仏が日本女性に逮捕状―離婚と親権について2021/12/04

 フランス当局が、自国男性と日本女性の間に生まれた子供を母親(日本女性)が連れ去ったのは誘拐等に当たるとして逮捕状を発行したというのが大きなニュースになっています。   https://news.yahoo.co.jp/articles/1b55a6fe1b9e7d9857545b5270e5c138453c9fa4

 記事の主要部を引用しますと

フランスの司法当局は、子供2人をフランス人の父親から引き離したとされる日本人の妻に対し、親による誘拐などの容疑で国際逮捕状を発行した。AFP通信が30日に報じた。  この事案は、結婚生活が破綻した場合の共同親権という概念がない日本において、「親による誘拐」をめぐる議論を再燃させた。

フランス人のヴァンサン・フィショ氏は、日本人の妻が3年前に2人の子供を連れて東京の自宅から姿を消して以来、子供に会えていないと訴えている。  フィショ氏は今年夏に東京オリンピックが開催される中、3週間のハンガーストライキを行い、国際的注目を集めた。

日本の法律には、結婚生活が破綻した場合に夫婦が親権を共有することについての規定がない。  フランス当局の逮捕状は、フィショ氏の妻が未成年者を危険にさらした、ともしている。

フィショ氏の妻の弁護人はAFP通信に対し、「離婚手続きが進行中であり、法廷外で争うつもりはない」と述べた。

 これを読んでまず気になったことは、日本に在住している夫のフィショ氏の職業は何であり、在留資格は何か? 妻が子供を「誘拐」したという「犯行」現場はフランスにとって外国の日本なのに、フランスが逮捕状を発行したという法的根拠は何か? それから、報道では夫の言い分ばかり出てきているが、妻の言い分は何か?といったところです。

 ところで私がこの事件に関心を抱いたのは、私自身がかつて日韓の国際結婚や離婚についてよく話を聞いてきたし、時には相談にのることもあったからです。 個人的な経験ですので、例は多くないですが、少なくとも一般の日本人よりもよく知っている方だと思います。

 その狭い範囲での話をします。 在日社会では、何十年も昔の一世の結婚は在日同士が当然多いですが、在日男性と日本人女性という組み合わせの場合も少なくありません。 どちらも離婚は少ないですねえ。 当時は夫のDVなんてほとんど問題にならない時代でしたから、ただひたすら妻だけが我慢し、子供を育ててきたというのが大部分でした。 中には夫が女や借金を作って家出したので、残された妻がシングルマザー状態で子供を育てたという話も複数ありました。 在日社会は家庭内暴力・虐待に耐えた女性によって支えられてきたといっても過言ではないと、私は思っています。

 そして二・三世の時代になると、離婚が多くなるようです。 ただし、それは先述したように私的な狭い範囲の話ですから、一般的ではありません。 統計資料があれば有り難いのですが‥‥。 離婚理由は当然ですが余り聞かせてもらえません。 その中でようやくある女性から聞いたところでは、義母からの過干渉‥‥。

 「義母からの過干渉」なんて、分からないでしょうねえ。 二世の男性は、誤解を恐れず言うとマザコンが多いです。 こんな男性と結婚した女性は、何かにつけて何度も入り込んで干渉する義母に我慢できなくなり、夫に「何とか言ってよ」と促しても動かず、ついに「あんた、私とお義母さん、どっちが大事なの?」と詰め寄ると、「それはお母さん。妻の代わりはいるが母の代わりはいない」と平然と言ってのけたという男の話を聞きました。

 それではとその男性から話を聞くと、“父親は毎晩酒を飲んでは大暴れして家族に暴力をふるった、母親は幼い自分をおぶって家を出て川の橋まで来た、しかし子供を思うと飛び込めず、またあの父親のいる家に帰るしかなかった、それからも母親は暴力に耐えに耐えて、そして自分を溺愛し育ててくれた、それを知っているから母親を見捨てるわけにはいかない、妻か母かと問われたら母と答えるしかない”ということでした。

