金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(1)2024/07/30

 金時鐘さんについて調べていくなかで、金さんはどういう言葉を使っていたのかが気になりました。 というのは金さんの講演などを聞くと、彼は独特の訛りのある日本語を使っておられます。 それはおそらく朝鮮訛りということで、自己アイデンティティをアピールしていると思われます。

 しかし私はこれまで在日一世のお年寄りたちから少なからず話を聞かせてもらってきたのですが、金さんの日本語は彼らの日本語と全くと言っていいほどに違うのです。 つまり彼のしゃべる日本語は、私の知っている他の在日一世たちの朝鮮訛りの日本語とはかなり違っているのでした。

 それでは金時鐘さんはこれまでどういう言葉を使ってきたのか、その経緯に関心を持ち、彼の自伝的著作『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』(岩波新書 2015年2月)を読み返してみました。

 まずは物心のついた小学校(当時は「普通学校」)時代です。 金さんは済州島の小学校に通い、「皇国少年」になろうと真剣に努力しました。

私は生まれながらにして昭和の〝御代″の恩恵に浴した一人でしたので、当然のことのように日本人になるための勉強ばかりをしてきました。 朝鮮で生まれて朝鮮の親許で育っていながら、自分の国についてはからっきし何も知りませんでした。‥‥言葉も土着語の済州弁しか話せず、文字もアイウエオひとつ、ハングルでは書き取れない私だったのです。 (4頁)

 金さんは、朝鮮語は訛りのきつい済州方言をしゃべり、ハングルは書けなかったというのですから朝鮮全土で通じるような標準朝鮮語をしゃべることができなかったと思われます。

(学校の朝鮮語授業で)それでも覚えられなかった「ハングル」でした。 どだい身が入らないのです。 私だけでなく、生徒の皆が朝鮮語の授業などどうでもいいと思っていました。 はやく立派な日本人になって、天皇陛下の良い赤子になることが何よりも大事なことだと毎日諭されていましたから、朝鮮語の授業は全くもって余計な勉強だったのでした。‥‥朝鮮語の授業は「支那事変」が始まった年の二学年いっぱいで無くなりました (8頁)

 学校で朝鮮語の授業が必須から随意科目になったのは1938年の第三次教育令によるもので、「随意」なので朝鮮語授業を続けるかどうかは各学校に任せられました。 廃止した学校もあれば継続した学校もありました。 金さんの学校では、廃止されたようです。 それまで朝鮮語の授業があってハングルを教えられていたのですが、金さんも級友たちも覚えなかったといいます。  【参考】 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/12/8971509

 そして学校では生徒に早く日本語を覚えさせるために、うっかりでも朝鮮語が口から出てこないように、生徒同士で監視させ合うようにします。

学校内での国語常用(日本語)は罰則付きの規則にまでなっていきました。 ですが私には、〝真なること″を学び取る手順のようなものでしかありませんでした。 週はじめに「罰券」と呼ばれていたカードが生徒各自に10枚ずつ配られ、級友同士が目を光らせて〝国語(日本語)″を使わない生徒を摘発し合うようになりました。 獲物をせしめるすばしこさで、うかつに口を衝いて出る「朝鮮語」に飛びつく、一等早い者がお目当ての「カード」を一枚取り上げるのです。 そのカードは「国語」の成績はもちろんのこと、「修身」「操行」から期末の席次にまで影響が及ぶ特権の「罰券」でした。 私はこのスリリングなゲームでも、目立って堅実なプレーを発揮しました。 失点は必ずと言っていいほど、その週のうちにカバーしていましたので、先生の思し召しはことのほか上々でした。 (13頁)

 植民地時代の学校では、朝鮮の子供たちに日本語を早く習得させるために、朝鮮語を使わないように生徒同士に相互監視させるという教育方法をとっていたということですね。 そして金さんはこの教育方針にうまく順応したようです。 

 このようにして金さんは学校で日本語を徹底して教えられました。 さらに父親がかなりの知識人で、家では日本の新聞を購読し、文学書などの日本語刊行物がたくさんありました。  金さんはそれらを読み漁り、本の虫になります。 それは14歳時に中学校(光州師範学校)に入学してからも変わりませんでした。

