李青若(3)―1990年代の在日問題2022/12/11

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/06/9546013 の続きです。

 1992年、上智大学で「日本人が在日韓国・朝鮮人と共生できるか」をテーマにしたシンポジウムが開かれました。 李青若さんはそこを見学します。 まずは司会の挨拶です。

在日・韓国朝鮮人の実態とその苦悩を日本人も知らなくてはならないということで、姜大徳先生をお招きしました。 姜先生は、在日韓国人の子供たちの悩みの相談にのったり、ハイキングなどを企画して、日本人と在日韓国人が交流するためのサークルを作って活動していらっしゃいます。 これからお配りするパンフレットを参考にしながら、姜先生のお話をうかがって、そのあと、ディスカッションをしたいと思います。(161頁)

 講師は「姜大徳」さん、検索してみると全く出てきませんねえ。 今はもう活動を止められたのでしょうか。 その当時どのような活動をされていたかというと「在日の子供たちの相談やハイキング」「日本人と在日との交流」ということですから、かつての民闘連(民族差別と闘う連絡協議会)系統の在日子弟向けサークルでの活動だったように思われます。 シンポジウムで配られたパンフレットには、そのサークルに集まった子供の悩みが次のように書かれていました。

私は韓国人なのですが、友人の前では日本人の顔をしています。 私が韓国人だとわかったら、友人たちは、どういう態度をとるでしょうか。 多分いじめられるでしょう。 私は引っ越したのですが、このサークルに戻ってくると、みんな私が韓国人だと知っているし、本名で呼ばれて『ホッ』とします(161頁)

 講師の姜さんは講演のなかで、在日の子供の悩みを次のように語ります。

パンフレットを見ていただきたいのですが、子供が自分が在日だというだけで、悩み苦しむ現実がお分かりいただけると思います(162~163頁)

 私の経験では、この「悩み苦しむ現実」は1970年代までならあり得るのですが、それから20年も経った1990年代にまであったというのですから、ちょっと信じられないところです。 だいたい自分が韓国人だと分かったら友人はイジメるというなら、それは「友人」ではない、そんな人とは直ぐに絶交しなさい、そして担任の先生に言いなさい、と忠告するしかないと思うのですが。

 次に姜さんは「在日の実態と悩み」についてどのような講演をしたかというと、李さんの本では次のように要約されています。

①「在日韓国人は日本人同様、税金を納めている立派な納税者なんです。 なのに選挙権がないというのは、おかしな話です」

②「日本政府は、私たちを強制退去させることができるんです。 しかし、日本で生まれ育った私などはもちろん、一世たちでさえ日本以外の国で暮らすことはもはや不可能です。 生活の基盤はあくまで日本にあるんですから」

③「趣味のレベルでさえ国家から制約を受けます。 僕の友人の在日韓国人は、以前ハムの資格を取得しようとしたらできませんでした。 日本人ではなく外国人だということで法律的に許されなかったんです」

④「今は必要なくなりましたが、日本で暮らすためには、指紋押捺をしなくてはなりませんでした。 いわば在日韓国人は日本では犯罪者同様に扱われたわけです。 これがどんなに屈辱的なことであるか、したことのない日本人には分からなかったのでしょう」

⑤「役所では在日韓国人は採用しませんから、在日韓国人の心の痛みが分からないんです。 役所が身体障害者の気持ちを理解できるのは身体障害者を採用するからです。 役所は在日韓国人を採用すべきなのです」(以上162~163頁)

 姜さんは、在日は日本社会からこれだけの差別を受けているのだと主張しています。 しかしここで列挙されている差別(選挙権、強制退去、ハム資格、指紋押捺、公務員採用)はすべて外国人であるが故の差別問題であって、韓国・朝鮮人であるが故の民族差別ではありません。 ですから帰化して日本国籍を取得すれば解決するものです。 李さんも

在日がみんな帰化すれば、問題そのものがなくなるというのも事実(158頁)

と言っています。

 在日韓国・朝鮮人は1991年以降「特別永住」という在留資格を有していますが、これは他の在留資格と比べて、もうこれ以上はないと思えるくらいに有利なものです。 しかしそれでも外国人である限り、日本人ではありませんから日本人と全く同じ権利ということはあり得ません。 これは世界どこの国でも共通しており、姜さんの国である韓国あるいは北朝鮮でも同じです。

 しかし姜さんは、在日は外国人でありながら日本人と同じ権利を要求しています。 つまり姜さんの考えは、日本人と同じ権利が欲しい、しかし帰化するのは嫌だ、いつまでも外国人であり続けたい、ということになるでしょう。 そして日本人と同じ権利のないことが「(在日が)苦しんだり悩んだりしている」(169頁)のだと主張するのです。

 ですから在日は外国人である限り、いつまでも「苦しみ悩み」ながら生きていく、ということになります。 1990年代は、〝在日韓国・朝鮮人は被害者で「苦しみ悩んでいる」、そして日本人はそんな在日の「苦しみや悩み」を理解して自分たちが加害者であることを自覚せねばならない″という考え方が主流だったなあと思い出されます。

 そう言えば「こんな惨めな(ずっと苦しみ悩むような)生き方はしたくない」と吐き捨てるように言った若い在日がいましたねえ。

 今でも思い出しますが、1980年代に在日一世のおばあさんたちから身世打鈴(身の上話)を聞き書きしていた時、「日本に来て苦労したが、住めば都で日本もなかなかいい所や」と日本での生活を肯定しておられました。 また「うちら外国人なんやから指紋を捺すのは当たり前や」とも言っておられました。 生活の苦労はあっても、日本社会から差別されて「苦しみ悩む」なんて言っておられませんでしたねえ。 (終り)

李青若『在日韓国人三世の胸のうち』(1)―強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/06/9546013

李青若(2)―「あなたは同化しているね」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/06/9546013

【拙稿参照】

在日の日本志向は1970年代後半から    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/11/09/716024

在日は日本の「豊かさ」を直感した    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/01/1361019

在日の功績               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/06/23/1598481

在日は日本が住みやすかった       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/05/2973366

「朝鮮人は朝鮮に帰れ」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunanadai

身世打鈴           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/09/01/507081