「公式」朝鮮史で語られない「日常生活」2023/01/04

 ちょっと古い本ですが、古田博司・小倉紀蔵編『韓国学のすべて』(新書館 2002年5月)の中に、朝鮮近代史研究の永島広紀さんの「植民地時代の史実で韓国では『語られていない』ものは何か」(135頁)というコラムがあります。

 よく韓国から日本に向かってしょっちゅう発せられる「歴史を直視せよ!」の「歴史」は、永島さんのコラムによると「『日帝暴虐史観』とそれと対をなす『抵抗史観』式の単純な構図」で、韓国では「公式」の歴史とされています。 そして永島さんはこの「公式の歴史」が、朝鮮人や日本人たちの「日常生活」が「語られていない」と批判しています。

植民地時代の史実で「公式」に語られることが極めて少ないことの筆頭に‥「日常生活」をあげることができよう。

日本人は軒を連ねて畳の家に集住して居住区を形成しており、通常生活では(朝鮮人と)没交渉でも支障はない。 そんな異邦人社会をしり目に、ラジオ第二放送(朝鮮語放送)からはパンソリ中継が流され、清渓川には砧を打つ音。 鐘路の封切館では新作映画を見るべく列をなして順番を待つ人々。 餃子売りの中国人。 カフェで女給を相手にくだを巻く酔客。 買い物客で賑わう和信百貨店。 春には徳寿宮の桜を愛で、冬には氷結した漢江でスケートに興じる人々。

日本人と朝鮮人は率直に言って生活者としてその仲は決して良好とは言えなかった。 特に都会では互いに反目が強かったようである。 特権意識を振りかざす下品な日本人は多かった。

しかし、そうした「心ない」日本人に眉をひそめる日本人も少なからずいた。 そして田舎に行けば行くほど、密接な人間関係が構築されたことも少なくなかった。 

戦後、「故郷」に里帰りする元在朝日本人が、かつての隣人たちから篤い歓迎を受けたり、あるいは小学校の元教師が韓国人の教え子たちの招待を受けて渡海したりという「佳話」の類は引きも切らない。 ただしそれらはあくまで「非公式」の場でのことである。 (以上135頁)

 植民地時代を具体的に知らない後世の者が「日本帝国主義の暴虐とそれに対する朝鮮人の抵抗」という「公式の歴史」を教え込まれると、日本人は悪者、反対に朝鮮人たちはそれに抵抗して頑張った正義の人、というような考え方を持つようになります。 しかしそこには、当時の人々がどのような日常生活を送っていたのかという肝心なところが忘れられています。 それを永島さんがコラムで指摘し、その「日常生活」の一部を列挙したのでした。

 一方で「公式の歴史」ばかりを知る人は、そこから当時の「日常生活」を想像たくましく語るようになります。 例えば、朝鮮人は朝鮮語を禁止されて日本語を強制されたという「歴史」を勉強して、当時の朝鮮人は親と話をするにも日本語を使わねばならなかった、もし道端で朝鮮語をしゃべったら警察に逮捕された、なんて言う人がいました。 

 しかし植民地時代を実際に体験した人は、それがウソだということをすぐさま見破ります。 朝鮮人は通りでは朝鮮人同士で朝鮮語をしゃべり合っているのを毎日のように見ているし、郵便局へ行けばハングルで電報を打つ朝鮮人の姿を知っており、ラジオからは朝鮮語の番組放送が流れてきていたからです。

 また学校では日本語で授業が行われ日本語が強制されましたが、その学校に朝鮮人は行かなければならない義務というものがなかったことも当然知っていました。 実際に朝鮮人の子供たちが学校に通っていたのは、植民地時代後期でも男子40%、女子10%だったのでした。 ちなみに朝鮮に住む日本人の子供たちの就学率は100%に近かったのでした。 また当時朝鮮半島の人口は朝鮮人が約2500万人、対して日本人は80万人ほどでしたから、朝鮮人たちに朝鮮語を禁止して日本語だけ使わせることなんて、どだい無理なことだったのです。

 しかし「公式の歴史」では、朝鮮人は朝鮮語が禁止されて日本語を使うしかない屈辱を味わった、という被害者性ばかりを強調します。 こうなると、もはや「虚偽の歴史」ですね。

 「公式の歴史」である「『日帝暴虐史観』とそれと対をなす『抵抗史観』」は、確かに当時は朝鮮人対して傲慢な日本人が少なからずいたし、また日本支配に対して果敢に抵抗した朝鮮人も少数ですが、存在しました。 ですからすべて全くの間違いとは言えませんが、そんな歴史観に固執すると当時の人たちが具体的にどのような日常を送っていたかが分からなくなるのです。

 歴史を研究する上で、当時の人びとの日常生活を知らないというのは、決定的な欠陥であることを自覚してほしいと思います。

【拙稿参照】

日本統治下朝鮮における朝鮮語放送  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782

朝鮮語は容認されていた―愛国班  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/10/8724405

朝鮮語は容認されていた―愛国班 (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/14/8727138

『現代韓国を学ぶ』(6)       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/11/6476173

『図録 植民地朝鮮に生きる』   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/02/6621470

朝鮮語を勉強していた大正天皇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/09/24/6111974

「朝鮮語は禁止された」というビックリ投稿  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/15/8324407

学校で朝鮮語を禁止した理由  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/20/8327730

日本統治下朝鮮における教育論の矛盾   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/01/1156247

韓国映画「マルモイ」に見る時代考証不足 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/19/9269548

植民地朝鮮における日本人の差別・乱暴 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/21/9413485

植民地時代のエピソード(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083

朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045