 こうなると離婚以外に選択肢がないでしょう。

 離婚となると、次に出てくる問題は子供の親権です。 冒頭のフランス人との間にできた子供の場合は共同親権ですが、日本は単独親権で、多くの場合が母親の方に親権がいきます。    それでは在日の場合はどうなるか。 在日と日本人との国際結婚の場合でしたら、日本に居住していたら原則として日本の法律に従います。 しかし在日同士が韓国籍のままで結婚していれば、日本に居住していても韓国の法律に従います。 ですから離婚も親権も、韓国の家族法によることになります。

 離婚後の親権は、韓国では2005年民法改正以前は日本と違いがありました。 それは韓国籍同士が結婚して子が生まれると、その子は父親の戸籍に入り、そこから離脱することが難しいということです。 ですから韓国人女性は離婚すると子供を夫側に残すことになります。 もし女性側が子供を引き取るとなっても、その子は父親の戸籍に入ったままです。 つまり子連れの女性は、いつまでも前夫と縁の切れない子供を抱えて暮らすしかないということになります。

 私が何人かの在日から離婚・親権の相談を受けたのは、まさにこの頃でした。 親権の相談は当然女性からでした。 離婚しても子供はいつまでもこちらの家のものだと夫側から言ってきているが、本当か?という相談が多かったですね。

 私は、子供さんの名前は父親の姓でしょ、つまり父親側の戸籍に入っていてそこから抜け出せない状態ですからどうしようもないでしょう、ただし2005年の民法改正以降なら母子で戸籍が作れるようですから、それを考えたらどうですか、などと答えました。 もう一つの解決方法として、母子で日本に帰化すると韓国戸籍から抜け出せて、前夫側と法的にも縁を切ることができますよ、という答えをしました。

 ここで冒頭の話で、むくっと疑問が湧きます。 フランスを始めヨーロッパでは、離婚したら子供は単独親権ではなく、共同親権だということです。 ですから夫婦は離婚してもいつまでも子供の親権を主張することができることになります。

 とすると子供を引き取った女性は、離婚した男性の親権も認めねばならず、従ってこの男性との縁が切れません。 そうなればこの子連れ女性は再婚ができるのだろうか? 再婚して新たな家庭をつくったとしても、前夫側からの干渉を拒否できないのではないか?という疑問です。 

 離婚時に子供は母親側に親権がいく場合が大部分の日本では、共同親権というのは女性の権利を制限するのではないかと考えるのですが、どうなんでしょうね。

石破茂インタビュー―東亜日報2021/12/11

 『東亜日報』2021年11月24日付けに、自民党の石破茂氏のインタビュー記事がありました。   https://www.donga.com/news/article/all/20211124/110425948/1 何かの参考になるかなと思って訳してみました。

日本を執権する自民党の石破茂(64)衆議院議員は、17日に東京衆議院会館で本紙とインタビューをして、韓日関係改善策を尋ねる質問に、このように答えた。 彼は人口減少、安全保障、首都圏人口集中、格差問題などを例にしながら、「両国共通課題がこのように多いのに、過去史問題で全く協力しないのは残念なこと」と言った。

韓日関係完全のために、両国の首脳会談も必要だと主張した。 中曽根康弘 前総理の例を挙げて、「あの人はどっちの方かと言えば右側(右翼)に近い」と言いながら「しかし訪韓前に韓国語で歌を歌えるくらいに熾烈に練習し、韓国との友好関係を構築した」と言った。 文大統領、岸田文雄総理も首脳会談の過程で相手を配慮する姿を見せるなら、関係改善につながるのだと言った。