父は相当の物知りで、朝日、毎日等の日刊新聞をわざわざ取り寄せて読んでいましたし、日本語の本も家にはいっぱいあって、私が「トルストイ」という名前を知ったのも小学校低学年のころからでした。 父の部屋に並べられてあった大判の革張りの本、背文字まで金箔文字がうってあった『トルストイ全集』から覚えたのです。 おかげで乱読の癖は早くからつきました。 (19頁)

文学に対する体系的な読書ができたのも、このあわただしい学生時代でした。 西洋物はすべからく遠ざけられていた学校でしたのに、なぜだか図書室には新潮社の『世界文学全集』が備えられてあって、持ち出してまで全38巻を三年がかりで読みました。 (70頁)

 「学生時代」というのは旧制の中学のことで、具体的には光州師範学校です。 今の日本では高校生にあたりますが、その時期に『世界文学全集』全38巻を読んだというのですから、相当な読書家です。 金さんの日本語能力は読み書きはもちろんのこと、話すことも完璧だったでしょう。 一方、光州での学生時代の日常生活では朝鮮語を使っていたのかどうか記されていませんが、故郷の済州島から離れていたことから朝鮮語を話す機会はなかっただろうし、また太平洋戦争中だったことからしておそらく日常でもすべて日本語会話だったのではないかと思われます。

 金さんは小学校(当時は普通学校)でも中学校でも日本語を厳しく指導されて、しかも彼自身は普段から日本の文学書や新聞等を読んできていました。 しかし一方では日本語を直接耳で聞くのは学校あるいはラジオだけで、それは当然標準語ですから、彼が大阪弁や九州弁などの日本の方言に接する機会はほとんどなかったはずです。 ですから彼がしゃべる日本語は、訛りのないきれいな標準語だったと考えられます。

 以上、1945年の終戦に至るまでの金時鐘さんの言語使用状況をまとめますと、完璧な日本の標準語を駆使して読み書きも会話もできていたが、他方で故郷の家族・友人等とは朝鮮語でも方言のきつい済州弁で日常会話をやり取りしていた、しかし朝鮮語文の読み書きは不十分だったようで、従って朝鮮全土で通じる朝鮮標準語でしゃべることは難しかったと思われます。 (続く)

【金時鐘氏に関する拙稿】

玄善允ブログ(1)―金時鐘さんの日本名 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/31/9671877

核問題は北朝鮮に理がある―金時鐘氏 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/23/9653071

金時鐘氏が正規教員?―教員免許はないはずだが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/16/9651219

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/07/9623500

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/12/9624809

金時鐘氏は不法滞在者(3)―なぜ自首しなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/17/9626078 

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

毎日の余録に出た金時鐘さん    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448  

金時鐘さんは結局語らず      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140433

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

青木理・金時鐘の対談―帰化(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343 

青木理・金時鐘の対談―帰化(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042

武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810463

社会的低位者の差別発言      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

コメント

_ (未記入) ― 2024/07/30 17:31

在朝日本人社会で使われていた「国語」は、かなり西日本方言の語彙が流入し、イントネーションも「標準語」とは異なっていたようです。全羅南道には筑後川流域出身の移住者が多かったようです。朝鮮総督府学務局の国語編修官たちも、そうした方言の影響を受けた日本語を忌むべき対象としていました。もしかすると、金時鐘氏の日本語というのは、いまとなっては絶滅危惧種?である在朝日本人譲りのもの、という可能性や、ありやなしや?

_ 辻本 ― 2024/07/30 19:45

金時鐘さんの場合は子供時代ですから、普段出会う日本人といえば学校の先生ぐらいでしょうねえ。 
日本人の友人がおればその家に遊びに行って日本人の両親に会うことが考えられますが、金さんの場合、日本人の友人はいなかったようです。
子どもを相手にする店は京城や釜山などの大都市にはありましたが、済州島のような田舎ではおそらくなかったでしょう。
従って金時鐘さんの子供時代は、日本の方言に接することはなかったと思います。
ですから当時の金さんのしゃべる日本語は、学校で教えられた通りの標準語、あるいは日本の新聞や文学書にある日本語をそのまま言語化した標準語と思われます。

なお朝鮮人の大人は、日本語の方言に接する機会がありました。
例えば植民地時代、西日本から漁民が朝鮮半島に多数進出し、朝鮮人を多数雇用して一緒に漁をしています。
船上で共に協力し合って漁をしますから、朝鮮人の漁民は西日本の日本語方言を理解し、しゃべっていたと言います。
今でも韓国の漁民には、漁をする際の掛け声に、日本語が残っていますね。

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