利であり、だから帰化すれば消滅する権利です。 私には在日特権と言えるのは以上の三つぐらいが思い当たるだけで、他にはないでしょう。

 在日特権廃止を訴える人はこれには関心が行かないで、特権でも何でもないものを「特権」だと間違った主張を続けているのが不思議ですね。 さらには「死ね」「殺せ」「ゴキブリ」などと叫んでいたとなると、精神を病んでいるとしか言いようがありません。

【拙稿参照】

特別永住の経過             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381

特別永住制度の変更は非現実的      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857

在日の法的問題は解決済み        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500

米国籍などの特別永住者         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

在日の特別永住制度           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629

在日特権                http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/12/2556636

ある在日の生活保護           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/19/6449827

もう一人の在日の生活保護        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457698

在日の生活保護             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/16/6867746

在日の生活保護の法的根拠        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/22/455680

「カタカナ姓」考            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/04/392195

外国人の通称名はワガママか       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/09/09/516945

来日外国人の犯罪は多いか少ないか    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/03/08/1243463

外国人の公務員             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/03/1887261

外国人の生活保護            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/11/3066189

外国人差別               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/06/14/3576527

外国人が日本名(通名)を使う理由    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/23/6640875

外国人の名前が日本文化に馴染まない例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/17/6662794

出自を隠すための通名には事情がある   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/21/6666178

「通名禁止」主張はレイシズム      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/29/6673689

二つの名前を持つこと          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/27/6493072

在日の本名とは?            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383

通名を本名と自称する在日        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499

日本名を本名とする在日朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

在日の通名使用の歴史は古い       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

ある在日の通名騒動記          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/16/6904707

通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152

外国人が通名で銀行口座を設ける場合   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/13/6945717

外国人の名前              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/16/6948002

在日の通名は特権ではない        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/23/7019964

通名登録制度を悪用した事件       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/02/7031887

本名強要は人格権侵害ー判決       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/24/7618561

在特会「桜井誠」とは          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/02/6649208

過激な言動は犯罪を生む         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/23/6755958

アクセス数の急減           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/04/6768285

在特会の行方             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/29/6881139

在特会を弁護する人たち        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/24/6917763

私がコメントしない訳         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/06/7238847

こんなメールが来ました         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/12/7242809

こんなメールが来ました(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/29/8606306

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(3)2018/11/06

 ところでこのコラムの執筆者である広岩記者は、朝鮮人は同じ「臣民」とされながら日本人から差別された存在であり、それが不当であることを強調するために、これまでのような引用を繰り返したものと思われます。

毎日のコラム「平和をたずねて」の間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/25/8982241

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/30/8985621

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/02/8987343

 それならば「臣民」としての義務――具体的には兵役・納税・教育の三大義務のうち、兵役と教育の二つの義務が朝鮮人には課せられていなかったことを強調してほしかったと思います。 すなわち朝鮮人は徴兵制が適用されないで兵役を免れていたのであり、また子供を学校に行かせるか否かは自由だったのです。 義務がないということは、それだけ有利だったということにもなります。

 従って同じ「臣民」でも朝鮮人は日本人とは区別される存在であり、同等ではありませんでした。 そしてその差別をなくそうと努力するものが「皇民化・内鮮一体」でした。 朝鮮人には「臣民」が有する当然の義務がない、そのことが我が朝鮮人の地位を低くしていると考えた当時の朝鮮人有力者や知識人たちが皇民化を求めて臣民の義務を果たそうと呼び掛けたのでした。

 しかし皇民化への道の半ばにして日本は敗戦しました。 それによって朝鮮という土地が日本から離脱し、朝鮮人という民族が日本人から離れたのでした。 そして朝鮮人の地位向上を図って「皇民化・内鮮一体」を呼び掛けた有力者や知識人たちは、民族を裏切る「親日派」という烙印を押されて激しい批判を浴びてきたのです。

 植民地下の朝鮮人は大日本帝国の臣民でしたが、臣民として当然であった兵役と教育の義務がなく、その義務が課せられた日本人とは違う地位にあったことはもっと知られていいと思います。 広岩記者はその違いを知ってあのコラムを書いたのか、疑問とするところです。