石破議員は、先月31に行われた衆議院選挙(総選挙)で鳥取1区に出馬し、10万5441票(84.07%)を得た。289人の小選挙区当選者のうち、最高得票率だ。 彼はマスコミの世論調査で「次期総理候補」として、ずっと1・2位を占めるくらい国民的人気も高い。 しかし今まで四回総理に挑戦して、すべて失敗した。韓国とは違って、日本は国民が直接総理を選ばないためだ。 国会議員の票が事実上総理を決定するが、安部晋三前総理の各種スキャンダルを批判し、間違った日本の政治について「間違った」とはっきり言う彼を、相当数の自民党議員は不快に思っている。

自民党ナンバーツーの幹事長をしたこともある石破議員は、今度の当選で12選議員となった。 当選回数は、自民党内で六番目、衆議院全体で八番目である。 彼の発言が日本国民に及ぼす影響力はずば抜けていると言うしかない。 次は一問一答。

―対韓輸出規制で、日本企業も被害を被った。 解除する時ではないか。

「それは感情の問題ではなく、安全保障上の問題だ。韓国が日本の輸出品を安全に管理し、日本がそれを納得して安全保障上の問題がないと判断すれば、解除することができる。」

―韓日関係改善策は何か。

「ツートラック接近が必要だ。 過去史問題をうやむやにしようとか、なかったことにしようとか、するのではない。 真剣に長い時間をかけて互いに話をせねばならない。 しかし、その問題によって、他の協力が全く進展しないのなら、マイナスが余りにも大きい。 世界で日本と韓国くらい、共通課題を持った国はない。共通課題について、両国が互いに協力せねばならない。

―韓日首脳会談の必要性は、どう見るか。

「必要だ。 会ったとして、直ぐに仲良くはならない。 しかし、相手を知るために努力することが重要だ。 私が防衛大臣と農林水産大臣の時、色んな国家の長官と会って話を交わしたが、相手に会う時、徹底に研究した。 今までどんな経歴を積み、好きな料理は何で、飼っている子犬の名前まで‥‥。 そんなことを把握して、本当にいい関係を結ぼうとするなら、そんな気持ちが相手に伝わるようになる。

―韓国に対する岸田総理の外交を、どう評価するか。

「岸田総理は長い間安部晋三政権の外相をした。 基本的に安部前総理の方針を継承するものと思われる。 岸田総理が韓国と互いに信頼し尊敬できる関係を作るんだという強い意志があれば、関係改善に行くものだ。

―岸田政権の敵基地攻撃能力保有の主張に、韓国と中国が憂慮している。

「私が防衛省長官した20年前は、衛星で敵基地を把握できていた。 しかし今は移動式発射台が増えて、どこが敵基地なのか把握するのが難しい。 潜水艦からミサイルを発射することもできる。 敵基地がどこにあるのか、いつ攻撃するのか、どのように攻撃するのか等、具体的な内容を把握できない状態から、敵基地攻撃能力保有を議論することは、特に意味がない。 また隣国が憂慮するならば、それは日本からの情報提供が不足したためなのだ。 説明し納得させようと努力を続けねばならない。」

―自民党は総選挙公約集で、国内総生産(GDP)比1%の水準だった防衛費予算をGDP比2%以上も念頭に置くと言った。

「防衛分野でどの程度の予算がかかるのかを議論し、その結果があってこそ、GDP2%の防衛費として決定されるのだ。 もし最初からGDP2%で決定しておいて、「さあ、必要なものを全て言え」とするなら、本末転倒だ。

―日本から韓国に対する「謝罪疲労症」の話が出ている。

「韓国の国民が納得できる謝罪が何なのかを悩むのが重要だ。 なぜ日韓関係がよく回って行かないのか、韓国の国民が何を要求しているのか、十分に理解しないなら、また同じことを繰り返すことになる。 日本人は韓国の歴史を深く勉強し、韓国人たちの思考の根幹に何があるのかを理解せねばならない。 日本は過去に大韓帝国の宮殿がある場所に朝鮮総督府を設置、韓国国民の自尊心を崩した。 独立国家だった大韓帝国を合併して国家を奪った。 こんなことを言えば、日本国内から強い批判が出る。 しかし本当に日韓が良好な関係になることが、地域の平和のために重要だと考えているので、勇気をもって言いたい。 勇気ある人が日本にも韓国にも、もっと多くなることを期待している。

 石破さんは「日本人は韓国の歴史を深く勉強し、韓国人たちの思考の根幹に何があるのかを理解せねばならない」と言うように、日本人が韓国の歴史を知って韓国人を理解することが必要だという主張ですね。 言葉面ではその通りで反対することはないのですが、そのためには正確な歴史事実を知っておく必要があります。

 しかし石破さん自身が歴史をどれほど正確に知っているのか、疑問があります。 これについては、拙ブログでは2年前に下記の通り論じたことがありますので、ご笑読くだされば幸い。

石破茂さんのデタラメ創氏改名論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/06/9161642

同和住宅の家賃2021/12/17

 30年ほど前でしたか、全国連のパンフを読んだことがあります。 「全国連」なんて知らない人がほとんどでしょう。 1990年頃に、部落解放運動組織である部落解放同盟構成員のうち、中核派の人たちが他の同盟員と対立して独立した組織を作りました。 それが「部落解放同盟全国連合会」というもので、略称を「全国連」と言っていました。

 その全国連が当時力を入れていたのが「同和住宅家賃値上げ反対」闘争です。 私はその全国連のパンフが友人の家にあったのを読んだのでした。 友人は全国連の人間ではなく、こんなパンフが配られているのをもらって、捨てずに家に持ち帰っていたのでした。

 「同和住宅」というのは同和対策事業で建設された公営住宅のことで、部落民(と認定された者)はこの住宅に入る権利が得られました。 行政がこの住宅家賃を値上げするという方針に対して、全国連が反対の運動を起こしたのです。 たしか4倍と5倍とか、かなりの大幅な値上げだったと思います。 これだけを知れば、いくら何でもその値上げはひどいと思うでしょう。    ところが全国連のパンフには、当時の家賃の金額が全く書かれていませんでした。 実は、同和住宅の家賃は築年数の古いものであれば2~3千円、新築なら1万~1万5千円ぐらいでした(1980年代に聞いた話。各自治体によって違いがあるようです)。 周囲の民間アパートが5~10数万円ぐらいでしたから、ビックリするほどの格安です。 これを知れば、行政が何倍かに値上げしようとすることは決して不当ではないでしょう。 つまり全国連は実際の家賃の現状を隠して、値上げ幅だけを書いて反対を訴えていたのでした。 運動団体というのは、臆面もなくこういう主張をするものだということですね。

 別の話。 知り合いの在日がこの同和住宅に入居していました。 夫の実家が同和地区にあって、そのために同和住宅に入れたそうです。 曰く、家賃が安くて助かっている、しかしこの住宅には玄関などに「○○さん、借金を返せ!」等々のビラがベタベタ貼られている家が何軒もある、貸金業者(当時はサラ金とか闇金とか言っていた)がしょっちゅう来ているようだった、誰もいないのかと思ったら朝早くその家の前を通ると明らかに人が住んでいる、家賃があれほど安いのにそれを払わず借金をしても返さない家が結構あるそうだ、一体どうなっているのか分からない所だ。 こんな話をしてくれました。

 もう一つ別の話。 私の体験談。 ある人から荷物運びを手伝ってくれと頼まれたことがあります。 行ってみると同和住宅でした。 その住宅は住居ではなく単に倉庫として利用しているのでした。 実際の住居は同和地区外の一戸建てでしたが、同和住宅は行政がくれるというから持っている、だから倉庫として使っている、とのことでした。 その方の親は解放同盟だそうなのですが、本人はそんなことに全く関心がありませんでした。 だから同和について、普通しゃべってはいけないことでも大らかにしゃべる人でしたね。