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(2)2018/11/02

 このコラムにはもう一つ疑問点があります。 同じく引用文です。    https://mainichi.jp/articles/20181023/ddn/012/040/033000c

尹健次『もっと知ろう朝鮮』(岩波ジュニア新書)は次のように記している。   <三・一独立運動がおこったあとの一九二三年ごろからは、それまでの「自由渡航制」が廃止されて、総督府管轄下の警察などが発行した「旅行証明書」をもたない者の乗船を禁止する「渡航阻止制」が実施されていきました。つまりそれ以後、日本人は自由に朝鮮に渡航できたのに反し、朝鮮人は同じ「日本臣民」であっても、「旅行証明書」という一種の「パスポート」がなければ日本に渡れなくなったのです>

 これは、岩波ジュニア新書『もっと知ろう朝鮮』(2001年2月)の112頁に該当部分があり、引用に間違いはありません。 この中で疑問点は、『渡航阻止制』の実施が「1923年ごろ」とあるところです。 そもそも制度の実施ですから、その施行年は明確なはずなのに、「ごろ」という曖昧な書き方をしたところに疑問が出てくるのです。 

 この点について、樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』(同成社 2000年6月)の43~45頁にある記述を紹介します。

「韓国併合」以降は朝鮮総督府によって渡航労働者の渡航管理が実施される

1919年3月1日の三・一独立運動は朝鮮人の日本渡航に決定的な影響を及ぼすことになった。 運動の広がりを恐れた総督府は、同年4月19日に警務総監部第三号「朝鮮人の旅行取締に関する件」を通牒したのである。

1922年12月 警務総監部第三号廃止(総督府令153号) - 渡航証明書制度が廃止された

1923 年9月 同上令復活(関東大震災のため) - 渡航証明書制度の復活

1924年6月 同上令廃止  - 渡航証明書制度の廃止

具体的な渡航阻止政策が展開されたのは1925年10月からであった。同年8月に内務大臣が総督府に対して渡航制限を要望し、これに答える形で実施されたのである。 この要望は①就職口確実ならざるもの、②準備金百円以下のもの、③国語に通ぜざるものという内容であったが、総督府では就職口の確実でないものについての渡航阻止をすることになった。具体的には釜山で警察官10名で旅行証明書の有無などの朝鮮人監視体制を整え、渡航阻止を始めた

 朝鮮人渡航阻止制は、廃止されたり復活したりの複雑な経過を経た上で、1925年から本格的に実施されたようです。 尹健次さんが渡航阻止制の実施を「1923年ごろ」としたところに疑問をもつゆえんです。

 毎日の広岩記者はこういった疑問点を検証せずに、引用元をそのまま信じて引用したということですね。 これは私も犯している可能性のあるミスなので、改めて自戒せねばならないと思うところです。

 引用元を検証するする作業は、本当に手間がかかります。 このような引用の仕方ならおそらく正しいだろうと思って再引用することが多いのですが、これが落とし穴になることが多々あります。 皆様もご自覚あれ。

【拙稿参照】

毎日のコラム「平和をたずねて」の間違い  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/25/8982241

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/30/8985621

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(1)2018/10/30

 前回、毎日のコラムにある吉野作造が「独自調査」としている点が間違いであることを指摘しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/25/8982241 なおこのコラムでは、他にも間違いというか疑問が見られます。 

シベリアからの撤兵を表明すると、ウラジオストックでは日本人の引き上げが始まった。政府は‥‥朝鮮人には冷たかった。 <引き揚げを希望する朝鮮人も約1万5000人にのぼっていた。にもかかわらず、加藤内閣は彼らを支援しないと10月13日に閣議決定した。 (略) 日本人と同じ「臣民」ではあるものの、そこには一線が引かれていた。(麻田雅文『シベリア出兵』中央新書)

 この引用文の中にある「朝鮮人は日本人と同じ『臣民』であるものの」とあるところです。 あれ?!シベリアに多数の朝鮮人が住んでいたのですが、彼らはロシアの支配を受け入れていて、日本の「臣民」ではなかったはずだが、と思いました。