 そう言えば、ある同和住宅では倉庫にするのももったいないと思ったのか、ゲーム機を持ち込んでゲームセンターにした人がいたと聞いたことがあります。 さすがに行政はこれに気付いて、止めさせたということでした。

 また同和住宅に入居する条件は部落民であることですが、部落民か否かを誰が判定するかといえば、部落解放同盟等の同和団体でした。 ですから入居しようと思う人は同和団体に証明書を書いてもらわねばならないのですが、その際にある程度のお金を出す必要がありました。 賄賂ですね。 解放同盟の強い某同和地区では支部長に数十万円を包んだという噂がありましたねえ。 え!あの人が同和住宅に入れるの?と疑問が出てくるのは、こんなからくりがあったからです。

 以上、同和住宅について昔の思い出を書いてみました。 同和対策事業が終了した今、同和住宅の家賃や入居基準はどうなっているのでしょうか? 聞くことがなくなったので分かりません。

【拙稿参照】

同和の闇に切り込めなかったのか―関電金品受領事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/11/18/9441084

解放運動の闇専従-森山栄治  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/12/18/9190648

熱海土石流災害に強制捜査―同和の闇に迫れるか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/30/9436105

熱海土石流―「同和」の体質と恐怖 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/26/9401762

同和企業の思い出 ―熱海土石流災害を見て http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/11/9396847

差別の自作自演事件       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/06/9385057

同和出自を明かすことは‥‥  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/13/9267584

差別問題の解決とは?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

社会的低位者の差別発言  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

柳田邦男のビックリ部落認識       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/25/8290405

解放運動の力が落ちたこと        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/08/7533867

解放運動                http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/02/7299711

郵便ポストを設置させた解放運動     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

かつての解放運動との交渉風景      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

同和教育が差別意識をもたらす      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

差別の現実から学ぶとは?        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789

部落(同和)問題は西日本特有の問題   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936

水平社宣言               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798

解放運動に入り込むヤクザ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

差別問題の重苦しさ     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuunanadai

(続)差別問題の重苦しさ  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuhachidai

この在日韓国人の話を検討してみる2021/12/21

 「ワクチン打てず就職もできない“無戸籍者”24時間相談受付のNPO」と題する『女性自身』12月19日付けの記事に、ある在日韓国人の話が出ています。  https://news.yahoo.co.jp/articles/d8516c9b4d77bfbd7ecc149e131918d77531c1b9

 その部分を抜き書きします。 記者が支援者(市川さん)と本人(ゲンさん)から聞いた話は括弧書きして、〇数字をつけました。 他は記者の地の文です。

①「私は、隣にいるゲンさんの代理人で市川といいます。今日、ここに来たのは、今まさに彼の命に関わる状況があるからです。ただ私たちは法律には素人で、正直、わからないことも多いです。だからどうか追い返さないで、まず、どんな手続きが必要かというところから一つひとつ教えてください」

12月初旬、大阪市にある韓国領事館。窓口のパーティションぎりぎりに詰め寄り、担当者の目をまっすぐに見ながら熱い口調で話すのは、市川真由美さん(54)。奈良市のNPO「無戸籍の人を支援する会」代表だ。

担当者は、市川さんの迫力に気おされたわけではないだろうが、その後、丁寧に仮パスポートの申請について説明してくれた。

傍らで不安そうにしていたゲンさん(60代・仮名)の来し方について、市川さんが話してくれた。

②「ゲンさんは、12歳のとき、韓国から船底に入れられて日本に連れてこられ、強制労働させられました。その後はまじめに働きながら成人し、やがて日本人女性と暮らすようになり、2人で居酒屋を始めて繁盛させます。ですから、ご自分が韓国籍というのはわかってますが、ここ日本では半世紀以上も無戸籍状態、いわば“存在しない人”でした」

ゲンさん自身にも聞いた。彼が市川さんに連絡を取ったきっかけは、このコロナ禍だったという。

③「15年前に妻を亡くして細々と暮らしていましたが、コロナ禍になっても、私には予防接種の通知は届きません。高齢で糖尿病の持病もあるので、まさに死活問題でした。そこでテレビで見た市川さんに連絡したら、すぐに地元の役所と交渉してくれて、コロナワクチンも10月までに2回打てました。その後も今日みたいに戸籍や在留資格のことで世話になってますが、市川さんの動きが早くて、私はよう、ついていけんで(笑)」

領事館での最初の交渉を無事に終え安堵したのか、ようやく笑顔を見せてくれた。

大阪から帰りの電車を乗り継ぎながら、市川さんが話す。

④「ゲンさんは、ずっと日本で暮らしていたという証拠となる写真などがあって、助かった部分もあります。‥‥」

 まず、ゲンさんは今「60代」とありますから1952~1961年生まれで、そして12歳の時に「船底に入れられて日本に連れてこられ」とありますから密航で日本に来たことが分かります。 とするとその時期は1964~1973年となります。

 韓国は教育に力を入れていましたから、朝鮮戦争が終わって10年以上も経った1964~1973年では、子供(特に男子)が学校に行かなかったというのは、まず考えられません。 従ってゲンさんは小学6年か中学1年くらいの時に、日本に密入国したものと思われます。 

 とすれば、ゲンさんはそれまで通っていた学校、住んでいた町、そして両親・兄弟・級友等々も記憶しているはずです。 そしてそれが分かれば、それを手掛かりに韓国の戸籍を確認することができます。 しかしゲンさんと支援者が領事館で提示したのは「ずっと日本で暮らしていたという証拠となる写真など」という、韓国戸籍とは関係のないものでした。 ここにこの記事への疑問が出てきます。

 次にゲンさんは「12歳のとき、韓国から船底に入れられて日本に連れてこられ、強制労働させられました」とあります。 12歳で密入国して、日本で「強制労働」させられたというところから推測すると、在日同胞の家に住み込み、そこが経営する家内工業のような現場に缶詰めにされて働いたのだろうということです。 密入国者は発覚を恐れて、また日本語が不自由ですから、できる限り外出を控えるものです。 一番いいのは家と現場から一歩も出ず、ひたすら働き続けることです。 これを「強制労働」と表現したのではないかと想像します。 しかし、12歳の子供にこんなことがあり得るのかという疑問が湧きます。 もし本当にあったのなら、かなり珍しい例になるでしょう。

 ゲンさんは「コロナ禍になっても、私には予防接種の通知は届きません」とありますから住民票がない、すなわち在留資格がないと考えられます。 密入国者は偽の外国人登録証を入手したりして不法に在留資格を得ることが多いのですが、ゲンさんはそういうことをせずに、在留資格のないまま生活してきたのでしょう。 「ここ日本では半世紀以上も‥‥“存在しない人”でした」とありますから、これを裏付けています。 こうなると健康保険にも加入できませんから、「高齢で糖尿病の持病もある」ゲンさんは大変だろうと思います。

 「日本人女性と暮らすようになり、2人で居酒屋を始めて繁盛させます‥‥15年前に妻を亡くして細々と暮らしていました」。 居酒屋を経営するには保健所に営業許可を取らねばなりません。 ゲンさんは在留資格がありませんから、おそらく奥さんが営業許可を取ったと考えられます。 しかし奥さんに先立たれてから15年、どのように生活費を稼いでこられたのか。 もし居酒屋を続けているのなら、保健所の営業許可をどのように取ってこられたのかが疑問となります。 

 在日に関するわずかな記事から、これだけのことが読み取ることができ、内容に疑問を抱きました。 やはり詳しく書いてもらわないと疑問はいつまでも残り、記事そのものへの不信につながると思います。

ラムザイヤー教授の部落論(1)―同和対策事業2021/12/26

 米国ハーバード大学のラムザイヤー教授は昨年末に、従軍慰安婦は「性奴隷」ではなく「売春婦」だとする論文を発表して、ちょっと話題になりました。 韓国のマスコミなんかで、かなり叩かれていましたねえ。