 シベリア特に沿海州には李朝末期(19世紀)から多くの朝鮮人が移住していました。 彼らの生活はイギリス人女性旅行家のイサベラ・バードが報告しています。(翻訳が平凡社と講談社学術文庫にあります) 彼らは朝鮮総督府の編成する朝鮮戸籍に登載されておらず、従って血統的には朝鮮人ですが大日本帝国の構成員である「臣民」ではありませんでした。 これについてもっと詳しい資料を探してみたのですが、ちょっと見当たりませんでした。 さらに調査しなければなりませんね。

 ところで、これは引用文ですので、引用元を探してみました。それは麻田雅文『シベリア出兵』(中央新書 2016年9月)211~212頁に該当部分があり、正確に引用されていることを確認しました。 省略されているところがあるので、前後を含めて改めて紹介しますと、

1922年9月末には、ウラジオストックの日本人たちは、やむを得ない事情で残るほかは、いっせいに引き揚げることを決める。こうして、8月1日には3386名いた日本人は、10月中旬には多くが引き揚げた。‥‥ 引き揚げを希望する朝鮮人も約1万5000人にのぼっていた。にもかかわらず、加藤内閣は彼らを支援しないと10月13日に閣議決定した。「政情の変化に基づく朝鮮人の危険は甚だ微小」という理由で、日本人と違って彼らは安全だと言う(『日外』大正11年第1冊)。日本人と同じ「臣民」ではあるものの、そこには一線が引かれていた。

 ここで中国満州にあった間島(今の延辺朝鮮族自治州)に居住していた朝鮮人の違いが出てきます。 同じく『シベリア出兵』には次のような記述があります。

日本政府が1915年の対華21ヶ条要求と南満東蒙条約で、間島地方朝鮮人も「日本人」であり‥‥と主張していた (177~178頁)

 つまり大日本帝国政府は、間島の朝鮮人は我が国の臣民であると主張していながら、シベリアの朝鮮人については発言をして来なかったのが実情だったのです。 日本はシベリア在住朝鮮人を「臣民」と見なしていなかったのです。 だからシベリアの朝鮮人たちの多くがロシア革命の際にパルチザン(赤軍派)に加担して、日本のシベリア出兵に対抗した理由が分かります。

 この辺に関してはもっと調べねばならないところですが、シベリアの朝鮮人は「臣民」ではなかったという点で、他の朝鮮人とは区別されていたと言うことが出来ると思います。

毎日のコラム「平和をたずねて」の間違い2018/10/25

 毎日新聞2018年10月23日付けのコラム「平和をたずねて ―広岩 近広」の中に、次のような引用文がありました。     https://mainichi.jp/articles/20181023/ddn/012/040/033000c

(関東大震災で殺害された朝鮮人の数は)デモクラシー指導者で「朝鮮人虐殺事件は震災における最大の悲惨事」とした吉野作造は独自の調査で2613人としたほか、在日朝鮮人らが結成した「在日同胞慰問会」の調査では6000人を超えた」(毎日新聞社『毎日の3世紀 上巻』)

 これを読んで、あれ!? 吉野作造は自ら調査したことがなく、犠牲者数は伝聞の話のはず。 これは明らかな間違いなので、引用する際に錯誤があったのではないかと思って、引用元の本を探しました。

 『毎日の3世紀 新聞が見つめた激流130年 上巻』(2002年2月)の545頁に該当部分がありました。 そして引用は間違っていないことを確認しました。

 ところで吉野作造自身が、殺害された朝鮮人の数について次のように述べています。

朝鮮人の被害の程度を述べる。之は朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いたものであるが、此の調査は大正12年10月末日までのものであって‥‥ (姜徳相・琴秉洞編『関東大震災と朝鮮人』みすず書房「現代史資料」 360頁に所収)

 また吉野作造『中国・朝鮮論』(平凡社東洋文庫 松尾尊兊編)の300頁には、次のような編注があります。

吉野は‥‥朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いたという、朝鮮人の虐殺地点と人数(計2,613名)を記した

 以上のように吉野作造自身が伝聞であって「独自の調査」を全くしていないことを明記しているし、研究者もそれを記しています。 しかし毎日新聞は16年前の自社の出版物に吉野は「独自の調査」したと書き、さらに広岩記者がこの間違いを検証しないで最近のコラムにそのまま引用した、ということです。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

関東大震災の日本人虐殺     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/15/8189607

関東大震災「朝鮮人虐殺事件」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/01/8663629