『中央日報』のラムザイヤー教授報道を読む http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/21/9349231

 ところで彼は慰安婦だけでなく、部落問題についても論文を書いています。 「日本の被差別民政策と組織犯罪・同和対策事業終結の影響」と題するもので、その日本語訳がインターネット上で公開されているのを最近知りました。

https://jigensha.info/2021/10/16/ramseyer2018-1/

https://jigensha.info/2021/10/23/ramseyer2018-2/

https://jigensha.info/2021/10/30/ramseyer2018-3/

https://jigensha.info/2021/11/06/ramseyer2018-4/

 書かれている内容はちょっと首を傾げる部分があるにはありましたが、かつて私自身が体験あるいは見聞きした部落の状況にかなりの範囲で一致しており、それなりに信頼できる論文だろうと思いました。

 詳しい内容は読んでいただくとして、一部を引用しながら感想を書きたいと思います。 まずは論文の冒頭にある「概要」です。

1969年、日本政府は「部落民」のための大規模な同和対策事業を開始した。 同和事業は暴力団を引き付け、組織犯罪によってすぐに得られる高収入は、多くの部落民を引き付けた。 そのため同和事業は、多くの日本人が部落民を暴力団と同一視していた既存の傾向を後押しすることになった。 政府は2002年に同和事業を終了した。

同和事業終了後、部落民による市町村からの転出が増加していることがわかる。 一見して、同和事業は若い部落民が主流社会に加わることを抑制していたようである。 また、政府による様々な助成が終了したにもかかわらず、同和事業終了が近づくにつれ、部落近隣の市町村では不動産価格が上昇したこともわかった。 同和事業がなくなり暴力団が撤退すると、一般の日本人は、かつての被差別部落が魅力的な住環境であることに気づくようになった。

 「同和事業は暴力団を引き付け、組織犯罪によってすぐに得られる高収入は、多くの部落民を引き付けた」というところは、その通りだったと言うしかありませんねえ。 ただし大学で同和問題を講義しているような先生ならば、解放運動の崇高さを信じていますから、それは一部が犯した過ちでしかないと否定するでしょう。 あるいは解放同盟活動家ならば、差別があるから反社に行く人が出てくるのだ、原因は部落を差別する社会にある、だから我が同盟はヤクザを引き受けているのだ、とかなんとか言うでしょう。

 「同和事業終了後、部落民による市町村からの転出が増加している」とは初めて知りました。 15兆円もの巨額の税金を投入した同和対策事業が終了すると、同和地区に住んで部落民であり続けるメリットはなくなったということですね。 ですから地区から転出する部落民が増えるのは仕方ないところです。 ただし転出するのは一般社会に適応できる若・中年層が多く、残るのは高齢層ばかりという傾向になります。

 「同和事業終了が近づくにつれ、部落近隣の市町村では不動産価格が上昇した‥‥同和事業がなくなり暴力団が撤退すると、一般の日本人は、かつての被差別部落が魅力的な住環境であることに気づくようになった」。 同和地区の不動産価格が上昇しているとは知らなかったですが、確かにそうだろうと思われます。

 都市にある部落は、交通利便性からすると住みやすい場所にあります。 しかし1980年代に私が不動産会社に就職した友人から聞いたところでは、同和地区の住宅は周辺より二割以上安いのに、それでも売れ残ると言っていましたねえ。 それが2002年の同和対策事業の終了を前後して、同和地区でも住みたいという人が増えて、住宅の値段が上がっているということです。

 今の同和地区では部落民のうちの若い層が出ていき、代わりに同和にこだわらない人が入ってきて交錯しつつある、というのが現状のようです。 これは部落差別が解消の方向に行っていることではないでしょうか。

【拙稿参照】

『中央日報』のラムザイヤー教授報道を読む http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/21/9349231

解放運動に入り込むヤクザ    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

差別とヤクザ         http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai

差別問題の解決とは?     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

同和地区における不動産価格  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuukyuudai

ラムザイヤー教授の部落論(2)―同和事業の裏では2021/12/31

 論文では同和対策事業の実像を、次のように説明しています。

日本において「部落民」は歴史的に差別に直面していた人々のことである。 1969年「同和対策事業特別措置法」の下、国および地方自治体は巨額の補助事業を開始した。 2002年までに、政府は15兆円を費やしたが、特措法上の事業以外でも多額の資金を費やした。 同和事業に関連する贈賄、歪んだ雇用、恐喝的行為による支出、および税収の喪失は、その社会的費用をさらに押し上げた。

 「2002年までに、政府は15兆円を費やした」 「同和事業に関連する贈賄、歪んだ雇用、恐喝的行為による支出、および税収の喪失は、その社会的費用をさらに押し上げた」とあるのは、その通りです。 同和対策事業は1969年から2002年までの33年間にわたり15兆円の公費が投入されました。 事業の始まった1969年は大卒初任給が3万4千円くらいで、国立大学の年間授業料が1万2千円だった時代です。 それを考えると「15兆円」というのは今の貨幣価値でいうと、とんでもない巨額であることが分かります。

 そしてまた同和対策に関連して、様々な不正・不当手段で税金がたくさん使われたということです。 「歪んだ雇用」というのは、公務員採用の際の同和特別枠が多くの自治体で設けられていました。 部落民は解放同盟支部長等の推薦があれば、無試験で公務員になれたのでした。

 「恐喝的行為による支出」というのは、私の知っているところでは、自治体の各課で「解放新聞」や「部落解放」とかの定期刊行物を3冊ぐらい強制的に購入させられていました。 各課ですから、全体でかなりの部数になります。 そんなものを誰も読みませんから、裏の倉庫に置かれて埃にまみれ、いつの間にかゴミとなって廃棄されました。 このような機関紙購入の強制は、民間企業も同様だったと思います。

 また「税収の喪失」というのは、企業が解放同盟傘下の「部落解放企業連合会」を通すと確定申告がフリーパスになるということを指すものと思われます。 有名なところは「大阪府企業連合会(略称―大企連)」ですね。 言葉を変えれば、解放運動の力で脱税できたということになります。

 それでは「部落民」とは何か? 論文では「日本において『部落民』は歴史的に差別に直面していた人々のことである」という建前が書かれています。 つまり「部落民」というのは近世の「穢多・非人」身分の後裔とされていることを、「歴史的」といっています。 しかし実際の同対事業の対象者である「部落民」では、その先祖が「穢多・非人」だと言えるのは少数です。

 明治以降、戦後に至るまでの間に、元々部落出身でない者が部落に住みついたり、部落産業である食肉・皮革関係で仕事したりして、「部落民」扱いされたと考えられる人が多いです。 1980~90年代に「あなたも部落に20年ほど住めば、部落民になれますよ」という話が出回っていましたが、これは一面の事実を表わしています。 つまり「部落民」というのは非常に曖昧で、部落民か否かを区別する客観的なものがないということです。 そして同和事業の対象者である「部落民」は、結局は解放同盟等の同和団体が認めた者という主観的基準によることとなりました。 

 ラムザイヤー教授には、このことを追究してほしかったですね。 解放同盟等の同和団体の幹部たちに、あなたが歴史的に部落民であるとする根拠を見せてほしいと尋ねることは出来たと思うのですが。

【拙稿参照】

ラムザイヤー教授の部落論(1)―同和対策事業 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/12/26/9450880

かつての解放運動との交渉風景  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

【ラムザイヤー教授論文】

https://jigensha.info/2021/10/16/ramseyer2018-1/

https://jigensha.info/2021/10/23/ramseyer2018-2/

https://jigensha.info/2021/10/30/ramseyer2018-3/

https://jigensha.info/2021/11/06/ramseyer2018-4/